(メモメモ)

 
●リアルからの逃避
 
内田樹の研究室:吉川宏志スラヴォイ・ジジェク
http://blog.tatsuru.com/2008/01/31_1135.php
 

吉川宏志さんという若い歌人の書いた『風景と実感』(青磁社)という本が届く。(中略)
吉川さんの本は歌論である。歌学について私はまったくの門外漢であるが、この本は面白かった。
吉川さんは「どんな歌になまなましさを感じるか」ということを論じている。「なぜそのようななまなましい感触が生まれてくるのかを説明することは非常に難しい」(10頁)
歌において「リアリティ」や「実感」が出来するのはどういうことかという、あまりに根源的で、それゆえ回答しがたい問いに吉川さんはさまざまな事例を挙げて、まっすぐに取り組んでいる。

 

気取った文体で飾る若い人に注意しておくけれど、若いときはそれで通るけれど、中年期にさしかかる頃には自分の誤謬と愚鈍さを吟味する回路が機能しなくなる。十代のころにはたしかに「オーラ」があったのに三十過ぎる頃にそれがあとかたもなく消えてしまう早熟な少年たちを私はたくさん見てきた。
彼らは知的に洗練されているせいで、「私はどうしてこのことを知らないのか?私はどうしてこのことをうまく説明できないのか?私の無知と無能はどのように構造化されているのか?」という形式で問いを立てることを嫌う。
彼らはそれよりは「自分がどれほど賢く有能なのか」をショウオフすることの方に知的リソースを投じて、ある日気がつくと狷介で孤独な中年男になっている。
真率というのは、そのピットフォールを避けるためのたいせつな気構えである。

 
自分だけはピットフォールに落ちないと思いたがる心理ですよね、わかります(笑) 本当は、どんくさく落とし穴に落ちた後で、カッコつけないで這い上がる愚直さしか認めないんじゃない?この人。
 

「彼が夢の中で遭遇したのは、現実よりももっと強い(息子の死に対する自分の責任という)外傷だった。そこで彼は〈現実界〉から逃れるために、現実へと覚醒したのである。」(103頁)

ブレヒトの「異化効果」は、「幻覚的な見世物」の中に突然「現実的なもの」が闖入することで(例えば、俳優同士の内輪の話を台詞のあいだに挟むとか−こちらの方は歌舞伎でも宝塚でもやるけど、観客席に水をかけるとか−これは昔のテント劇場ではよくあった)夢の中に安らいでいるブルジョワ的な観客たちを「現実に覚醒させる」政治的効果をねらったものだが、ジジェクはこれをきっぱりと否定する。
話は逆なのだ。
「彼らのやっていることは、彼らの主張とは裏腹に、〈現実界〉からの逃避であり、幻覚そのものの〈現実界〉から逃げようとする必死の企てにすぎない。〈現実界〉は幻覚的な見世物の姿をとって出現するのである。」(104頁)
現実への覚醒は夢の中で遭遇する〈現実界〉からの逃避である。

 
ひねくれたこと考えるなぁ(苦笑) 単に逆にしたと言えなくもないのだけど、まぁ、一抹の真実を感じざるを得ない。
だけどこれで言っていることって、二次元の嫁こそが真実です!ってことじゃん。ヲタクよ立て! 二次嫁は実はヤンデレだから、三次嫁見繕って逃避しよう!ってか。まぁ二次元では3ヶ月ごとに浮気しまくりだから、半年前の二次嫁に殺されても文句いえないけど、実際(笑)
 
この「現実界」の理解が問題で、イデア(理想)とかなんだろうけど、シングルエモーション(造語)している「悲劇」などの純粋さを追求したリアリティのことだなぁ。現実はプルーラル(複数の)に感情を刺激させる より混沌なものだから、イデア足りえない。って辺りか。面白いかもだけど、果たして巧く使えるのだろうか。とりあえずジジェクおもろ(結論)