雑記

 
あずにゃん
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7335947
 
…………なんだよ?
 
 
●「24」シーズン7
6話まで。またもや展開スピードが物凄いことになってたりして、加速するジャック・バウアー。いつもながら加速する方向が悪に向かって一直線してて爆笑してしまう。しかも今回はバウアー菌に感染したらしき女バウアーの登場でぱーふぇくつなマンガ展開。敵役が薄っぺらくなるとバランスとれねぇだろ!とマジメに心配になる。めっちゃ面白い。
 
化物語1話
シャフトのは面白いのかどうかさっぱり分からない。どっちかと言うと物珍しさが先行しているというべきか。原作を読むべきかもしれないが買う金がないし、めんどっちい。「戯言」を一通り読んだからしばらく西尾維新はいいよ、めだかボックスは読んでるし、という気分なんだよなぁ。何せデスノートのノベライズに失敗しやがって金返せ状態だ。あの本は、本としては上等だった。装丁?だののデザインに目が引かれたのだ。本気出しやがったか〜と思ったけど作品がアレでは…………という恨(ハン)が残った。
 
体重が軽い毒舌キャラの毒舌に対して、本来、その危うい毒舌をもっと聞きたいという魅力が存在するのかしらん?的なことをぼーっと思った。現実だとサッサと逃げたくなるものなだけに、もっと言いたがっている彼女の「もっと」という部分が、人とのかかわりを求めている辺りを、魅力的に描けばいいのかなぁ?だとか、結局ATフィールドの魅力の話かよ?みたいな。
 
 
●お茶会2のレポを読んで
おk、大体 把握。
 1)ネギま!の終わりはどこなのか?
 2)ネギはどこまで強くなっていいのか?
 3)パクティオーのバーゲンセールはいいのか?
 
この問いに共通するテーマは、如何にしてネギま!を終わらせるべきか?と言うことだね。小論文の試験なんかだと共通性を利用して解答するようなイメージで考えるべき、だとかがあるわけだけど、私に模範解答を期待するのは勘違いも良い所なので他の人がガンバればいいと思う。
 
要するに、2年程度では終わらないけど、そろそろ終わりに向けて準備すべき頃合に感じている、ということだね。先生にしても1年あたりの雑誌掲載数が分かっているだろうから、残り100話ぐらいで纏めたい感じなんだろう。今が256話だから、100話(つまり残り1/3ぐらい)あれば大体満足のいく結末が作れるだろう的な話かなぁ。
 
日記とかで疲れたとか早く終わりたい的なことを書くことによって読者の不安を先生自身が作っているわけだ。それだって愚痴を言うと楽になる心理だろうから、まに受けると過剰な反応をしたくなるってことだろう。読者が心配しているのは打ち切りに近いイメージでの「燃え尽き症候群」による中途半端なエンディングだ。これは先生自身がコダワって完璧なラストを作ろう!って意欲を見せていないことに原因があるのではないかな(苦笑) 私も含めて多くの人間がリアクションで動いているということでもある。だからって何事もリアクションを断ち切ってクリエイティブするのが正しい、とかってのは極論に過ぎるのだから、この手の原因は原因として留めておくほうがベターだろう。
 
個人的な見解では、完全と完璧のニュアンスの違いが問題なんだろうと思える。構造・ベクトルとして完全であることは決して不可能なことじゃない。けれど、そこから完璧に近付けていくのはとても難しいし、利益が薄い。だからと言って完璧主義を嫌って不完全なものにすると、不満が残ってしまう。完全と完璧の違いって、密度の違いみたいなものだと思う。
 
しかし、ネギま!で完全にするのだけでもかなり大変な気がせずにはいられない。
仮契約にしてもクラスメイト全員をコンプリートすべきだし。……そもそもパクティオカードに出席番号なんか入れなきゃ良かったんだろうけど、結局はネギのカードでもシステム面で補強してたりするからやらないと不完全になってしまう。ネギのカードの数字もそうだし、期間限定なのは分かっているけどアーティファクトの機能とかね。しかもグッズ的な意味でもクラスメイト全員分が入らないとかあり得ない構成で組んじゃってる。みんなで諦めて全員仮契約を半ば無理矢理でも達成しなきゃならないんだと思うよ。魔法世界編が終わった後、かなり計画的にクラスメイトを攻略していかないと達成できないじゃん。下手したらまとめてキスして仮契約〜みたいな(笑)
ネギまは今後、そういうマンガになるかもしれない状況だ。でもまぁ、グッズの販売は制作サイドは大喜びだろうからそっち方向では追い風かもしれない。
 
だけどグッズ類の価値って過去の思い出に浸るものじゃないから、まだまだ続くことを前提にしていないとあんまり意味が無いと思ってしまう。赤松先生は「結果的に」長く続くことは許容しても、最初から長く続けるとは言いたがらないかもしれない。だけど少なくとも読者にはまだまだ続くって夢を見せておかないといけない、とは思う。
 
今後、コンテンツ不足が目に見えて深刻化していくのかもしれない。政府がアニメの殿堂みたいなものを作るってのはある意味で末期かもしれない、という合図とも考えられる。忠犬ハチ公アメリカが映画化するらしい話を聞いて「こりゃ終わったな」と感じてしまった。全体的にはアメリカを代表する先進国以外から良質なコンテンツを掘り起こす作業に取り掛かるべきなんだろうけど、翻訳能力の問題からロシアンウェーブが起こるかもしれないね。
 
こういうのはある意味ではチャンスでもある。良質なコンテンツの争奪戦が加速する可能性が高い。邦画だけじゃなくアニメもリメイクが始まっているし、ドラゴンボールは編集しての再放送(見てないから知らないけど)だ。今後、需要と供給の関係が正常化していくと思われる。供給過多ではいいように食い散らかしてしまえるものだけど、需要に追いつかなくなると選択権が生まれるから、一時的に混乱するかもしれないけど正常な関係にはなりやすい。
 
ネギま!も良質なコンテンツの一つとして相対的に価値が高まる可能性が十分にある。今が踏ん張りどころじゃないかなぁ。確かに映画化ともなれば赤松先生自身のモチベーションも高まるとは思うんだけど、終わりかけのマンガに最後に一花〜みたいなイメージで作られると失敗するのが目に見えてしまって痛い。必ず潮目が変わる時がくるから、マガジン内部のボトルネックが消えるまでしばらく待ってみるのが良いと思う。読者にとって必ず潮目は変わるだろうさ。
 
 
うみねこ1話
ひぐらしの時はアニメを何話かみる→マンガを数冊読む→結局原作ゲームをやる、の順だったんだけど、やっぱ原作のながーいテキストに触れないとダメだったんだよなぁ(笑) ひぐらしのシリーズは何故かマンガが意外なぐらい成功しているんだけど、それでも全然足りてないもんねぇ(苦笑)
うみねこも結局は導入ぐらいの意味しかないんじゃないかって思っていて、数が揃ったらその内にやるかどうか決めたいと思っている。うーっ!
 
 
地球が静止する日(映画)
エイリアン物。友好的な地球外生命体が、人類ではなくて地球を救いにやってきたという話。なぜ地球が滅ぶのか?といった辺りに説明が加えられないまま自作自演・マッチポンプ的なハルマゲドンが開始される。
 
ホーガンの「星を継ぐもの」の続編、「ガニメデの優しい巨人」を読んでしまうと大抵の作品では物足りなくなってしまう。確かに我々地球人類は愚かで考えが足りていない。変わりたいと願いつつも、どう変わっていいのかわからないし、排他的な態度をとって悦にいってしまう。自分の意見や権利を固持したくて堪らないし、怒りにウットリとする性質をもっている上に、時々この手の映画で「自分は違う」と逃避しようとしたり、自虐的な気分になろうとすることがある。
 
どこぞの星には数万年を平和に暮らし続ける種族がいる可能性があるだろうし、それは個人的には極めて高いと思う。彼らは既に高度な精神性(?)みたいなものに到達しているだろう。出会うことがあるとはちょっち考えにくいけれど、彼らに恥ずかしくないような振る舞いが出来るといいのだけれど…………むずいだろうね(笑)