雑記

 
3月13日はしんどい日でした。クライマックス・ターン過ぎて怖い(笑) 明日も平凡な日が続くことが今の私の望みです。なんか、満足して死んじゃいそうなので。
 
医龍
二つの友情の形。すがすがしい気分で一日をスタートすることが出来ました。再契約ってヤツですよね、カッコイイなぁ〜とか思ったり。でも帰りの電車の中でつらつらと違うことを思う。伊集院の覚悟こそが光なのであって、聞こえのいい言葉なんてのは嘘っぱちでしかないな、とか。我々はフィクションという「嘘」を了解しつつ、その中でリアリティだの本物だのを騒ぎ立てているに過ぎないわけで。マイナスの掛け算かのように、嘘の世界の嘘だからこそ、光ったのかも知れず。
 
 
・CRAP(糞)と矛盾
目当ての雑誌が見付からず、目に付いた素人向けデザインの本をパラパラとめくったり。
コントラスト・反復・整頓・近接だったかな。それの頭文字がCRAPだと意味は糞になってしまう(笑)と印象付けしてました。少しは意識しないといけませんね。他の本では、アシンメトリーで動きのある構図を!みたいなことが書いてあったり。
もう一つ、「映像+」という雑誌が「特集:キャラクターデザインの現場」とかで立ち読み。出渕裕さんとかのコメントが面白かった。樋口真嗣監督らによるリアリティとそれを裏切る何かを持たせることで矛盾のある印象的なキャラ、みたいな話とか。この辺りの矛盾・不気味さ・色気だとかは定番ですね。出渕さんの方は、バストアップで目を引くデザインにする!だとか、シルエット(形)で区別が付くようにするとかのコツの話。その後でデザインしたものを見ると胸にワンポイントがあって、他の部分はわりとスッキリ・シンプルにまとめてあったりするんですよね。難しい話ですが、のぞき見するぐらいが丁度良く、面白そうな部分ですね。
 
 
・「考えるヒント」(小林秀雄)『井伏君の「貸間あり」』について
友人と話していて、批評にとってのラスボスは小林秀雄だ、なんて話になったのが切欠で「考えるヒント」などを買ってみたわけですが、もう1ヶ月か2ヶ月ぐらいこの部分にハマって身動きがとれなくなっていました。私が出来の悪い読者だから、などと柄にもなく謙虚なことを言うのもゾッしません。そんなん読み流したりしない程度には脳みそがあるからではあるのですが(……なんだよ?) 難しいものでこれをどう料理すべきか判然としません。模倣(ミメーシス)だとかリアリティの領域に踏み込んでいるものなので、どうにも飲み込みにくかったのですね。
 
2ヶ月かけて数行で終わりにするんかい!みたいなストレスもあるわけで、今は眠いのでさわりだけ。先日の亜子がらみの不謹慎だとかもこの話の延長線上のものです。いわく、実生活は狂態で充満しているのだから、それをそのままカメラでとって物質再現度を高めることを良しとしてどうすんだ?みたいな話なのですが、これが現代で通用するのか?というのが最初の疑問でした。
これ、ネギまで考えるとワリと簡単だったんですよね(笑) ネギまがハダカだらけなのは、実生活がそうだからでしょう。マンガの完成度のために狂態を写し取っている。読者は作品の完成度を優先することを当然の義務として作者に迫っているのだから共犯関係でもあります。これ、良いか悪いか?の話にはまだまだ到達していません。この段階の観察では、どうあるべきなのか?すら分からないのです。
 
別の方向だと、カメラに映す/映されるの関係の話だとかもあって、携帯カメラの社会問題とか(カメラを構えた途端に、その向こう側に了解が発生しているかのような勘違いがあったり)とも関係があるみたいなのです。もうちょっとまとめてからにしたいですね。
予告みたいなことをしているのは、まとめるのに必死なだけです(笑) 大きくも、小さくもしたくないので。
 
ラブシャッフル
行きて、行きっぱなし?帰らないパターンだなぁ。
役者の格で最初からヒロイン予想しとけ!ってことかな?
 
 
ドルアーガの塔
動機話で「登頂者だから!」…………そうでっか。
ゴールに近付いている、というよりは追い詰められているので逡巡するんでしょう。ウトゥのブレーキっぷりが作品構造の問題を露呈しているのかも。
 
 
クラナドAS
京アニでよかった。ブラボー!です。気合入れてみるとカメラの切り替えのたびに怖くなっていく作品でもありました。どんだけのエネルギーでつくってんだろう?みたいな。
深夜に総括まがいのことをしたくないというのもありますし、まだ番外が一話あるらしいのでアレなんですが、京アニによるアニメ化は平均点を大きく上回りつつも、平凡な出来だったのではないか?と感じました。どちらかといえば原作の大作っぷりが滲み出ていたように思います。
後半に大胆な演出が見られたにしろ、アニメーションとしては「ちと」物足りない、といったところでしょうか。偉大なる平凡さ、という評価も出来るのです。背景となった街の描写が肝になっていたのでしょう。事実、素晴らしかったと思います。
惜しむらくは、「見覚えのある景色」という段階を超えて、その街の存在感を追求しえなかったことでしょう。ぶっちゃけ、無理難題によるイチャモンですけどねー。そんなのストーリーの都合もあるんだから、無理ですって。つーか、京アニに求めてもよいと感じるハードルが果てしなく高くなってしまっているだけでしょうね。
点としての背景は良かった。たくさんある点と点を線でつないでネットワークのように構成すべきなのです。しかし点が多すぎれば最初からそんな努力は放棄してしまう。その辺りの戦略でしょうね。
 
他の作品にも言えることですけど、守るべき日常・守るべき街みたいなことを言っていても、街なんか出てきやしない。聖地巡礼みたいなことをまともに考えるべき頃合いなのかもしれません。まさにそういうドンピシャな題材がクラナドだったわけですが、キャラクタードラマが中心の作品でしたね。それでもトップクラスの仕事だったと思います。
 



勢いで書いて校正してないけど、まっ、いっか。