H23/10/30
 
 
注:筆者の偏ってて誤った認識に基いて書かれております。
 
 
●説明
ゾーンと、宗教の悟り、武道・武術の悟りについて書きます。
 
●前提
存在する全ては「神」です。
 
 
●ゾーンとは?
基本的に人間の内観は信じられないものなので、複数の状態や仕組みが入り混じった現象だと思われます。
 
景色から色が消えるのは、単に緊張が高まって視野が狭くなったのでしょう。それほどの緊張を強いられた場合、マトモな結果が出せる道理などはありません。
 
このため個人的には「ツキ」のことだと思っています。絶好調で何でも出来るような気がする、実際にできてしまう。…………ツいてる状態そのものです。ツキについて一番詳しいのは麻雀戦士じゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 
構成要件としては「場のエネルギーを制御する」といった辺りでしょう。
流れとか波とか言われるヤツですね。真の問題は「場のエネルギーを制御する能力を、どうして人間は持っているのか?」という部分にあります。
 
「そりゃ、神だからだよ」と言って終わるのがクールじゃなかろうかと、ワリと本気で私なんかは思ってしまうわけです。「引き寄せ」なんかも一時流行ったのですが、「人間が神だとした場合、じゃあ結局は何ができるの?」みたいな疑問が背後にあったのだろうと思うところです。
 
場のエネルギーを実際に制御する方法ですが、そっちも分かりません。なんか出来る気がすると出来ますね。そもそもツキや引き寄せも単にそんな気がするだけかもしれません。というか、実は未来予知の力で、成功するときに感情移入しているだけかもですよ。じゃなきゃ世界線を選択してんじゃないですかね。
 
ここの目的のひとつは、ただの知識がいかに役に立たないかって話だったりしますのであしからず。
 
 
●宗教の悟りと、武術の悟り
宗教の悟りというのは、「私は神である」と実感を得ることです。重要なのは「実感」ですね。大悟と言われるものは長期間(生涯)悟りっぱ。小悟は私のように一時的に悟った感じになるものです。
 
武術の悟りとは、要するに無心のことです。(ああ、なんて簡単な説明!)
 
 
現代人向けに説明を加えていきます。
 
まず自我とかエゴとかは微妙に違っていたりして色々と面倒な説明が付くものなのですが、面倒臭いので省略してしまいます。「存在する全ては神」がこの世界のルールですので、これを無視している状態で定義付けしようとすると混乱をきたします。混乱しなかったら逆に変です。
 
自我とかエゴとかは、ここでは自分だと思っている自分のことです。つまり、自分が間違っても神だとは思っていない自分のことですね。自我は自分を神だとは思っていません。これが悟りやらに関わる問題の根本原因です。
 
宗教の悟りとは、自我を乗り越えることを意味しています。ついでに武術の悟りも一緒です。はて、どういう意味でせう?
 
宗教の悟りは、自我が「俺は神じゃねーよ」と思っていることを乗り越えて、「そうか、私が神だったのか!」と実感を得ることです。
 
武術の悟りは、どこに感動ポイントがあるのかと言えば、「自分で体を動かさなくていいんだ!」と発見する部分にこそ真の意義があります。無心になることで、無念無想の動きを体現するわけですね。
 
つまり、どっちも「自我に対するフォーカスを外す」のです。無心とは自我からの解放を意図した言葉です。自我を使わないようにすれば、無念無想の動きが出てくる。それは、自我が自分のことを神だと思っていないことであるため、あたかも神的な意識による身体操作法となるわけです。
 
つまり、普段は「自我による身体操法」で体を動かしているのに、「もうひとつの身体操法」を駆使することが出来るようになる、というわけです。
 
 
経験者として語りますが、自我からフォーカスを外すことが出来ると、自我を小さくすることが出来ます。自我こそが自分自身の意識で、個人的な意識だと思っていたのが間違いだったと知ることが出来ます。私は自我ではありませんでした。それが、本当の真実。
 
私の自我は口の悪い、文句ばっかり言う部分で出来ています。疑いだの不安だのですね。点のように小さくしても、恐怖から文句を言い続けていました。自我が消えてしまうのではないか?という恐怖です。それは自我の恐れであって、私の恐れではありませんでした。
意識を逸らすとその文句も聞こえなくなりました。私の本当の意識ってヤツは、自分の体サイズでも大きさが段違いです。自我は部分的な小さな意識だったのです。これが宇宙には無限に段階が存在している気がしました。部分と全体。私は常に「部分」なのでしょう。ほんのさわりでもこんな感じですね。
 
 
では、どうやって悟り、どうやって無心を体現するのか、なんですけど、それを選びさえできれば、そこに達することができるでしょう。どう生きるのか?を選択することが可能であれば、貴方は到達することが出来ます。なぜならば貴方は特別な存在だからです。無意識に必要な状況に運ばれ、必要な情報を得ていくでしょう。私の手助けは貴方には必要ないのです。むしろ、神である自分をとりもどしなさい、なんていうのは悪魔の誘いも同然です。お金儲けの手段ですね。
 
実は、私というのはフォーカスそのものかもしれません(苦笑) 存在する全ては神であり、私は何かにフォーカスするベクトルのようなもの、なのかも。
 
 
神である自分を知ると、自分の神に対するイメージに影響されるようになります。私の場合は、機械みたいなものでした。存在する全てが神であるとすれば、工場やあらゆる場所で黙々と働く機械も神だということになるでしょう。かなりの高確率でそういうことになってしまいます。すると私も段々と機械のようになっていきました。
 
今は、韓国とか嫌いです。おまえ、悟ったのに何を言ってやがんだ?とか思いますけども、そういう自分は結構、気にいってます。
 
下手するとこの世界は自我を育てるRPGになってしまいますけども、そういうゲームからはさっさと降りてしまってもOKです(笑)