超戦、再分析

 
そういう訳で、今年最後の考察記事は何にしようか?と思った時にやはり初心に帰って超戦かなぁ?ということになりました。年末だし、スッキリして終ろうや。という企画……だったんですけど、どこかこうピタッとこないんですよねぇ。うぇーん、全然すっきりしない(涙)
 
ちょこちょこ手直しするかも?ですけど、気にしないでください(笑)
 
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単純な戦闘では一応、ネギパーティの勝利に終った学祭最終日の対超戦。
思想面では一体どういうことだったのかということを振り返ってみたいと思います。基本的には「もう終ったことだから、どうでもいいよ」という気持ちでどうぞ。
 
 
●当サイト的な立場とか結論とか
当サイトはこれまで「超戦はネギ達の負け」を謳ってきました。
 
今回の結論としては、
「手段に対する否定」の部分に踏み込まず、代案が超側から提出されているのでダメダメ。だけども、作品としては勧善懲悪を克服してるからOKなのかな、と。
 
 
逆シャア
一見しようが二見しようが、まっっったく関係無いんですけど、ここでは敢えて「逆シャア」を使います。ネギま単体で理解するのより、途中で比較すると分かりやすくなってとても便利なんで(笑) 基本的にアクシズ落しです。超がシャア、ネギがアムロみたいなイメージで。
 
 
●前提
「現実が一つの物語だと仮定して、自分を正義の味方だと思うか?」
「自分のことを、悪者だと思ったことはないのか?」
「世に正義も悪もなく、ただ百の正義があるのみ……」
「思いを通すのは、いつも力ある者のみ」
 
133時間目の超りんの言葉ですが、ここらが前提となっています。自分が悪かもしれないとか、超にも正義があるかも?という点が非常に重要なポイントですね。テストに出ます。
 
 
●未来からの使者
超戦の最初のポイントは、未来という点ですね。
 
・未来の情報は絶対的に正しいのではないか(?)
・自分は(未来の視点から見て)間違ったことをしているかも?
 
これらは限られた視点しか持ち得ない通常の人間には完全に否定しきることが出来ない事柄です。
 
しかし、歴史が変えられる(可能)のであればどうでしょう?

超の持っているであろう正しいハズの情報は、その正しさを維持するためには歴史が「変化しない」ことが必要です。しかし、彼女のやろうとしていること自体が歴史(過去)を変えようとする行為なのですから、成功するのであれば、未来の情報にも同様に介入して変えることが出来るアヤフヤなものとなってしまいます。
逆に、もしも未来が本当には「変えられないもの」であるならば、当然、超の作戦は最初から失敗していなければならなかったでしょう。
 
→歴史が「変えられる(可能)」ならば、未来の情報は不確定(正しくない)
→歴史が「変えらない(不可)」ならば、ほっといても超の作戦は失敗する。
 
結果的に、超の作戦は「半ば成功した」のでしょう。彼女がどこまでを目的としていたかはまた別の話になると思いますが。
ネギの認識では、超もネギも現実を変えることが出来たわけですしね。超は歴史を変えたという認識を得ないまま未来へ帰って行ったわけですが。
 それに、そもそも超が過去へとやって来た時点で、既に過去は変わっていたのかもしれません。といっても、もしかしたら「そこまで含めて本来的な歴史」だったかもしれませんが。……この話を続けると、「どこまでが最初から決まっていた未来なのか?」という難しい話になってしまうので割愛します。
 
 
●未来人として&現代人として

ネギの指摘にあるように、超は自分から未来人であると告白しています。
よって、未来人だと告白しなかった場合はどうなの?ということも含めて見て行かなくてはなりません。
 
○未来人として
超が本当に未来人である場合、「過去をいじらないで自分の時間(未来)でナントカしろ!」という意見に究極的には反論できません。これが例外になるのは夕映の言ったように「人類の未来を決する究極的事態(結論A)」だけでしょう。これ以外はどういう理由を用意していようとも、超のエゴでしかないとする結論です(結論B)
 
<結論A>
超のやっていることは、人類の未来を決する究極的事態への解決策である。
→これはどうやら、違うらしい。
 
<結論B>
どうあれ、超鈴音のやっていることは彼女のエゴ・我侭でしかない。
 
 
○現代人として
そして超がもしも現代人であった場合、世界を良くしようとする同時代人の努力をどう否定できるのか?……この部分がネギが最後まで悩んだであろう問題だったワケです。
 
<結論A>は当然、成立しませんから、問題は<結論B>ですが、厄介なことに否定する根拠だった「未来人の単なる我侭」というのが無くなってしまいました。
 
後は「手続き」についても触れなければならないでしょう。

正しい手続きを経ていない行動は認められないという点ですね。超は確かに正当な手続きを経た手段を採っていません。しかしそれで相手を悪と見做しても良いのでしょうか?
 
 
●目的と手段
分かりやすくするために変換してしまいますが、
目的と手段の関係で説明すると、ネギは超の目的を悪だと論破しようとしたのです。けれども超の目的もまた善であると分かってしまいました。
ガンダム世界ならば“ジオンにはジオンの正義がある”というのはもはや常識なんですが、ネギは10歳でもあり自分が当たり前のように正義の側に与していると信じていたのです。
超にも一抹の正義がある。前提のセリフを見ても分かるように、この話は「敵を悪と一方的に断じることはできない」と気付いた少年の物語なのです。
 
ネギは、アクシズ落しをしようとしているからといって、シャアを悪人とは言えないことに気が付いてしまったのです。
 
相手にも正義があると気が付いた。ならば次は目的から手段のレイヤーに議論が移行するべきでした。「手段に対する同意」(コンセンサス)の話になって当然ですよね。
ホントにアクシズを落としていいのかよ?という話です。
 
 
しかし、この段階で超の「手段」に対しては既に「否定」で結論が出ていたらしく、特に検討を加えないままラストバトルに向かってしまいます。なんとなく物足りないのはこのせいだと思います。
 
 
●入れ替えてみる
夕映「論理的に、私たちがシャアに協力しなければならない状況はあるです」
 
ネギ「人類滅亡といった究極的事態ですね」
 
夕映「です。それ以外はワガママです。悲劇も全部受け入れるです」
 
ネギ「そこまでは同じことを考えました。でも……」
ネギ「シャアの計画が成功したら、人類の何割かを救うことができる」
ネギ「何度考えてもそこは否定できないんです」
 
夕映(ぎょぎょー)
 
ネギ「シャアの動機*1を非難することが出来ても、そのことだけで
ネギ アクシズ落しを否定し切ることは出来ないと思うんです。」
 
カモ「おいおい兄貴、アクシズ落しに加担するって言うのかよ!?」
 
夕映「必殺・夕映びーんた!」(ぺちー)
 
ネギ「あうーっ……ぶったね!親父にもぶたれたことないのにっ!」
 
夕映「殴られもせずに、一人前になった奴がどこにいるです!」 
 
ネギ「本当は分かっていたんです……そう簡単に人類は救えないって。」
ネギ「シャアはボクが止めなくてはなりません」
ネギ「もう、シャアが悪だと思い込むことだけでは、
ネギ …………これ以上、一歩も先へは進めません!」
ネギ「シャアは止めるべきです。でも同時にボクは、僕自身の日常のために
ネギ ガンダムに乗る 悪を行う。それから逃れることはできないのです」
・ 


カモ「いくらシャアに理と義があろうと、アクシズを落としてもいいって
カモ ことにゃならねぇ。それがギリギリの正義ってヤツよ」
 
 
アクシズ落しならともかく、死人の出なさそうな強制認識魔法ですからね。
 
 
どうあれ、超鈴音のやっていることは彼女のエゴ・我侭でしかない。
この場合に、ネギは「正しい立場」として超を非難する資格があるのか?
→でも自分も未来から帰って来ちゃってるぞ、オイ。
 
となり、資格などというものはやはり無くて、その一部がネギの我侭としてのセリフですね。「みんなと一緒にいたいと思うこと。それも我侭だと言えないでしょうか?」
 
 
●論破するには?
こいつが困った話で、どこを論破すべきなのか?が真の問題になってしまいます。
 
ごく単純なレベルでの構図としては、
アムロ的ボイスで「超鈴音、キサマのやろうとしていることは単なるエゴだよ!すぐに止めるんだ!」
……と言ったとして、超が(エゴの)正当性を証明するのに失敗し、強引に作戦を進めようとしたならば、相手を「悪と見做して」力尽くで止められたかもしれません……なんとも分かり易い勧善懲悪的な構図ですね。
 
しかし大人の事情というか、脚本レベルで見て、敵を悪と一方的に断じることはできないということにここで気付かないといけないわけです。相手にも相手の正義があるという点に気付くことが重要で、それ以外は枝葉です。
 
繰り返しますが、アクシズを落とすからってシャアを悪人と決め付けることはネギには出来なかったのです。
 
 
ここから、本来ならば相手の手段に対しても「待った」を掛けなければならなかったのです。ネギの場合、手段に対しては特に理由の説明もなく否定しちゃっているように見えるのはちょっと問題でしたね。
 
逆シャアであれば、
アクシズを落とさなくても人類を救えるんじゃないの?」
「ならば、今すぐ人類に英知を授けてみせろ」
「うぐっ」
……という話になりそうなもんです。なんでそうはならなかったのか?
 
仮に、超鈴音を論破するのであれば、
「そもそも強制認識魔法で『魔法使いの存在をバラす』ことは世界平和とかありふれた悲劇の回避とはあんまり関係ないんじゃないの?」と言ったように、手段としての問題点を突き付けるしかなかったと思います。
これらの手段に対する問題提起を行うことで「魔法をバラすこと」と「ありふれた悲劇の回避」がどのような論理的な関係を持つのかを問いただすことが出来るようになったと考えられます。
 
作中では超からの説明は特にありません。タカミチや龍宮、ゆえ吉がそれぞれ勝手に想像して自分の意見を述べていただけです。超は「意味するところをわかっているだろ?」とか「悪を行い、僅かながらの正義を成そう」と仄めかすのに留めていました。
「作品の空気を読め」とか言われると非常に困るんですけど、ナギとかアスナとかハンタのゴンだったら、わからないからって素直に質問しちゃったと思うんですよね(笑)
 
結局は160時間目で超陣営が敗北を認め、自ら強制認識魔法の内容を変更してしまいます。今思うと手段に対して検討を加えなかったのは、このオチに気付かれるのを避けるためだったのかも?……まさかね。
 
 
更に考えを進めて、強制認識魔法そのものの使用が手段として正しかったのか?といった問題にも踏み込んで行くべきでしょう。知りたくないことを、知らずにいる権利を人間は有するのか?といった話ですね。
人間は何かの情報に触れたとしても、それを自分に都合よく解釈することで知らないままで済ませてしまうこともあります。強制認識魔法は「それらの無自覚な情報からの回避」を一切許さないものです。
情報開示とかの「知る権利」にはグダグダ言うわけですが、知らずに済ます権利なんてものを主張することはあんまりないことですし、どうなんでしょうね。
なんであれ、強制的なのはあまり好ましくないでしょうが、絶対に許されないという程でもないように思います。自分で話を振っといてアレですけど、どうでもいいというか(笑)
  
 
●最後に……

仮にここのセリフを理解し易い形に変換するとしたらどうでしょう。
私ならば、
「正義を行う事は、それが自分自身の欲望であるという事実から目を逸らしてはいけないのだ」……といったところでしょうか。
この期に及んで正義とかって甘ったるい言葉で包んでしまうと覚悟が足りなく見えるので悪の一字でなければならなかったとは思いますが。
 
そもそも、ここでの悪とは一体何処から来たんでしょうね?
 

この場合の正義とは「別種の悪」になってしまいます。
 
 
全てが悪であると仮定できる構造を私からは取り敢えず2つ提示できます。
 
一つは、一元論的な悪です。
 
〔小<<<(悪)<<<大〕
 
最小の悪は、最大の善となるでしょう。
最大の悪は、最小の善となります。
これは善と言い換えても特に問題はありません(方向は逆転します)
〔大>>>(善)>>>小〕
 
 
もう一つは、世界システムへの悪です。
 
     善
     ↑
     │
――――――――――→世界システム
     │
     ↓ 
     悪
 
ベクトルが違うだけで、世界システムから離れて行くという点で、善も悪も大して変わりません。(この場合の善を何と定義するかにもよりますが)
 
世界に対する自己を区別するために、最初はより遠くへ離れようとします。反抗期と言ってもそう間違ってはいないと思います。環境破壊のようなことを考えるなら、最終的には世界に寄り添って生きることを選ぶようになるでしょう。
 
 
●結果とか
ネギは、超に正義があることを認めつつも、その手段は否定しました。
その後、「共にマギステル・マギを目指す道を歩もう」と誘い、これを断られます。超からすれば、未来で頑張るべきとも言えますしね。
結果、律儀なネギ君は超の目指した以上の未来を実現する責務を負った形になってしまうのですが、重いな少年という話ですね。
そのうち超が帰ってきて、謎解きとかしつつネギの重荷を軽くしてくれることに期待します。
 
 
来年の今頃、夏休み編はもう終っているのでしょうか。
超の出番はともかく(おいおい(笑)いいんちょの更なる活躍が見られることを願うばかりです。

*1:←たぶん、ララァがどーのこーのとか