喜びが混じり合う(CLANNAD)

 
 
物語のラストには「少し悲劇」なのが最も良いと言われることがある。
 
その考えには個人的にはあまり賛成できなかったりする。物語に「勝ち負け」のような無粋なものがあるとするならば、それは負けではないか?といつも思う。物語とは「語り終えなければならない」ものではなかったか。余韻を残すことは「本」の外に物語りを持ち出してしまう。それは物語りの完成がそれぞれの人生を生きる読者に委ねられるという点でも不完全なものと言えないだろうか。
 
……いや、実際にはこんなことに正解があるわけがないとも分かっている。
そもそも物語りは人間が読んだり聞いたりしなければ完成しないのだし、また多くの読者は物語が素晴らしければその余韻をも歓迎する。さらには不完全であれば続きを期待することもある。今回のP2終了を惜しむ気持ちなんかはまさにそんな感じだ。なんでもいいから続きを読ませろ(:へ;)
 
それでも、ある程度は理想をもっていなければ、複雑になるほどに統制がとれなくなってしまう。ここでは作品観賞の話なので無理してまで理想だの個性だのを持つべきとは思わないが、要するにある程度の数をこなした結果として自分にはハッピーエンドの方があっていると思うわけだ。
 
安直なハッピーエンドか、安直な悲劇か?といった低次元なレベルでの「つまんなかった上に悲劇」でサッパリしない時に、それをブンガク的な「味」とかって苦しい言い訳に摩り替えてまで耐える必要を感じない
……といった程度の話だったりするんでしょうけどね(苦笑)
 
 
■今週のクラナド
 
○主人公の精一杯の台詞が邪魔になっているような。
見ている自分の代弁にはなっていなくて、感情移入の邪魔になってましたね。大事なところで追い出された感じ。ゲームのシナリオという事情も考慮すべきなのか?と咄嗟に思ったぐらいです。
風子に関わる一連の「事態」に対する彼の精一杯の「抵抗」だった気がします。ばっちり最前線の関係者のハズなのに、まるで無関係であったかのような違和感が残りましたね。
 
○死んだかと思って不安に(笑)
いいシーンなんでしょうけど、風子が死んだんじゃないかって不安になるばっかりです。自分があの場に居たら病院に電話せずに居られなかったでしょう。これはもはやデザインを原因とした演出の失敗なのでそう簡単には修正できない。普通なら死んじゃった女の子の幽霊でやるような話なわけで、生霊でやるからこういう目にあうともいえます。
 
○悲しみに、喜びが混じり合う
生霊でやるから〜とは書きましたけど、それと引き換えに単なる悲劇ではなくなっているわけで。
結局は風子のことをみんな表面的には忘れてしまっている。でも未来への予感をはさむことで複雑な余韻を残すことに成功しています。人間は悲しみと喜びを同時に感じることができるのかどうかって話です。
 
 
○予告はどこまでギャグなのか?(照れ隠し?)
ゲームやってない人間の弱みで、来週待ちです。いじめ?