余興

 
ちぇっ、ジェニーの続きを見ようと思っていたのに……
まさかあんな中途半端な記事を……イジメいくない。反撃してやるっ。

 
某sさんとは関係無い話しかしないんだからねっ(ツン)
そもそもコミックス派かもしんないじゃん。20巻までの内容で反論したってあんま意味ないし。
大体、みんなペト●ニウスさんを敵に回す“かもしれない”危険を分かってないよ(涙)大戦力の人とは仲良くしとくのが基本だって歴史書に書いてあるっての。
 
屁理屈を垂れて細かく反論することも十分可能だと思うけど、大枠では某●omething ●rangeさんとかを読めばいいと思うもん。
 
論理そのもので否定する方法もあるし、大家キケロのように論理を読んで判断をする「人間の方」を動かす方法もある。そっちの支配的なレイヤーで勝負する方が強いに決まってらーな。そんで、わたしゃ残念ながら前者なんすよ。
くっそー、読むの面倒なぐらい長くしてやる。「何処を縦読み?」とか言わせてやっからなぁ!
 
■死ねばいいのかどうか?
ちょっと短絡的だし、逃げの布石もちゃんと打ってあるけど、盛り上がりやすい言葉を選んでいるだけで要は「深い葛藤」があればいいんでしょ。
 
だから、死なないとダメなんてのは最初から反論するのに値しない個人的な趣味の問題ですよ。となると個別に反論する前に問題を抽出して広げてやる必要がある。その広げた人がペト●ニウスさんだからかなり書きにくいことになってる。彼に反論するのは、なるべくなら避けたい。
 
でも夕映がぬっころされた時の反応はちょっと知りたいかも(ニヤニヤ)
……なんて偉い人弄りはこの辺にしておいて、
 
 
そもそも、なんで誰か死ななきゃならんのか?については、成長の契機ということにしておくとして、それは人死にでなくてもいいハズだと既に書いた。
次に成長の切っ掛けをいつ得るのか?ということがあって、それを「まだ得ていない」ということが前提になって話が進んでいるわけだ。ホントか?
 
仲間に対する責任とか、成長の契機ってやつは、
1.作中で仲間が死ぬような事態が発生する
2.過去に仲間が死ぬような事態を経験する……のどちらかがあればいい。
 
ネギの年齢だと過去にそういうことで失敗して深く傷ついたりした経験がないのが普通だけど、「雪の日の夜」の解釈次第でなんとでもなるし実際には明日菜の方の葛藤がそっち方向になってて「誰も殺させない」になってることは指摘するまでもないこと。役割分担の違いとかってことっしょ。
すると、仲間に対する責任の話は明日菜の葛藤なんだよね。
 
(最近のネギはポジションを微妙に調整しつつあるから、要注目の箇所ではあるかもしれない。こんな反論臭いことはくだらんと思ってたけど、存外役に立つなぁ)
 
作中ではネギも一人でやりたい症候群入ってたし、どっちかと言えば、無理してでも「群れろ」の方向で来てる。この辺は某所の理屈と同じだから読んだら分かる。
あとは権利を語って義務を語らないのは片手落ちとかってことでしょ。
 
 
■仲間を巻き込んでいいのかどうか。
そんなの知ったことじゃねーっつの。どっちだっていいじゃんよ。
 
ネギは、
1.仲間を巻き込む権利がある
2.仲間を巻き込む権利がない
3.仲間を巻き込む義務がある
4.仲間を巻き込む義務がない
 
(この組み合わせ的な書き方は、抜けを防ぐためのもの)
 
戦闘という非日常に一般人の論理を持ち込むことに絡めて「倫理的な問題」という指摘がすでに為されているわけだけど、「寿命で死ななければ失敗」といった価値感は、「満足な人生」とは一切関係がない。「他人が勝手に決め付けるな、それは失礼だ」ってことですよ。
そんでここは同意が成立している部分。つまり「巻き込むまでは可」で、巻き込んだら、自動的にその責任を負えとかって話が問題になっている、と。
(巻き込んだら殺せとかって話にみえるけど、そうでもないらしい)
 
 
ネギは仲間を巻き込む義務があり、それに悩む。
なんで義務か?ってのは、既に他所で論じられているわけだけど、簡単に言うと仲間と認めたなら、仲間として扱わなければならないから。
 
じゃ、なんで悩むのか?
 
そりゃ「巻き込んで死んだらどうする」「どう責任をとる」という脅しがあるからだ。
作品としてみれば、「遠ざけるべき」の段階から出発していて「仲間を信頼しなければ」という過程に来ている。
15巻でエヴァは、「仲間ぐらい巻き込めヴァーカ(意訳)」といっているし、それはエヴァみたいな生死を超越した者による台詞であって、彼女だからこそ過激すぎないというテクでもあるんだけど、なんでそんなことを言わせるのか?といえば、それが明日菜の理屈でいうなら「皆で戦わないと死んじゃう」ということになっている。
 
「巻き込めば仲間が死ぬ(リスクを抱える)」
    ↑ ↓
「巻き込まなければネギが死ぬ(高いリスクで)」
 
(暗黙の前提として主人公だからネギは死なないという決め付けはイクナイ)
 
これを言っているのは、上記したように「誰も殺したくない」という葛藤を持つ明日菜なわけでしょ。ネギが弱いのが悪いんだけど、強いからってリスクが消滅するわけじゃないから、どちらかを正解とすることはできない。
この辺りのバランスが見えないとネギまを読んでてもつまらないかもね。
 
自分を含めて誰も殺さないために、ギリギリの選択として仲間と一緒にいることを選んだ、となる。
 
 
■死ななきゃ、ぬるいのか?
死んだら熱くて、生きてたらぬるいなんて話に普遍性はないよ。
例えば、「め組の大吾」では作中で殺さないようにしていたけど、誰も殺さないを貫くことそのものが葛藤となっている。*1 死ねば熱くなるか?といえば、世界に満ちる駄作の多さがそんなの関係ないってことを証明している。死ねば傑作になるんだったら誰も苦労なんかしない。
 
ネギまは?というと、薀蓄とか世界観はリアリティ方向で纏めてるけど、人の生き死にに関しては御都合主義的な作風をしている。そこで突然誰かを殺すような「作風にあわないこと」をして簡単に傑作になるとは思えない。やるなら、絶対に必要だと万人が理解する状況でないといけない。その程度のことは作者が一番良くわかっていることでしょ。
だから、人死に頼るだなんて「ぬるいこと」はそうそう起らない。
 
他作品の批判を敢えて入れるけど、マガジンで連載が始まった「ざわ……ざわ……」をみて、馬鹿だとしか思えなかった。連載が始まったばかりで、見ていてなんの思い入れも無いキャラを殺そうとして、主人公が目をクニャクニャにして泣いている。見ててシラケるよ。てきとーに誰か死ねば読者が喜ぶと思っているんじゃないか?とね。ナメ過ぎでしょ。
でも、指を切り落とされるゲームはどうか。指の痛みや恐怖は個人的なことだからまだ面白い。微修正だろ、あれ。
序盤の方向付けとしての演出意図も分かるし、後で出て来たりして再利用するんだろうけど、ぬるいって評価は変わらない。アレで泣くのは安っぽい。
 
ネギまの方は関係性は十分に出来つつあるけど、満足な死を受け入れる準備としては全然、弱い。フラグなんか全く足りてない。ノコノコ魔法世界に遊びに来ちゃって痛い目にあったぐらいで殺されたらたまらない。キャラの命が軽すぎる。空気読めなさ杉。
まず、これ以上関わると本気で命に関わる……というラインを提示しないと。絶対に死ぬような絶望的なシチュエーションを前に、尚、命を掛けて立ち向かうことを選ぶ……ぐらいしてくれないと。月が落ちてくるとか。
 
 
ネギま!はぬるいのか?
この話は全体を俯瞰すれば簡単に分かると思う。面白かったもん。
 
くろうのだらオタ日記さんの先見の明に拍手したい。
 
最近、ネギま!を読むのが辛い
http://d.hatena.ne.jp/crow2/20071108
かなり恐ろしい、魔法世界の奴隷制度の真実
http://d.hatena.ne.jp/crow2/20071115#1195121264
 
なるほど、「ぬるさ」を打ち消す機能として捉えられる。
ぶっちゃけこれらの記事は作者の意図を反映していないと思っていたんだけど、実際の被害を出さないで被害らしきを演出するには、読者に悲惨な現実を想像させるのがベストかもしれない。
読者はもっと「隠された辛辣さ」を物語に見なければならないのかもしれないし、感想サイトはその手伝いをすべきかもしれない、と思った。
 
……ということは、少なくとも私は、
「厳しい」と言われたら、別に厳しくないと言い返すし、
「ぬるい」と言われたら、そんなにぬるくないと反論する人だったわけだ。
 
なんという信者(笑)
 
 
だが、それがいい
 
 
上に書いた図式*2とここも同じで、どっちかではありえないようになっている。今ならば、そこに緊張感を見出すことができる。なんという綱渡り……ってね。
 
 
個人的には、
ゲートポートからバラけた辺りから考えを修正しつつあって、そうやって厳しく行くならギリギリまで行くべきだ!と思ったいたところ。その意味ではここしばらくは「ぬるい」に傾いていたと思う。
千雨の触手回なんかは厳しい一日を描いているし、それは彼女だからアリだったのがよく分かる。奴隷ネタは…………ローマ人の物語を読んでて雰囲気が分かってしまっていたので(笑)、深刻には思えなかったし。
 

■まとめ
・死ねばいいってもんじゃなく、葛藤の有無の問題でしかない。
・キャラ設定とか役割分担とか理解してる?
・仲間を巻き込むのもアリでしょ。
・仲間が死ぬリスクだけ恐れて主人公が死ぬリスクを忘れてる。
・死ななきゃ、ぬるいって考えがぬるい
ネギま!はぬるいのか?なんてのは、自分で判断しやがれ


ぬるければツマラナイのか?
そういう人はこの無駄な長文を読んでいるわけがない。
大切なのは、ネギまは面白いということだね。
 




おまけ
●責任の所在って、実は刹那や楓にあるのでは?
強い人間に守って貰いたいと思うのであれば、ネギより適切な人間がいる。もし自分が麻帆良学園の3-Aの一人だったとしたら、誰に命を預ける?どう考えたって、刹那や楓でしょ。
 
ネギは、年下なんだよ。10歳なの。
 
年下の男の子が先生をやっているからって、全てを任せられるほど強固な信頼関係にはなんないよ。本当に、のどかや夕映の気持ちになって考えたことがあるのかと問いたい。
 
彼女らは劇中の描写から足手まといであること自体は分かっている。でも、ネギを守り、助けたいという「上からの視点」がある。
読者が「神の視点」を振りかざして勝手な要求をするのは自由だが、まずは実情にそぐわない批判をしてないかどうか考えた方がいい。ネギがリーダーだって一体だれが、いつ認めたというのだろう。
 
刹那の主君は木乃香だぜ? 明日菜は「アタシが守る」の人だし、小太郎は単に友達。楓も古菲も師匠みたいな位置付けでいて仮契約もしていないときている。
 
 
千雨だけでしょ。
責任の所在としてハッキリとネギを問題にしているのは彼女だけだ。ネギ自身が自分の所為として悩んでいるだけで、まだリーダーとして認識されちゃいないよ。
千雨だけが命令系統を正しく認識しようとしている。
  
作中の動かし方からみても、ネギはまだまだ有能な一兵卒でしかない。超編では超への唯一の対抗策であるカシオペア保有していたことがネギを「最後の刃」へと押し上げていただけで、よく考えればそれ以外の理由はない。
(趣味で付け加えると超の作戦に対抗し得たキャラも千雨だけだったゾ)
 
まず、リーダーにならないと。主人公ってだけで無条件にリーダーになんてなれないよ。リーダーとしての資質を示さないといけない。楓の命を預かれる程に強くあらねばならない。一兵卒が将校へと駆け上る過程が必要だ。
 
ネギは既にのどかや夕映の命の責任を背負っているだろうか?……守られる側にその自覚が無いのに? 勿論、ネギは背負っているつもりでいるだろう。でも、明らかに命だの責任だのに足る状況にはなっていない。
 
この曖昧さがネギの責任を軽いものにしている。対等なものにしてしまっている。




くっそー、まるで小カトーじゃないか。これでは道化だよ……








追記
(自己ルールに従い、非コメント形式)
なんとなく反論めいたモノを書き、カウンターバランスを当てることが今回の目的。優秀な他の書き手の人とは違い、馬鹿であろうとも「ネギま!は今の方向のままでいいんだ!」という人間が最低ひとりは必要で、パスして回したんだけどなんとなく帰ってきたという事情による。(そういうストーリーを捏造して楽しむためにやっているブログなので。「ちぇ、●木さん避けたな」とかって)あとはネギま部屋の楊さんとかネギズのイオさんへの日ごろのご愛顧とか感謝とかで長文を書いてみた。というわけで想定読者数は片手で数えて余る。当然、某s氏も入っていなかった。(まさか読んで頂けるとはね〜。それならもうちょっと工夫すればよかったかな。実際、はてなの「リンク元」表示でこの記事70ちょっとですからね。ウケないのわかってるもん)
本音では赤松先生のキャラを殺さないといった「縛り」を考えると、新しい枠組みのものになる可能性はあると思っていたりする。なので、今回の話は他の傑作の良い点を模倣させることが狙いの、単に「古い枠組みに戻そうとする動き」に分類されるのでは?と思ったけれど、それで「新しい枠組み」でのまだ見ぬ傑作を論じて保証できるわけがないので組み込めなかった。(過去の作品はそれ自体が証拠になるが、未来の作品は証拠にはならない。)従ってどれだけ論じようとも決定的に論破するものには成りようがなく、それでいいと思っている。未来の作品を擁護するつもりなら、それは信念の問題になるかな、と。というわけで、俺って信者(笑)と書けて満足。
今回の某s氏の釣果を観察すると、実際、その顔ぶれには驚かされる。私が書いても多分ああはならないし、なってもらっても困る(笑)「包囲網? ねぇ、これって包囲網?」とかって他人事だからこそ楽しめるお祭りでした。(自分も参加したような気がしないでもない)
そんな世界の厳しさを目の当たりにしたわけですが、現実問題としてこのブログはボヤキでしかなくてもボヤキのつもりはないので、戦ってるステージが微妙に違うかもですよ?と思ったり。この最後の文で何を言っているかは秘密です。(ヒント)…………次はカルバニア物語かなぁ?(笑)

*1:ライバルは人の死を経験していますが、ここでの趣旨とは違うので無視してよいでしょう

*2:巻き込めば仲間が死ぬ・巻き込まなければ自分が死ぬ