ループものとメタ視と全体最適について

 
 
想定題材
・はるかリフレイン(Jコミ
・密リターンズ(Jコミ
アゲイン!!(マガジン連載)
まどかマギカ(テレビアニメ)
 
ネタバレあり
 
「ループもの」ってのは何のためにあるのか?と考えると、「メタ性」をゲットするためにあると予想される。
 
メタ性ってのは、上位の認知系で、ちょっと前まではメタ性を持っていたらそれだけで天才だった。しかし、現代ではかなりありふれたモノになってしまっている。もうあまり特別な価値はなくなってしまっていて、持ってて当然といった程度のものだし、だから特に自慢にもならない。でも価値が無くなるようなものでもない。
 
「何か」と「何か」を比較するには、比較するための視点が必要になるわけだ。こういった「分野を横断させるもの」がメタ認識の機能みたいなものとして特徴的だろう。人間の認識系は動物レベルからロクに脱してなんかいないから、視覚の発達版である「メタ視」が基本になる。まぁ、メタ聴覚なんてあっても想像しにくいのもあるのだが、この手の話はネタとしては面白いけども役に立てられるのなんて大抵は作り手達ばっかりなので割愛する。
 
ループものは主に「前回の記憶を持ったままでいる」ことによって、客観性を手に入れる。これがメタ視に近いものになる。客観性はメタ視に近いのだ。これがゲームとかだと、プレイヤーの視点と登場人物の視点(特に主人公)とが近似することになって、そのことで感情移入しやすくなると考えられる。基本中の基本の説明はこんな感じだろうか。
 
 
次は全体最適
物語で利用される場合は、「いそがば回れ」のことと思っていい。特に何かで大失敗した後でリカバリーすることで、大成功を収めるパターンとして現れ易い。
 
 
簡略的な概念図
 
A――→× 失敗!
     ↓
B―――――――――→◎ 大成功!
 
Aルートで失敗する。しかたなく主人公はBルートを選ぶことになる。しかし、Bルートを突き進むことで、Aルートでは得られなかった根本的な解決を得られて、大成功!みたいな展開になる。
 
 
で、これはループものの基本構造と「全く同じ」だったりする。例えばAルートは実力が足りなくてラスボスを封印するに留まる。Bルートはメインの主人公達の時代か何かで、ラスボスを倒して物語を終わらせることに成功したりするって感じだ。
 
もう少し整理して分かりやすく言い直そう。
ループモノはループしている。脱出できない。脱出するためには、何かが必要だ!という展開になる。何が必要か。トゥルーエンドだ。トゥルーエンドに辿り着くために、何度も何度もループすることになる。実力をつけたり、味方を増やしたり、運命を変えたりすることで、最後にトゥルーエンドに辿り着く。
 
これで説明は終わりだが、そんなのもう知ってるよ!とか言われそうなので、もう少し続ける。
 
 
●トゥルーエンドとは何か。
それは「複数のエンディング」の中の一つのエンドがそう見做されているって話だ。これはつまりメタ視によってしか得られない概念なわけだ。
 
で、ループ系の物語なんていくらでもあるように、今の時代はメタ性を強化するために色々なものが溢れている。メタ性こそが前提になっているのだ。
 
 
●ループとは何か
これは視点を変えると「主観時間の絶対化」である。ウチのサイト的にはこれで十分に説明できるのだが、意味がワカラン人もいるかもしれないので一応書くとすると、
ニュートンの世界観では、時間や空間は動かないものだったのだ。だからループなんてありえないものだ。この認識に縛られているのが分かるだろうか。我々だってそうそうループなんて経験しないものだ。時間は変化しないという認識に縛られている。
 
ループとは、時間や空間が変化する世界、アインシュタインの相対性の世界を前提としている。光速度不変とは、「主観時間の絶対化」という要素をもっていて、主観時間が絶対化することによって「世界が歪むこと」(=時間・空間が歪みうること)を表している。
 
実際のところ、大半の物語において主人公の時間は連続し続けており、周囲の状況の変化によってループしている!と認識する。読者・視聴者である我々は、それらのループを外部から眺めているので、主人公の経験とは全く異なる。主人公は「現実の中に居続ける」のだ。
 
 
●エクストラルートの「超現実化」機能について。
密リターンズが分かり易いのだが、ハッピーエンドにするには「根本的な解決」を目指すことになる。これが、一般的な現実では無理な手段となり易い。「現実の範囲」で解決しないなら、より大きな範囲にまで思考を広げてやる必要がある。その過程で現実を越えてしまうわけだ。
 
主人公を助けるために入れ替わりをやってしまった。そこまでは良いとしても、元の身体を復活させようとしたら元々の魂が生きていることになって、最後には前世の問題にまで遡ってしまっている。
Aルートで解決しないならBルート、それでもダメならCルート!という風に下りていくんだけど、その何処かでリアリティを喪失してファンタジー化してしまい易いわけだ。地面に埋まっても更に下りていくというかね。
 
A――→× 失敗!
     ↓
B―――――――→× また失敗!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜←現実の壁/↓ファンタジー
――――――――――――――→× 失敗
                 ↓
――――――――――――――――――――――――→ ? 
 
 
●はるかリフレイン……現実の受容
あの話の終わり方に関してだけど、もしかしたら受け入れ難い解釈を述べてしまうかもしれない。
結果からすると「諦めた」のだけども、実際には納得するためにループするっていう「超現実性が必要だった」というお話でもあって、好きな人の死を納得させるための手段として、ループを利用しているんだよね。厳しいことを言えば、奇跡があれば現実を受け入れることが出来ちゃうってことだろうし、逆にいって「現実を受け入れることって奇跡的」とも言えてしまうというか。
 
実は確定的な未来だった、というのを、ループを経験することで確認しちゃっている側面もあったりする。突然の理不尽な死だったものが、そうじゃなくなっているってことでもある。
 
時間感覚の問題として、実はこの作品の示したものが正しいという可能性があるのではないかと思ってしまう。もしかしたら、我々は、自在にループできるのかもしれない。真に受け入れることの出来ない現実は、拒否できるとしたらどうか。これまでに起こった全てが、受け入れることが出来るものだとしたらどうなるのだろうか。
 
確かに、我々はループした記憶を持たない。はるかリフレインにおいても、ループ終了後にループしたことを忘れる仕組みだったらどうなるだろう? 現実を受容することとは、存在しないループの記憶による諦めではないとどうして言えるのだろうか。現実を受け入れるということは、どういうことなのだろうか。超現実的な視点を持たずに、果たして語れることなのだろうか?
 
いや、津波で家族を流された人達からすればふざけるなと言われるだろう。それらは外部から与えられた理不尽な死であるから諦められるのかもしれないものなのであって、「本人が選択し、死を受け入れた」などと言ったら怒り狂ってもおかしくはない。逆にどうして助かるのか意味の分からない人たちも数は少ないけれども報告されている。助かる人は助かっている。そこにあった幸運すら神からの贈り物ではないと汚してしまうことになりかねない。
 
はるかがループしていく間に、幽霊として啓太が現れ、結果的に彼女と彼は、ループの狭間に時間を共有させてしまう。啓太が生きて復活するということは、ループ中の彼と彼女の時間を否定することになってしまう。一緒にいる時間、本当に分かり合うということをもって、彼女は、カレの死を受け入れる。現実の受容は、奇跡でしかない。
 
たとえループが存在していなかったとしても。