たわ言

 
美味しいスープの話?
視点が統合されている場合、全員を登場させようとすると処理が煩雑になるし、キャラクター漫画の魅力である登場人物の「動作」がごく表面的なレベルになってしまう。
逆に、視点が分散されていると各キャラはクローズアップされるが、処理されないキャラが多く残るため、順番に解決すると処理に時間が掛かるようになる。
時間が延びると、今度は因果が不明確になる。根底にある物語がスープを水で薄めたように、しゃばしゃばになってしまうのかな?その中で、キャラクターという具(ジャガイモとか肉とか)が存在感を強めても、料理として美味しいわけが無い。美味しいスープを作るのは大変なんだろうね。
 
キャラクターによる箱庭?
人間は反射で出来ている。背景世界の代わりに登場人物という箱庭世界でキャラの反応を楽しむのが、今月のneoだった気がしないでもない。
この意味で原作はより物語志向が強い。(個人的にはそこが魅力なんだけど)
neoからネタの逆輸入とか当然するべきだと思うんだけど、善し悪しとしてはどうなんだろう。
競合するのはいいことのような気もするけど、果てさて。
ここで納豆のねばねばの中にチーズを入れる喩えは危険な気がする。
 
構造の強度問題
DB型インフレーションは、案外あれで安定した強い構造だったのかもしれない。3回ぐらいインフレさせるのが破綻しないで話が作れる目安だったりするのかも。問題になるのは、当初の人気を支えた構造であっても、話が大きくなってくるとその構造の強度自体を試されるようになるのかもしれないという点。スープの味が濃いと、薄めてもある程度までは耐えられる、みたいな(笑)
超長期連載になると作者の体力とかのレベルでも勝負になってしまうわけで。
この意味では、冨樫先生も天才としては脆いのかな。モーツァルトを代表とした若死にして惜しまれて去った系統もいるし、ピカソのようなやたら頑丈で、自らのスタイル(構造)を取替えつつも膨大な仕事量を残した人間もいる。
 
構造の変革
連載中にマンガの構造変化をやって成功した例ってなんだろう……バトル漫画になったやつが結構あるのか。ネギまも構造のたて直しの時期に来ていると感じていて、安定した実績のあるバトル漫画に持っていこうとしている可能性があるかも。いわば勝者の混迷からスッラによる共和政回復の流れだったりして(笑)予言としては帝国政への移行で激動の時代を迎える!なんつって。
学祭〜超戦をポエニ戦役とするなら、ハンニバルがもたらした「脅威の戦術」に相当するものを手に入れてなきゃいけない。どれがそれなのかが問題だ。個人的には千雨とか言いたいし、某所ではカシオペアなんだろうけど、多対多の集団戦闘がそれに当たるのかもしれない。だとすると、ラカンの斬艦剣は皮肉としか言えない。もう一つの候補は哲学だ。バトルに哲学は良く似合う。ジョジョやバキは哲学的であることで人気を得ている部分もあるし、こちらが本命かも。衒学と哲学も良く似合うしね。(衒学趣味批判もあるけど、時代的には当然の選択と思うのでここでは却下。演出として見事!と言っとく方が無難だ。)
といっても、哲学が武器であろうが無かろうが「帝国とは何か」が問題だ。しかしこれはネギまを見ているだけでは分からないもののような気がする。小さい話としては、バトルにおけるネギの中心人物化が絶賛進行中で、リーダー不在だったのが解消されるのだろうけど、これだと恋愛パートでネギがあっちこっち好きになる展開にでもならないと説明がつかない気もする。自分に都合よく考えると、仮契約しまくる話になればバランスが取れるといえよう!(笑)この場合、バトルパートの間延びがギャグとの融合を促進することを先取りして、シリアスバトルと対になるオキラクバトルを展開させて、互い違いにするような構造にするとか。……書いてることがアホ過ぎる。