ヒーローの条件

 
ちょっと遊び記事…………それはいつもか
 
千雨のことをヒーローだなんだとほざいているわけですけど、
じゃあヒーローって何?」といわれると、中々難しい話だったり。
 
 
通常の意味でのヒーローは、単に主人公のことを指しているし、ヒロインだってほんとは女主人公のことです。
一般的な使い方では勝つからヒーロー(=英雄)だ、と思う場合もあるし、ヒロインといえばお姫さまとかの「大切な女性」とかそんな感じでしょう。
 
こういうのを論理で考えると、
AはBだからCとかになってしまう。
 
「ネギ」は「主人公」だから、「勝つ(ヒーロー)」とかね。
 
 
だけど、それはどうかと思う。
真のヒーローってのは、世界に選ばれた人ではなくって、
「世界〔を選んだ/に選ばれた〕人」なのだと思うわけですよ。
 
ヒーローは、世界を選び取る。同時に、世界はその人を選ぶ。
どちらかが先ではなく、それは同時に発生する出来事なのです。
この同時的な感覚が、私の考えるヒーローの条件です。
 
ガンパレードマーチでも似たようなことを言ってましたけどね。賛成です。うまく言語化したもんだなぁと思います。)
 
運よく(もしくは不幸にも)、
偶然に(或いは必然として)、世界に選ばれただけでは単なる主人公に過ぎないわけです。そんなの視点ぐらいの意味しかありません。
 
大体、世界に選ばれるということは「望みが叶う」ということを意味しています。しかし、世界を選んだということは「世界の望み」=「我が望み」とした状態なので、金持ちになりたいだとか、モテたいとか、有名になりたいだのの「個人的な欲求」が叶うことはありません。
まぁ、叶わないというよりも、「そんなものは自分(世界)の望みではない」と思うような状態に入る、というべきなんですが。
 
 
でね、超戦終盤の千雨がちょうどそんな感じなのですよ。
守破離をネタにしたから書いてしまうんですけど、超戦で千雨が超りんの作戦を否定したのって、ちょっと動物的な反発っぽい感じがするんですよね(苦笑)いわゆる理性というよりは、欲求的なものに近いというか。
 
超戦ってのは理屈として正しいかどうか?という話と、理屈として正しいかったらOKなのか?ということ自体が問題にされているので、「そんなの分かるわけねーだろ!」ってのでも(私は)別に構わないと思っています。
 
 
ともかく、あの瞬間に千雨は世界を選ぶわけです。同時に世界は千雨を選択します。そこにヒーローが出現する。(もしくはもっと間接的な出来事かもしれませんけどね)それはもう当然勝つでしょう。
その後、それも錯覚かも?という感じにお茶を濁されてしまうんですけど、そこがまたいいんです。「(あれ?錯覚か?)」ぐらいの感じ。あそこら辺の展開は完璧といってもいい。
 
 
世界に選ばれたら、やっぱ気持ちイイわけです。選民思想バンザイとはいいませんが、気持ちは分かります。単に、血だの運だの民族だのが選ばれる理由にはならないというだけのことです。選ばれたいだけの人が世界を選ぶなんてことをするでしょうか?……どうでしょうねぇ。そこから先は個人の資質の問題かな、と。
 
ともかく、
イギリス出発前に千雨がネギに「どうか千雨様のお力をお貸してください」と言え!(意訳)と要求した気持ちとか、もう分かりすぎるぐらい分かる。一度世界に選ばれたら「もう一度…………ッ!」とか思わずにはいられないんでしょうね。軽く人生狂いますからね。
 
千雨にとっての「現実」とは、抗い難い力をもったものなわけで、彼女にとって、現実とは敵でしょう。だからこだわる。気高くも正しい、理想的な敵であって欲しいとどこかで願っている。
しかし、現実と戦うと必ず負けます。彼女は単なる女子中学生で大したことのない存在ですからね。タコにナメナメされた時なんかも、「現実?ぶっ潰してやんよ?」とか思ったところで痛い目に遭わされてしまうわけです(笑)
 
「現実=敵」の状態では、ヒーローは出現しないんです*1
 
一方では、超りんも「現実=敵」の人ですね。彼女は人の身で出来ることを追求したわけです。千雨との違いは、究極的には「世界に選ばれたかどうか?」の一点だけだったでしょう。人事を尽くして、天命を待つところまで持っていった。天命が得られないからこそ、人事を尽くさざるを得ない。超の知性ならば、勝負は既に「天の意思との戦い」みたいなものだったんじゃないかと思えてくるわけです。人間の妨害はそれほど脅威では無かったでしょうしね。
そう考えていくと、超の存在がヒーローとしての千雨を発生させたようなものかもしれないわけです。
 
 
……作品的にはネギをヒーローにし損ねたのかもしれませんが(笑)
 
 

*1:ヒーローは保守的なのか?というと、それはまた別の問題ですけどね