雑記(便覧と事件)

 
んがくく。暴落と聞いて覚醒ちう。祭りだ!ミスで終息?
 
けいおん!!(留守番)
おねぇちゃん好き過ぎる憂の泣きそうな顔は破壊力があり過ぎた。
 
雨で動物園に行けなくなった可哀想なあずにゃん。でも結果的に一番やりたかったであろうセッションに辿り着く展開。いいだしっぺが純ちゃんなのは忘れちゃダメだろうね。セッションの音が守衛さんに聞えたら怒られるのでは?的な意味で配慮があったのが京アニの巧さ。巻き込むことでいいな〜という感覚に落とし込んでいる。雨で薄暗いところから、夕日を光らせたのはドキッとしたよ。夕焼け好きだなーとか思いつつも満足。
 
 
●勝間女史vsひろゆき
安っぽいマッチョイズムに対して「本当に変えなきゃダメですか?」の論法は強いのかもしれないねー。
目的を一致させて論じ合う形にする前に、1秒ぐらいで前提変換してそれ必要ですか?だもんなー(苦笑)
 
 
●マニュアルと芸術の違いについて
小林秀雄曰く、便覧(マニュアル)は人を動かさないのだそうな。芸術だけが人を動かす、とそれは「事件」だというのだ。だから、社会運動家は、芸術家に向かって目的意識を持て!と煽り、利用しようとするのだそうな。確かに利巧なやり口だねぇ。んー、ヤック・デカルチャー!的な?(笑)
 
いくらかは、「人を動かすモノが正義!」みたいな話ではあるんだけどね。人を動かすということは、極論のつもりもないんだが、人を死に追いやるということを意味する。善かれ、悪しかれ。
 
マニュアル的なブログをやっている身としては、何かしらの自己言及をすべきか?とも思わなくもないんだけど、特に思う所もないような。
なんというか、世の中の分厚いマニュアルをみんな読まない理由みたいなものとしては頷けるものがあるね。一方で、萌える〜な勉強系の本が売れたりするのは、萌えに芸術性があるからなのだろうか?なんて遠くの空を見つめたくなったり。
 
 
●ヒュームの車窓から

動機 → 結果
      ↓
理論 ← 結果’
  (帰納

評論が動機を重要視しない理由を書いてみる。動機から生まれる結果は、実際に観察される「結果'」とは異なる。ポイントは、どんなに動機の通りの「結果」が出たとしても、「結果’」を上手に観察することが良い評論の「基礎的な土台」だって部分にある。
 
評論は帰納法によって理論を導くので、あまり動機を求めないわけだ。「結果’」は動機との関連性が薄くなってしまうからだ。これが何を意味するのか?は人それぞれの話になるのだけど、人を動かすことを考えるのであれば、動機に働きかける方法や力について考えていくことになるんじゃないかな。
 
 
●ALN日記5/3から
エロス談義するべきでしょうか?(笑) まず、ネギま!はエロいのか?という話からデショウカ? 風呂のシーンが多いのは、生活の風景だからですけど、風呂場シーンを失うと、キャラ同士が会話しなくなる危険も?(笑)
まぁ、健康的とか言われてしまう理由は恥じらいがないからでしょう。寮とかに居れば日常的に風呂に入るのに、恥ずかしがっていたら変ですしね。
 
直接的に裸を描く 肉体的エロスから、恥じらいを中心とした 精神的エロスに移行するとかの段階を踏むのがいいところじゃないかと。どっちにしても、非実在青年的な意味では引っ掛かる年齢ですので、なんらかの配慮はしてみました(笑)な方向は必要かもですね。
 
というか、
 
□やられやく:原作『けいおん!』も小学生に人気みたい
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-5181.html
ニュータイプとかのアニメ雑誌の影響なのかな。最先端の作品を楽しんでるってことだよなぁ。深夜だから〜とかの言い訳は、もはや防壁にはならないのかもしれない。つーか、なるわけねーよなぁ。例えば自分の場合、ガンダムが深夜放送だったりしたら小学生だろうと録画して見たハズだし。
小学生…………を相手にする場合、何よりも媚びないことが重要だと思われ。クソ餓鬼共なんぞに面白さが分かるわけねぇ!(断言)この手の差別はなんとなく必要な気が。
 
 
●神殺し
神=秩序として、現在の秩序が気に入らないぜ! → 神を殺す!が神殺しなのかな。すると月光条例の月光とかの「正義のための不良」なんかも神殺しの仲間入りするね。ああいう「ちっちゃい例」のが原型だと思う。
 
新世界の神になる(俺が秩序だ!)みたいな。俺がルールだ!だから魔王になるんだなー。俺がガンダムだ!でガンダムになりたがった人もいるけど。
 
グローバリズム的なルール拡大の時代に流行り易いのかな?閉塞感の打破とか、経済格差からくる感情だろう。この理屈ならテロから出発するのは分かりやすい。「現在の秩序が気に入らない人間」の発想だって考えてテロリズムに結びつけんだろうし。
 
神殺しで秩序破壊をした後で「現実の統治!」ってやるのが「その先の物語」なのかな。イズミノさん的に言えば、無粋に踏み込んでいる気がしないでもないなー。ロシア系の偽主人公登場→栄誉横取り展開に相当するのかな。アレもラスボス倒した後に知恵比べで人間と戦うことになるんだよねぇ。
 
個人的に「神の首とったどー!」で勝ち誇る馬鹿は嫌いだ。ここから先は「神は死んだ」でニーチェを勉強しないとなんともいえないのかな? まぁ、いいや。高い確率で「神殺し=ループの脱出方法」だと思われ。