雑記(コンテンツの横断性)

 
 
●テイルズシリーズの炎上から
人気シリーズ潰し、ご苦労様です。さすがバンナム、悪どいことを平気でやってのける。そこにしびれるあこがれる。(憧れねーわ、バカか)
 
ちょいコンテンツの在り方について考えたいと思います。今回の件だと、バカのやる失敗と、頭の良い人間のやる失敗とがあんのかなぁ、なんて考えてしまいます。まぁ、失敗してんだからどっちにしてもバカなんだろうけども。全部を自分の手でコントロールしているつもりなのかなって思ったんですよね。
 
そういう「コンテンツの神聖性」を無視した結果じゃなかろうか、なんて思うわけですよ。作品というヤツには、作り手にはコントロールできない領域があると思うんですよね。
神聖性なんて言葉を使うと、ちょっと宗教めいて見えるだろうとは思うんですが、私の考えるところでは、ロラン・バルトのテクスト理論でいう「作者の死」というヤツがベースにあります。
 
作者の考えている正解が、真の絶対なる正解の読み方だ、とする考え方がありますが、それは違う、と反論したのが「作者の死」です。
物語というか、コンテンツは、読者や消費者、ユーザーのものである!とするのです。考え方としては、暗号に対する「デコード」が近い。読むことによる、創作なのです。個々人のそれぞれの読み方が、その人独自の、唯一の物語を創りだしているわけですよ。作者が何をどう書いたとしても、読者がどこで感動するかは分からない、予想できない部分がある。読者が読むことによって、完成する。それがコンテンツの性質というべきかもしれません。
外部に対する応答としてみれば、ペルソナもそうだし、ポストモダンそのものですね。
 
神聖性というよりは、横断性という言葉を使うべきかな?と思うんですけどね。コンテンツには横断的な性質がある、と。お金を払って買ったユーザーは、ある種の権利を持つ訳ですよ。いや、だからって著作権者の権利が失われるわけではありません。ただ、両者がそれぞれ権利をもっている関係であって、ユーザーは、たとえば気に入らなかった本を破いて捨てるぐらいの権利は当然にあるわけじゃないですか。行間に文章を書いたっていい。自由です。ただし、そういう行為をネットで晒すと微妙なことになっていきますけども。
 
こうした神聖性や横断性を無視して、好き勝手にやっていい、という態度は反感を買うのではないかと。ユーザーが好き勝手していいわけでもなければ、作り手側が勝手なことをしていいとも思えない訳です。作り手側が騙してお金を得る権利はない。ふざけたことをやったら報復されるのが当然です。暴力のような直接的な制裁ではなく、人気コンテンツシリーズの死といった形で。
 
まぁ、バンナムはあんまり堪えてないんじゃないかって気がしますけどね。私は当然、買いません。