構え

 
なんかこっちを先に書けって感じになってしまいました。閃きとか思いつきで生きているのであんまり自分で選べてません。仕方がなかったのヨ(ヨヨヨ)
 
・熱力アップ応援フェアその5
正直、もう書く必要はないと思うんですよ。私もつらくなってきたし。
あ、ちなみにこの系統のネタを他所でウカツに喋ると人気とか人望とかがテキメンに無くなりますので自己責任でよろしくです(笑) 私に人望がなさそうなのが一発で分かるかと(苦笑) まぁもともと非常事態用の人間なのでー。
えっと、このサイトでは直球でバシッと頭にぶつけるようなイメージで書いているんですが、どっちにしろ胸にしみこむような文体など持ち合わせがないっていう諦めでこのブログは出来ています。
 
・有能さの構え
有能さってのの大半は「構え」で出来てるんですけど、なんというか「できません」と言わない人格みたいなやつです。でもコレは残念ですが才能ではありません。相対的にコレが出来ないヤツとは格段に差がつきますけど、この程度では才能とはいえないんですね。コミュニケーション能力(コミュ力)だとかも何割かはコレで処理できます。誰とでもそれなりに仲良くやれる。まぁ、巧くやれないと仕事にならないんで有能の構えなので当然ですけど(苦笑)
営業職だともっと深く他者とコミットして説得するってイメージなんですけど、その辺に関しては専門職の方々の本を読むなり話を聞くなりすればいいんじゃないかと。基本的に真似できるものと真似できないものとがあって、基本部分はだいたい共通仕様で抽象論的で真似できるでしょう。問題は完成度の高低になります。専門部分は自分の個性や特徴も絡めていて具体論的でスペシャルのため真似もできないし、しちゃダメって感じですかね。
 
 
・知性に求めるもの
学生時代では「自己抑制」が賢さなんですけど、社会に出た途端に「実現力」「実行力」を求められるので、このルールの違いに戸惑う人が多いようです。ある程度の組織力があると新人研修とかでこの辺りの構えを植え込むんじゃないでしょうか(そういう研修は受けたことがないのでわかりませんけど)
サラッと書きましたけど、最重要ポイントはここ↑で終了してます(笑)
 
・王と参謀
王と参謀の役割は物語だと「アイデアマン」と「抑制」が基本です。どっちかがどっちかをやるわけです。史記(マンガ版)とかだと、大体は王様がアイデアマンで、参謀が命がけで諌めるわけですね。おやめください!みたいな。止められないと「ええい、邪魔するな!」でバッサリやられます。日本のその辺の企業の場合、大体は上司が抑制役を(楽なので)やりたがるはずなので、部下はアイデアを出して上司に潰されるって「演目」を演じることになったりするかと存じます(笑)
 
学生上がりで賢いフリをしたいちょっとひねくれたヤツなんかは、だいたいブレーキ役をやりたがるもんです。参謀ポジ狙いですね。これは自己抑制が賢さだとする学生時代のルールを引きずっているからですが、ぶっちゃけ使い物になりません。
いわゆる即戦力とは、組織の実行力を高めるという機能を果たさなければならないのですが、ブレーキ役をやりたがるんで邪魔臭いだけなんですね。ブレーキ役はいっぱいいるから出しゃばってくんな!とか思われます。マジです。
 
例えば、赤松先生がアイデアマンの王様役だと、ネギまブロガーの大半がブレーキなことばっかり言うようになっちゃう、とかね。もうほとんど様式美か何かなんじゃないかって気分に(苦笑) まぁ学生さんが多いんでしょう。
 
 
・自己抑制=ブレーキ意識
自己抑制って知恵は知恵なんですけど、ブレーキ意識にもなりやすいので内的抵抗をアップさせてしまい易いのです。このため体育会系とか応援団とかでナンパしてこい!みたいな無茶な儀式をやって自己抑制を破壊するような訓練をやったりするわけですが、これは自己抑制を破壊するためのものであって、実現力がアップするわけじゃありません(苦笑) もちろん自己抑制していた分の実行力を取り戻す作用はあるハズなんですけど…………。
 
たとえ上手く行っても摩擦熱で「俺が俺が」タイプが増えたりもする。だけどこいつらもほとんど役に立ちません。というのも、能力も無いのに主役になりたがったりするんで「同意すること」をいつまでも覚えないからです。ボスにはしぶしぶ従う……って猿かっつの。他人の意見に対して「反対しなければ負け」だと考える脳卒中がいったい何処で粗製乱造されているのか本当のところを知りたいぐらいなのですが、何故だか「同意したら負け」になっています。
 
何回でもいいますけど、即戦力ってのは、組織の実行力を高めるという機能を果たせなければならないんです。ブレーキも要らないし、反論マニアとか「俺が俺が」選手権も必要ないんです。まずアクセルが必要なんです。メタ認識が足りてないので大抵は目的を意識できてない。だから周囲の刺激に対して反射・反応しかできない。頭の良いことを言おうとするけど全然メタ認識になっていない。だから実行力を行使できない。発言はブレーキばっかり。それで自分は何事かを考えたつもりでいる。内的なブレーキ意識で責任回避か、組織の歯車としてガタガタでロスを高めてしまうか……。後者の方がまだマシだと判断され、熱血して「俺達はやるんだ!」みたいな。分かり易く快適さを損なっている。
 
無論、ちょっとぐらいの自己主張がなければ上に上がるのは難しいといった事情はあるとは思いますが、そんなものはこの程度の最低レベルの実務能力があって、それから先の話なんです。目的を常に意識するような当たり前のことが出来ないヤツがどうして責任ある立場になって、それを巧くこなすことが出来るってんでしょう? 擬似科学並み、それ以上の無謀さです。でも、いつかは何とかなると思っていて、でも修正するタイミングを失って……。要するに、誰か上手くやっている人の真似をして自分なりのアレンジをするわけです。それしかやり様がないし、それであまり問題にもならないように思う。若い頃の不満や愚痴は立場が上になるころには色あせて「なんだ上手くいくようになってたんだな」な〜んて丸くなってしまう。部下が苦しんでいても「若さ若さ」「苦しむから成長するんだぞ」とかって流してしまう。いい加減、そのパターンにも飽きたろ。つか飽きろよ。
 
 
・兵隊の矜持
そんなわけで、使える兵隊を作るために自己抑制の破壊をして長期間有効な人格を作るんですけども、この過程がマインドコントロールっぽいっていわれていて、でも単に別ペルソナです。それも自己の開発がある程度進んでいたら(「自己」の範囲での変更でしかないので)そんなに苦にはなりません。まぁ押し付ける側は結構大変かもですけど(苦笑) そもそも自己の開発をやらないで……いられるんですかねぇ? 恋愛とかしてたら勝手に進んじゃうと思うんですけど。失恋すると痛いだとかいつまでも片想いの自分は嫌だ、みたいな。それなりにみんな足掻くんじゃないのかな。まぁ、あまり興味もないし、どうなっているのかなんてしったこっちゃありません。
 
まず、なんのための自己抑制かというと学校っていう村社会で問題を起こさないで済ませるためのものです。教師一人のキャパシティって30人強(つまり1クラス程度)がいっぱいいっぱいのラインなので面倒臭いガキとか親とかは要らないって世界なわけです。自分が教師になったとして、自分のような糞ガキ共のおもりをさせられる気分を想像すれば最悪の仕事だって普通に分かるでしょう。
 
それと大抵は大人でも「建前(外面の良さ)」と「本音(内弁慶)」の構造で生きていると思われているので、普段良い子にしていればその反動もあるだろうと考えるのです。つまり「自由に行動させる」と「悪いことをしようとする」んですね。想像力がないと悪いことをするのが「自由の表現」になってしまうのです。素直かもしれないけどバカですね。別に悪いことをしない子も多いとは思うんですが(特に成績のいい学校の子たちとかですが)この辺りが怖くて自由にさせられないってことです。我々はその他大勢の犠牲者なのです(笑)
大まかにゃ こういう流れで自己抑制が効いている子は賢い子ってことになっています。でも実行力があるわけじゃない。だって何もしないでいる能力を高めているんだから、そりゃそうでしょう。ついでに成人式で無茶苦茶やるバカ共は見せしめでキュって、ね?(笑) 何もしなければ「怒られない」日本の場合何よりも重要な社会的な価値って「怒られないこと」なんじゃないかなぁ。日本人を動かす心理的な要因の大半は税金の支払いとか怒られるとかいったマイナス要因の回避ですしね。
 
どんなにバカちんでも高校を卒業するまでには教師の善し悪しぐらい判断できるようになっているハズです。軽く10年以上の時間を生徒として生活するんですからその程度の頭は誰にでもある。(この生徒としてのキャリアは有効に活用すべきなんですが、ここでは省きます)でも教師って大変だよなーって思うヤツは案外、少ないようです。始めから「上の立場の人間」だって頭に刷り込まれている。ここで教師との関係をさっさとリフレーミングできないと、上司は先生になってしまいます。結果「甘え」を作ってしまい、社会への参加意識が薄く「お客さま」になるんでしょうね。この辺りを社会に出てから叩き直されるのはかなり「痛い」んじゃないかと思います。
 
自立ってのの一部は、自分が社会の構成要員の一人で、責任があるって自覚を持つことです。学校でも同じです。生徒って名前の「お客様」でいる間は、何も見えないし、聞えない。ただの「その他大勢」です。むしろその他大勢で居たがってしまう。けれど、社会に出たら叩き直されてしまう。これって良く考えると不思議かもしれませんね。従順でいろ、でもその他大勢ではいるなってね。見事なダブルバインドです(笑)
 
実際、会社側は従順な兵隊が欲しいんですよ。少しぐらい元気な方がいいみたいなことを言ったとしても嘘っぱちか人事は面倒みないからいいやってことです。少しぐらい元気と反抗的な態度って違うんですよね。反抗的だと常識が無いとか言い出すんで注意が必要です。だから本当に「少しだけ」元気なヤツじゃないとダメなんでしょう。まぁ他人に対する許容範囲なんてその程度だってことです。
よって、従順だけど実行力・実現力のある兵隊が良い兵隊なわけですね(苦笑) 人間ってのがどこまで都合良く考えられる生き物なのか試しているかのようです。何様のつもりなんでしょうねー?(ねー) 大人も大概バカしかいないってことです。バカでいいじゃん、バカ。何がいけないの?ってね(もう説明するの面倒臭いのでパスさせてください)
 
 
だからね、本当の意味で「他者」と出会うと嬉しくなりますよ。霞がかっていた視界がサッと晴れるから。知性をもってこの世界に「生きている人」と出会う喜び。この世界もやはり捨てたものではない、と。いや、他者の「本音」に触れる機会の問題でもあるんですけど、しかしこれは自分の認識を広げる行為なのでまた格別というか。
 
話がそれました。
 
そんな色々ダメ出しされても人格はそんな簡単に変わるわけがない!って感じですかね。でも大丈夫!みんな適応・順応してますからっ(笑) そういうもんです。大人になるための壁ですっ(嘘ばっかりや〜)(オトナの汚い嘘だよね)(ネッ)
そんでどうやってこの「構え」を作るのかというと…………・・・あれっ? あははっ。苦労した記憶が無いからわかんねーや(笑) 自己抑制を破壊するとか?(意味ねぇー)えっと、後で考えます。
 
 
・ビジネスライクでいこう!
なんかの本で、休日なのに「ビジネスライクでいきましょう」なんて言われたんですけど馬鹿ですね〜みたいな話があって、とても印象に残っています。ビジネスライクは「仕事での付き合い方」であって、休日の過ごし方じゃない、みたいな批判でした。なんの本かなんてすっかり記憶に無いんですけど、これを読んだ時はなるほどな〜と思ったモンです。でも実際に会社に入ったりすると空気が読めてないだけでした。ビジネスライクをやめた本当の人格(?)みたいなものに社交性が装備されているとは限らないからです。本当の人格に高性能の社交性が備わっていて当然でしょうか? そうとは限らないじゃないですか。
 
ビジネスライクにはある種の気楽さというのがあって、ビジネスをやるっていう「目的が一致」しているので、話しかける/話しかけられるっていう構えが両者にあるんですね。ある意味マナーや空気の一種なんですけど、ビジネスライクでは会話することの許可を出し合う状態になっているのです。普段から社交的でいることの負担を軽減させるための設定がちゃんとあるのです。冗談を言い合ったり、優しくするのもそれが常識だからやれるんです。ストレスがあったら仕事が上手く行かないから、悩んでいたり困っていたら仕事が上手くいかないから。本当は仕事に関係なく優しくしたいけれども、仕事って建前を建前として使って、お互い内実は本音でコミュニケーションを取っているわけです。相手だって始めて話す人は怖い。そういうことがブレーキになってしまうから、ビジネスライクって構えがあるとお互いに安心するんです。素晴らしいでしょう?ビジネスライク。「ビジネスライクは本当の自分じゃない」だなんて良くあるペルソナの苦痛みたいなのは要するに演じ過ぎなんですよ。
 
最初はハンコで押したみたいにみんな「私は新入社員です!」みたいなビジネスライクの構えを手に入れますが、段々と自分の個性と馴染んでいきます。これは別の問題があるんですけどここではやりません。簡単に書いておくと、ペルソナの操作を意図して行うと本当の自分とは何か?って自分探しが発動しちゃうんだと思います。まぁ探せばいいんじゃね?(笑)
 
有能さの構えは、ここにプラスして「やります!」「できます!」みたいなプライドっぽいものが加わった状態ですね。まぁ軍隊系の強気を混ぜたぐらいのものです。本当はここまで加わって始めてビジネスライクのハズなんですけど、自分の個性に馴染んでしまうと大きな責任は取れない、持てない、考えられないってなってしまうようです。要するに怒られるのが怖いってことですね。
 
 
長くなってきたので簡単に答えを書いてしまうと、外的抵抗の内の何割かは相手の内的抵抗性なんです。それは自分が障害になっていることが原因になっています。わかりました? じゃあもう1回。自分が戦うべき外的抵抗はだいたい「他人」ですよね。で、その他人の私に対する抵抗を作っているものは「私に対する恐れ」なのです。つまり自分です。相手は私を恐れていて、それ故に邪魔をする、と。…………これが近年言われるようになってきた「自分を好きでないと上手く行かない」って話なんです。実は我々の常識になっているものの中に既に答えがある場合も多くて、考え続けているとぐるっと回って其処に帰っていくことがあるんです。
自分の内的抵抗を下げることで、相手の外的抵抗を削ぐんです。そうすることで相手の内的抵抗が下がり、自分の外的抵抗に対処し易くなるって仕組みになっているんです。3回連続して同じことを書きました。でももう1回書きます。
 
上手くやれないと自分を好きになれない。自分を好きになるには上手くやらないといけない。上手くやるには努力しなきゃならない。努力する時どうするか? がむしゃらにやるのではなく、内的なロスを減らすようにしてやる。するとビジネスライク マナーで相手と自分の内的・外的抵抗が同時に下がるので上手く行き易くなる。これで簡単になるので成功しやすくなる。簡単になるとエネルギーがあまるので別のことにもパワーを使えるようになる。別のところでも似たようなサイクルで上手く行くと自信というかやり方を知ることが出来るのでエネルギーが増していく。エネルギーが余るとエネルギーがエネルギーを生産するようになるので更にエネルギーが増す。エネルギーが増すことでも快適になっていくので逆に内的抵抗も下がる。この辺りで段々とたくさんの仕事を押し付けられるようになるかもしれない。この過程はキツイかもだけど、エネルギーが増えているのでなんだかんだとこなせるようになっていくだろう。エネルギーは使うことによっても増え、大きく使うことによって回路(そんなものがあれば)が拡大する。そうしてこなせるようになってくると難易度も下がるので小さな成功の積み重ねによってエネルギーが生まれる。エネルギーがあるのが普通の状態になる。1日分のエネルギーはどうしたって翌日に持ち越せないので、余らせても仕方がないと分かれば膨大なエネルギーを無尽蔵につぎ込んで一日を生きるようになる。この状態が「熱力が高い」ってことだ。
 
ここまで上手くいくことは稀だと思うけど、まぁ似たような循環の一部を経験することはそれほど難しくはないと思う。これは内的循環だしね。外的循環は周囲を巻き込んで奇跡を起こすようなことになる。そして上手く行くとその内ステージが上がるので、成長が足りないとアップアップする、と(笑)
 
 
いかんな、有能の構えの本質部分に迫れてない。まぁ外堀を埋めていきますか(その内なんとかなるっしょ)