「知らないでいる権利」議論について

 
方丈にて徒然なるままにさん
「超戦で、千雨は「知らない権利」のために戦っていた」
http://hazukistnew.blog25.fc2.com/blog-entry-138.html
あちらにコメントにしようとして長くなったので単にここに置いておく位の気楽さです。
 
○魔法を知っている or ×魔法を知らない
◆バラしたい or □バラしたくない
 
○◆ 超陣営。魔法のことを知っている。バラしたい
○□ 魔法使い。魔法のことを知っている。バラしたくない
×◆ 一般人。魔法のことを知らない。できれば知りたい
×□ 一般人。魔法のことを知らない。知りたくない。
 
 
とりあえず手続きとしての正当性を考慮して魔法を知らない人に「選択する権利」があるのかどうかという話があります。出典としてはザンヤルマの剣士という古いラノベが問題にしていたことなんですが、
 
「貴方が知らない情報がありますが、知りたいですか?」
 
……という問いは一部とはいえその情報自体を含んでしまっています。これは卑怯な問いではないでしょうか? ということが扱われていました。うーん、懐かしい。
 
 
それと知らないでいる権利を守ることを選ぶと、今度は「知る権利」を行使する人にとっては「情報を独占しようとする側の人間」となってしまいます。
千雨の場合、自分は知っているわけですから、独占しようとしているという批判を回避するのは難しいでしょうね(知らなかった人にバレた時限定で非難される)
自分が知っていなければ自分の現実を守るという選択もできなかったわけで。
 
 
私は特に個人的な立場を有していないんですけど、大魔王バーンのことを思うと、単純な事実として「なんであれ弱ければ他人から強制されることを避けられない」のですよね。超も133時間目で「思いを通すはいつも力あるもののみ」なんて言ってますし。
野蛮人が文明人のマナーを台無しにするなんてのは日常茶飯事です。我々もいつこの手の「野蛮人」になるか分からない(笑) 推理小説で言えば「先に読む」といった自衛をするしかないでしょう。
 
第一、そもそもの目的は?といえば「推理小説を楽しむこと」であって、相手を非難する資格を得ることではありません。この場合もバラされてしまえば結局は負けという点で一緒です。負けた後に相手を非難することに価値はないでしょう。
状況としては、「推理小説のオチをバラすことを生き甲斐にしている人間」を相手にしているようなものですから、バラすのは悪いことだ!ということは事前の防衛手段としては有効かもしれませんが、この自覚的な野蛮人には通用しないわけで。……同様に、超に対する抑止力としても働かない。
 
更にそもそもの話まで戻るなら、ネギが超を悪と見做すためには有効な手段になったかもしれませんが。でもその前に最低限度の抵抗する権利をネギパーティに残してもいます。はてさて。
 
 
話を複雑にするのが目的です。やっぱりよく分かりませんね。