魔法先生ネギま! 297時間目

  
何を書いても余計な話になりそうな。
 
これが「完全なる世界」だとした場合、ラカンは今頃ナギと戦いまくって幸せなバトルライフ堪能中ってことになるのかな。何気にレベルアップして帰ってきそう。
 
千雨の夢が無かったね。まぁ、扱いが微妙な辺りだから手を出さないのは正解かも。千雨は現状にこそ満足しているのだろうし、案外、ネギよりも先に脱出してるのかも(それは無いか)。ある意味で「世界の危機」を望んでしまうのは異常な在り方だとも言えるけど、ネギの見たキレイな夢には「千雨の居場所」は無いわけで。
 
アリカの使い方が巧すぎて何も言えない。
双子の見せてーなんかも「物扱い」なんだけど、それが如何にも双子っぽいという。ほんのちょっとのニュアンスの付け方が流石ッスねー。
 
いいんちょの動き方もパスタとソースのごとき見事な絡み具合。ご挨拶なんかも品があっていい(アレ以上頭を下げたらドゲザになる) 軸がありそうな所作になってて良いわぁ。
 
 
後片付けシーン、YES、ご馳走様でした。なんて教育によろしいマンガか。そうです、誰かが片付けるものなのです。そして本当には片付ける人の勝ちなのです。
アスナのセリフも動きのある構図を兼ねてて一石二鳥。メインの話の裏に入って背景レイヤー的な行為になっているのもグッド。生活としても部分的になってる。こういうシーンを評価しない輩にゃあ、評価する資格なんてものは生まれもしないだろうよ。
 
説明が難しいんだけど、片付けてるアスナのへっちゃら感に注目して読むといい。これが出来る人と出来ない人の世界に二分される。そもそもこんなの「頑張って片付けるようなものでもない」わけだし、サッサッと動くだけの事で「それができてる」って事に意味がある。主体的に頑張りました!(だから褒めて!)っていう片付けシーンじゃないんだよね。だから余計に素晴らしい。言葉にはしにくいちょっとした美徳なんだけど、それが描けていると思う。
 
 
楽しかった時間が終わって、波が引いていくかのような描写。だけど静けさの中に別種の密度が現れて、ネギが幸せでいっぱいになっていく。ひたすら巧い。
本来はファザコンのネギだけど母親側の描写が強いね。構造的な「誘惑者としての女性」だのが母親側に偏り易いことがあるのかも。学祭武道会でナギの幻とは出会っているから今回は母親メインなので正しいのだろうけど。
 
スタンじいちゃんネタは使って来たね。
 
念のために言えば、この世界でも翌年には超戦が発生する。つまり魔法世界は崩壊するし、それに対処するためにナギは戦うことになる。誰と、何と? 当然のようにネギも巻き込まれる。ホンモノかどうかよりも、結果的にどうなるか?は問題だと思う。
 
 
「前へ。」
ラカンの言葉も踏まえて、大ゴマによる力強い言葉。
幻想世界による「在り得た可能世界」を捨てることで得られる決意。残酷なのはこうして実際に諦めさせている点か。より多くの場合は、興味の対象が自然に移動していくことで諦めたという自覚無しに選択することが可能になっているのだけれど、長く人間やってれば自覚的に諦める瞬間みたいなものは出てくるだろうし、ドラマになり易いシーンだったりするというか。
 
 
アスナの片付けシーンだけでこの3倍ぐらいの長文になったので削りまくり(笑)