式日記と経済展望:「ボーイング787」にかける〜
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20110709
 
 
普通に読むと、「炭素繊維は日本の3社が握っている分野。そのうち韓国に技術盗まれるんだろうな」って内容ですね。
 
社内ですら技術の共有をしたがらない人もいたりするもんですが、オープンマインドな人はワールドワイドで技術を共有して人類全体を活性化したい!とか思っていたりもするんですよね。そりゃあ良い人なんだろうし、知的水準は高いんですが、脇が甘いよなぁとなってしまいます。
 
ナショナリズムというか「国家主義」というのが古臭いものだとする思想もあるんですよね。
国家主義を越えて人類全体で統一的な方向に導かれるべきだ、みたいな。20世紀の前半は識者は大抵が左拠りだったわけですが、要するに国家主義の呪縛を嫌っていた。
 
現在もまたグローバリズム多国籍企業などの存在が「国家主義」を越えようとしているわけですが、一方で中国や韓国のような特亜の存在ってのが国家主義そのものなわけです。
国家主義的な視点では、他国との関係においてなんらかの優位を確保しておきたいのですよ。
 
まぁ、たしかに超国家主義的な立場・視点であれば、技術の共有は正しいことですので、パクリだろうとなんだろうと別にいいんじゃないの?という感じなのですけどね。
 
 
といっても、ドラッカーの「傍観者の時代」に描かれた様に、戦争になった途端に、左翼は右翼に転んでしまったわけです。どうも全員が理想を共有しない限りは、低い段階にひっぱられるような力学が働く気がするんですよね。特亜の国家が国家主義を貫く限りは、超国家主義は夢想でしかないのではないかと。
 
ま、物語なんかであれば、より多くのギセイを払った方が尊いなんてことになったりしますね。相手も同じ人間で多少は理解する能力を保有しているのを期待して「同情してよね作戦」でしかなかったりしますが。個々人の心情はともかくとして、大衆はそんなセンチメンタリズムよりも利益で動くものでしょう。
 
それもまぁ、戦後の勝ちパターンでしかないんでしょうけどね。可哀想な立場を振りかざして謝罪と賠償を要求する、みたいな。