雑記

 
●日常 2話3話
楽しめるようになりました。1話見てる時のイライラは地震の影響だったかと思われ。いやいや、現実は簡単にフィクションを殺しますね。
ギャグは間が命ってことですかねぇ。コークスクリュー良かったです。大袈裟なエフェクトが楽しい作品のよう。
 
猫の声はかわくないので不満です。またアイツかい。自己主張が強すぎるのが問題なのですよ。ワワワブームで巧く波が出来たのに、思いっきり乗ろうとして力んで波と関係ないところに来ちゃった感がありますね。
 
まぁ、がんばれ日本(被災地は努力義務免除で)ってことで。
 
 
●JIN
相変わらずウジウジした先生が最下段から切り込んでいきますね。助けさせてください!みたいな。
 
 
●ソード・アート
面白いなーと思いつつ、アレとアレの関係には気が付いてそうだなーとか色々と思うところもありーの、アスナに絶剣コンポ習得イベントという〆は美しす、でしたね。キャラの不幸に関しては、作者自身が予想よりも向き合っていたので得心が行きました。

ツッコミどころは魔法破壊の件で、1ドットって……ならメイスとか使えばいいじゃん、みたいな(笑)
 
(以下は感想とは言えない話です)
ネギまとかも完全な世界の話だったりするんで、結局のところ物語は「安易な不幸」に頼って描かれるしかないものかもしれず、その辺りが物語を物語として低次元なものにしている可能性は否めないのですよね。低次元だから簡単だとかくだらないって話ではなく、ただ低次元なものでしかないのかな、と。我々の人生の物語も含めて、安易でくだらないドラマを人はやりたがってしまう、といいましょうか。
 
親が子供に行う虐待と、その子供が親になった時に逃れられずに虐待を繰り返してしまうような安易で低俗で醜いだけの連鎖みたいなものを生み出してしまうのは、物語というものが低次元のものだからでしょう。そこは間違いない。それは物語に関わる人間が目を背けようのない現実ではないかと思います。
まぁ、作り手ではない人々ってのはあんまり物語と人生(の悲劇)みたいなものに関連性を見出したりはしないものかもしれません。
物語とは「他者の人生の話」なのです。物語とは、他者の人生を垣間見るという行為に近しく、それによって自分の人生に影響を与える、という一連の事象です。「違う人生」というものの存在に気が付くための仕組みであり、別の可能性を選びうる力にもなります。これは現状においては悲劇でしょうね。地球人類のレベルからすれば、違う人生がありうるかもしれないって想像するのは、その大半が悲しい結果を招いてしまいます。変わらなければ憤り、変えられなければ嘆くばかり。その結果、変えられる部分すら変えようとしないばかりか、変えなくていいものまで変えようとしてしまいます。……この辺に対して我々はもう少し自覚するべきじゃないかと思うのですがね。
 
知の蓄積と本人の自覚・無自覚をとわず(広義の)選択の結果なので本人が責任を持たなければならないものでもありーの、かといって本人の自助努力だけで助けないのではどうにもなりませんし。そりゃあ、どうすればいいのかぐらいは当然に知ってますけども、私一人で出来ることは私一人の出来ることなのです。
 
だからっつって、物語なしに生きていくことなどは考えられません。上手に物語というか、人生という幻想を楽しまなければならないものでもあります。まずは楽しまないと、ですね。面倒臭いことは楽しんでからでも十分です。(ま、楽しいと面倒くさいことを永遠に後回しにしちゃうんですけどねw……だから社畜みたいな奴隷を作りたがってしまうというかね。結婚も似たような話ばかり声高に聞こえてきますね。くだらない物語です。やれやれ)
 
 
寝ます。