雑記

 
安倍総理が集団的安全保障という言葉を別に用意していたので、集団的自衛権は本来の使い方でよさげ。しかし誰もまともに解説しないテレビって……。日本のこの洗脳っぷりってば、戦時中の負けてる時みたい。
 
●Free2期(京アニ
たまこラブストーリーを見ていないので、今年の京アニがどっち向いてるのか、まるで予想を立てられないという(笑)
Free1期といえば、腐女子向けのけいおんだった訳ですが、2期どうするんだろうね?という話でした。もう書く必要無いような気がしてきた。
 
まず「けいおん!」ですが、これは男子向けで、キャラ女の子だけ、競争もなく、日常への埋没感で成功した不思議アニメな訳です。震災前の最後のヒット作でしょう(まどマギはタイミングが微妙)
戦闘などのいわゆる「非日常」と対比されるところの「日常」ってものは、それ自体が「平和」であり、至極の目的であるわけです。まぁ、戦争だのの地獄を前提に見ないと、日常を「至極の目的」とかって言えるわけもなく、「平凡な」日常みたいな表現をされてしまいます。特になんも派手なイベントがない、という風になる。女の子の世界を描くこと、それを見ている男の側からすれば、十分に「異世界」と化していて、日常と非日常のブレンド具合というものがありました。学校という特殊空間による固有結界でもある、と。
 
比較対象としてのFreeは、女子向けで、キャラは主に男の子、恋愛もなく、わりと日常に埋没している作品であります。ネタバレだけど1期のラストに触れてしまうと、ルール違反して昔の仲間で組んでリレーやっちゃいました、という展開でした。レースの勝ち負けや競争、その他もすべて否定した終わり方で、まさしく女子向けのけいおん的な立ち位置を強化する「素晴らしい終わり方」でした(まぁ、ルール無視のやりたい放題を褒めるのは問題があるんですが、作品解説なのでご容赦願います)
モラトリアムというほど停滞でも、逃げでも、永遠でもなく、希少な時間帯としての意味ではむしろノスタルジーも含まれていて。競争を忌避するのだけど、協力や絆を表現する場としてはレース、リレーという少しズレた感覚。
 
2期では乱杭歯らしきハグレメタルが部長をやらされるというドS展開なのがちょっと面白かったですね。ちゃんとダメージ受けている痛々しさを出しているのも、たぶん「女子向けの正義」だろうと思います。やんちゃな子が反省してシュンとなってるときゅんきゅんするんとか?
 
問題は、主人公の似非ドラマをどうするか?ということな訳です。基本ラインが「けいおん!」なので、競争の否定っぽいんですけども。
 
Freeがどうあるべきか?と考えると、要するに「超気持ちイイ!」をやるのだろうし、目指さないといけないのですね。それを目指さないのなら作品にする意味まるでないし。
文脈的には、「最強」と「最高」の対比ですね。対人戦闘などの最強描写だと、相手の技を封じたり、無効化したりの「封力」という要素があるので、必ずしもMAXパフォーマンスとはいきません。漫画での傑作的描写というと、北斗の拳でのケンシロウラオウの戦いが最終的にダダッコパンチと堕した「技術の敗北」シーンとかですね。まぁ、メッチャ熱い描写ではあるんですが、最強描写の到達点がただの殴り合いとかダダッコパンチかと思うと気持ちが萎えて逝きます。極めた者同士の究極の戦いはああなるのだ!とか言われてもうるせーよ!と(以下略)
そんな感じで競争・闘争による「最強」を否定し、ひたすらMAXパフォーマンスを追求する「最高」を選択する、のが基本ラインになるべきです。すると「ライバル」はどうするどうなる?などの問いが出てくるといいなって思うわけです。「競争」はMAXパフォーマンスにとって不要なのかどうか?といった展開になり易い訳ですね。修羅の門だと、ボクシングの時に「結果的に殺しただけ」「だから怖くない」とかの最高vs最強みたいな展開もあったりしました。超キモチイイッ!に到達するためには「結果的に金メダル」みたいな(笑)
いや、予想じゃなくて願望です。不思議な作品を目指して欲しいところです。一見するとバトル展開なんだけど、競争による勝利を否定し続けて至高の高みを目指す…………無理でしょうね(苦笑)
 
 
●赤松先生へ
申し訳ございませんでした。orz
ツイッターで2回も謝ってて、自分の責任「も」感じたので。まぁ、無茶苦茶に怒って文章書いたりした過去がね、もうね(てへっ)
 
でも編集者に対する文句は無しにならないんだけど(え?) 講談社で高い給料貰っといて、ロクにチェックも機能してないとか最低だね。担当作品もまともに読んでないような使えないやつは死ねばいいと思うの。もう絵に描いたような使えなさだね。無能って無個性だから似るんだよなー。パターンが少ないからどうしてもね。量産型。でもザクは優秀だからザクとは言わないよ。
 
といっても、今回は怒っておりませぬ。問題にしているのは、グレンラガン4話炎上を引き合いに出した「コレクション価値へのダメージ」なので、そこまでひどくないし。フェイトの顔の件ではむしろ楽しみにしていたぐらい。優秀な作者がイベントに変えちゃったからなぁ。巧いよね。
 
しかし、UQは完全に「ネギまクロニクル」でもあって、あんな考察記事なんて書かなきゃ良かった〜、ぐはぁ〜とか思わなくもないです。「俺の責任です、ゴメンナサイ!」が極めつけに失礼なのは理解しているのだけども、ネギま!が唐突な幕引きになった影響とか影響とか影響とか。俺こそ死ねばいいんじゃね?みたいな。
考察によって作り手を縛り付けるようなら、消えるべきだと思ってたんだけどなー。あの「サブカル分かってないと最新の作品は書けないでしょ?」みたいな雰囲気とかが嫌でさ。いえ、わたしくめが影響力を持っているということ自体が考えすぎなのであって。いっぺん上条さんに「そげぶ」してもらわなきゃいけないと思っております。orz
 
段々とUQが楽しくなって来ていて、キャラも揃って来たし、毎週たのしみなのです。キリエもいい。あのちっちゃい子感とか。手足短いとことか(壊れた?)ぶん投げられて、フェイトに「びたん」みたいなのとか良かったなーって。それと、重力剣が魔法の武器というよりも、もう宝具とか宝貝(パオペイ)のレベルになってる。凄い。今週の戦闘シーンも見応えあったし(20P!)
 
……サイボーグによる不老化とかねー。月詠が出てきたことで、あの頃のメンバーが他にも出てくる可能性が出てきたわけだけど、出てきて欲しくないような気もするし。個人的な問題点は、要するに千雨、というか人類決戦存在が出てこない作品にそこまで思い入れが発生しないってことなのだろうねぇ。キリエが千雨に似ているから良く感じるのも分かっている。でも、キリエは違うんだよね。あの能力で決定的な状況を毎回どうにかするって話になるわきゃないし。
 
申し訳ございません。