庵野のバ●ヤロウ

 
責任なんて絶対とらねぇ:改革を止めるな?
http://d.hatena.ne.jp/skerenmi/20080131/1201784225
 
とりあえず私の方が議論する域に達していないので、向こうの流れとか無視ぶっちぎりで考察をはじめようかと。
 
>一言でネギま!を纏めちゃえば「ネギのオナニー*3の為にある物語」が
>現状で、そっから抜け出す物語でしょうねと見れば、結構スッキリと
>みれると思うのです。

  
はて、オナニー的な物語とはなんなんだろうか。
そしてオナニーじゃない物語とはなんなんだろうか。
 
オナニーとかの卑猥且つ、曖昧なことを言いやがったのは、知っている範囲では庵野のバカ●ロウだったのだけど、それ以来、「なんだか分かったような批判」で使われるようになってしまい、どんな意味なのかを考えることをしてこなかった。コレを使う相手とは大抵、まともな会話にはならないからね。
しかし、某s氏は正しく使って分析を深めようとしている印象を受ける。これは考えてみないといけない気がする。
 
取り合えずは、オナニー=自慰ということで、「自分を慰める」という意味なのではないかと思われる。このとき、自己満足と自分を慰めることとの違いをどこに見出すべきか? また、「自慰的ではない」ということはどういう意味だろうか。さらに作者の自慰と使う場合と、登場人物の自慰とについても考えてみたい。
(すまん、辿り着かんかった(笑))
 
 
慰めるをネット辞書であたると、
「悲しんだり苦しんだりしている人に、やさしい言葉をかけたりして心をなごやかにさせ、静まらせる。」とある。
↑を自分でやるから自慰なのだろう。
 
これでいい事が分かった。
「マイナスの状況」にいなければ慰めることはできない!というわけだ。
 
 
しかし73時間目のコアラ四葉五月とのセリフで、

「全部オナニーだったんです!」
 

「自慰で手こきでも、立派ないちもつです!」
 
 
といったやり取りがあるので、「自慰でもいいじゃん」ということで結論が出ているのではないかと。(終了?)
 
文脈的には「当然」オナニー的であってはならないらしいのだが、作品がそこから脱却しなきゃならん正当な理由がよくわからないままだ。
「名作たらんとするならば」、辺りが潜在的な目的として隠れているのかもしれない。
 
念のために、それで誰か困るのだろうか?と考えてみると、クラスメイトだろうか。
明日菜とかが「アタシでオナニーしろ」……的なことをいっているかもしれない。いや、これでは自慰のままではないか。
つまり、
 
「アタシとHしろ!」
 
ということかもしれない。…………もっとダメじゃん。
(※注:シラフでかいてまーす♪)
 
 
芽衣王かわいいよ芽衣王(クラナド視聴中)
 
 
まてまて、
・自分で慰める
・他人に慰めてもらう
・セックス
・アッー的なホモセックス
 
という分類が考えられるではないか!……うーん、深いなぁ(笑)
それぞれが何に該当するのかも興味深い。
 
なんか自慰とかオナニーとか、超生真面目なこの私のブログが随分と卑猥な単語だらけになってしまった。どうしてくれるんだろうか。読者(可憐な美少女)がドン引きしちゃうかもしれないぢゃないか!(全くそんな心配してないけど)
 
と良識を示したところで先を急ぐのである。
 
お得意のダイの大冒険で考えてみよう。
まず、アバンの使途ということで、師匠の代理戦争をしていたわけですよ。それがいつからか「自分たちの戦い」という認識に変わってくるわけだ。このことによって、アバン先生が帰って来てしまっても「戦う動機」を失わなかったわけだ。

ここから「他人のためのオナニー」という概念が見出せるように思う。
アバンの使途とは、言い換えれば「死者の弔い合戦」をする弟子たちのことであり、死者の弔い合戦というのは、安心して死ねるように死者を満足させることだ。死者のためにオナニーをしつつ、自分を満足させるだなんて、なんてオナニー的な話だろうか。
さらに、彼らは「自分のためのオナニー」を始めたのではなかっただろうか?
もっと突詰めて言うならば、世界を救うということは「自分のためであり、同時に他人のためのオナニー」ではないだろうか。どう頑張ってもオナニーから脱出できないような気がするし、もうオナニーでいいじゃん?と思ってしまうね。
大体、勇者が世界を救うシチュエーションの時点で、結果的に失敗してもОKな状況じゃない?てめーらには任せておけん!とか文句言ったってどうすることもできまいよ。いや、そんなまともな人間はいないよな。誰が代わりに世界を救うんだ?と自分勝手なことを言うだけだろうけどさ。まぁ、悠長に責任がどうのこうの言ってる間は余裕がありすぎるだろ、とか思うし。
……ああ、責任がどうのこうのと言わないから俺は余裕が無い人間なのかもしれないなぁ。
 
次に最後のバーンとの対戦前に、「ワクワクしない」とダイは言っている。望み通りに世界を旅したのだが、世界を救うという重圧が彼に掛かっているわけだ。
ここからは大胆な仮説が飛び出してくる。
立派な勇者の場合、オナニーを楽しんではいけない、ということではないだろうか。義務的なオナニー、擦りすぎてもう痛いのにオナニーをやめないような状況にこそ、崇高な理想とか神聖な行為を見出すのではないだろうか。
……なんかもうバカらしくなってきちゃったよ。
 
 
結論としては、
義務的なオナニーはオナニーに見えないから免除ってことで。
 
だめっすか? そうすか……。
 
 
やはり、厳密な定義が必要なのかも。
それにどうやったらセックスなんだろうなぁ。
 
仮に、お互いを慰めあうとしたとする。
この時、相手の喜ぶ姿に自分が喜びを見出したら、自分が慰められることになるのではなかろうか。そういうのはオナニーだけど、愛っぽくね?
 
なんというか、
共同オナニーとセックスの違いがうまく説明できない気がしてきた。
 
ここでこれまで見て来た合わせ技をくり出して、
相手を喜ばすことが義務的だったり、苦痛だったとしたら、献身的な「無私」ではあるかもしれない。そこに何の喜びも、苦痛も見出さないという状態があったとしたら、目指すべきセックスとなりえるということだろうか?
 
やっぱ結論は
義務的なオナニーが必須事項で、みんなで義務的オナニーってことスか?
 
 
この話は正直、続くかどうか分からない。