劇場版マクロスF

 
久しぶりのネタバレタグです。続きを読むの記法ってちゃんと使えるのかなぁ?
記事の性質上、エンディングのネタバレを書くので、嫌なら先にレンタル+映画館へドウゾ。
 
 
●劇場版マクロスFイツワリノウタヒメサヨナラノツバサ
テレビ版の編集映画ではなく、どちらかといえば「強くてニューゲーム」ですね。後半登場キャラも最初からバンバン出てくるので雰囲気がチト違います。潔い作り方になっていて好感度高いです。
 

評価はちょっと難しいですね。
というのも、私はシェリル派なんですが、シェリル萌えだけならテレビ版の方が上だからです。主人公であるアルトのドラマに決着が付いているため、完成度が高いのが劇場版の特徴と言えるでしょう。
 
ネタバレタグなのでとりあえず全力でネタバレしますが(笑)、テレビ版がハーレムエンドだったのに対し、劇場版はシェリルを選んだ上での行方不明ですね(苦笑) この部分だけ見ても、途中の展開がどう違っているのか?というのは中々に面白いものでした。
 
 
●アルトの物語
天才女形(おやま)であるアルトが、その世界から逃げ出してパイロットになるってのが基本の筋書きですね。テレビ版だとなんだか有耶無耶なまま終わっているんですけども、映画版は覚醒してます。正直、この段階まで描いてあるとカッコイイですね。
 
演じることやペルソナってのは「自己同一性」に関わる物語です。基本原理はポストモダンとか言われている「中心の喪失」です。何度か同じことを書いてますけど、また書きます。世界の中心には何か真理だとか秘密みたいなのがあるんじゃないか?と思っている段階から、中心への旅が始まって、なんと何も無いことに気付いてしまったのです。
 
それで自己同一性だのの物語というのは、中心になーんもなくてしょげてしまった我々が外部骨格へ回帰していく物語なのです。ボールの中心には何もなかったので、ボールってのは本当は外側の皮のことなんだな?とか勘違いする状態へ展開していくわけですよ(笑) かなりマジです。自分探しだのは、全てこの「中心に何もない」が原因なので、探しても答えが見付からないって展開をする定めだったのですね。
 
これらは大きく「パラダイム」と呼ばれているもので、世界のみんな(といってもまぁ、先進諸国とかぐらいの狭い範囲なんですけども)がそういう風に考えているので、科学技術だのもそういう内容が幅を利かせている、といいましょうか。インターフェイス(例えばパソコンの画面やキーボード)とかも人間の外部入出力装置で、「外部とどう触れるかを既定するもの」みたいなムツカシイ話と関わっています。んーと「本当のワタシ」がめっからないので、外側と触れ合う時だけ、その時々で色々なワタシになるのですね。(演じるのと大差がないわけです)
 
ハーレム展開だので女の子が増えていく理由も、他者との接点でのみ自己が表現されうるから、だったりします。
 
大体、こんな感じの話が前提としてあって、劇場版は一応、この部分を乗り越えて終わるのですね。天才女形だったアルトは、演じることで本当の自分だと思っていたものが失われていく恐怖を感じてしまい、そこから逃避していました。結果、テレビ版でランカかシェリルかを選ばないのも逃避に見えてしまうわけです。
 
で、次の段階はどうなるのか?というと、仮想の中心を発見する方向に向かうでしょう。最終段階は総体回帰(神に還る)ですが、総体回帰と離脱を行き来する大きなリズムを繰り返すと思われ、その途上で中心を仮想のものとして認識する段階がやってくるだろうと予想しております。
 
映画版はたぶん「決断主義」と呼ばれるものをやっているのでしょう。だからラストでシェリルを選ぶ、までをやっているのだと思われます。中心が無かった!どうしよう?→自分で決めリャいいんだ!です。
 
テレビ版では父親が出てくるんですけども、父親の役割を隊長のオズマがやってますね。
 
 
●一体性へ向かう物語 
それとマクロスというよりも、宇宙を題材とする物語は、一体性へ向かって行き易いのですね。映画『アバター』なんかでも、人類サイドが侵略型エイリアンになってしまいました。そういうように立場が簡単に変換されてしまうので、宇宙を題材にしたりで範囲が広くなってくると、敵を倒してハイお終い!とは出来なくなってくるのです。
 
元からマクロスゼントラーディとの戦いが歌を通じての和解へと展開していく物語です。敵を敵じゃない状態にするわけですね。今回のバジュラとも和解を求めて足掻くお話になっていきます。バジュラは『エンダーのゲーム』に出てくるネットワーク型の宇宙生物風なので、潜在的には他種族と如何にしてコミュニケートするのか?みたいな部分も問題になるわけですね。この部分はテレビ版の方が強めに描写されていて、ゼントラーディには歌(カルチャー)が通じた。けれども、バジュラには脳がない。歌が効かないよ?どうしよう?となっていたわけですね。ここらのどうしよう?って部分をすっぱり切って、フォールドウェーブ波を歌を通じて発揮できる歌姫の存在を先に提示することで映画版は時短しているわけです。
 
映画ラストでアルトがバジュラの気持ちになって演じることで一体化していく部分も描かれました。敵との一体化によって演じることと戦闘技能とを昇華させた覚醒アルト。これはかなり強いですね。
 
 
●ランカの物語、シェリルの物語
簡単に違いを言ってしまえば、テレビ版は「ランカを取り戻す話」だったのですが、奪われていないためにメインヒロインじゃなくなっています。映画版は「シェリルを取り戻す話」になっていますね。病気のシェリル、スパイとして捕まってしまうシェリル、宇宙に流されて死んだと思っていたシェリル。
 
残念ながら、ランカメインで絶対不利を覆していくテレビ版シェリルの方が燃えます(苦笑) なんかそのままヒロインだとちょっと物足りなかったりして?(笑) アルトの実家で着物のシェリルのシーンがあって、これ絶対に事後だろ?みたいなシーンがあるんですが、あそこが無かったので勿体無いな〜テレビ版もう1回見たいなぁ〜とか思ってしまいました。そのくらい映画版は別ものなので、マクロスF劇場版は見る価値があるかな、とか思うものではあるんですけども。
 
ランカは兄であるブレラとのイベントがあるので、出番が削られていますね。テレビ版ではアルトとブレラが、ランカの奪い合いをするんですけど、映画はシェリルメインになるので、ちょっとこの部分の構造が弱いものになっています。このためブレラが怖くないんですよね。
それ以前に、キラッ☆をやらないランカにどんな価値があるっていうのか!(だんっ!) 客に媚びるかどうかはともかく、お約束は守ろうよ! 大事なんだよ!
 
 
シェリルの物語というか、過去まで描いてアルトと関係させたのは良かったと思います。ちょっと整理され過ぎかもですけど、私は好きですね。
 
シェリルも妖精を演じているってパートが描かれることで、アルトの物語に接続していくわけで、やっぱりシェリルだろ!と!(←思いっきりシェリル派)
 
 
○その他
きっこさんってか、グレイスも洗脳されてる設定でラスボスから味方に転向しております。洗脳を題材にするだなんて、それなんてフラクタル?とか思わなくもないんですが、サブカルで何かそっち系のネタが流行ったりしたんですかねぇ……? まぁ、いいや。
 
キョン君ことレオン三島……つーか変態ボブカットは出番増えてて良かったですよ。逆転につぐ逆転展開で、結局どうなってしまったのか分かり難いんですけども、まぁその辺りは説明するものじゃないので良いでしょう。
 
 
バジュラ惑星に辿り着いてフロンティアを獲得するまでなので、もう一作、ランカバージョンを作ってほしいぐらいなんですけども、あんまり話題になっていない気もするのでまぁ、今作を推薦したいと思います。グッジョブでした。
 
 

オズマの語る、ペルソナの全てが自分だ!という看破は、私にとっては母親の教えなので、他人が馬鹿馬鹿しい使い方をしているとムカつくんですが、真っ当に使われていたので個人的な事情で嬉しかったのです。