雑記

 
 
●家族ノカタチ(ドラマ)
香取と樹里の日曜TBSドラマ。最近のTBSはけっこういいドラマやるようになってるけど、これは種類としては嫌いなタイプ(笑) でも見てしまう。
文脈や展開は阿部寛の「結婚できない男」にかなり近い。あれは未婚女3人でのハーレムものだった。結婚できない男がいれば、対応する女も結婚できなくなるわけで、話としては「結婚できない女」が裏テーマになってた。普通に考えればヒットした話の二番煎じだろうしね。
 
家族ノカタチでは、2人とも主役をやっている結婚できない男の香取と、結婚できないの女として上野樹里がダブルで配置してある上で、家族をテーマにして騒動を起こしていく。
 
香取が性格悪い役をやっていて、それが凄くマッチしてて面白いんだ。これが地の性格なんじゃねーの?って言いたくなるような役。それを「演技だからね?」って言い訳できるようになってるところが地味に良い。近年では最高のキャスティングだと思う。香取慎吾として、この作品がもっとも重要な作品だろうなと思う。
ちなみに昨年5月には香取ってだけでドラマ観る気がなくなるぐらいのことを書いているので、まったく真逆のことを書いていたり。鼻づまりみたいなネチャっとした声って、ヒデェ(苦笑)
 
ポツッ、ポツッと優しさが出てくるのも良いし、上野樹里の役柄もバランスが良い。展開的にちょっとありえないぐらいの偶然が重なっていくんだけど、それがただ幸運のカタチはしていなくて。優しい作風。 
 
 
SMAPの騒動について
いちおうこっちにも触れるんだけども。正直、あんまり興味もなかった。感情移入するのは木村の側だったしね。
カッコ悪いんだよ。解散したりとか、バラバラになるの。芸能界とかそんなのしょっちゅうあることだし、解散に特段の意味なんてない。もう最後までSMAPって形で終われたら、やっぱそれが一番カッコイイんだよね。
15年ぐらい前はキムタクが一世風靡してて、キムタクありきの時代もあったわけだから、キムタクが一番形に拘らなくていい立場だった。それなのに、そのキムタクがSMAPって形にコダワリみせたってのが、いいなぁって思ったよ。色んな意見もあるだろうし、詳しい事情とか分からないからどうかは知らんけども。
 
 
●清原の麻薬
これ、いつから使ってたかも問題だよ。現役時代から使ってて、覚せい剤使ったからホームランが打てたんだとすると、覚せい剤使う方がお得になってしまう。
 
そういう意味だと、清原の現役時代の記録を全て無効にするぐらいのことを考えないとアカンくなるでしょ。清原にはそんなに興味もどうこうもないんだけど、全記録抹消、もしくは参考記録にしちまうとしたら、けっこう凄いことになるけど、場合によってはそうすべきだからね。
 
現役のプロで活躍するのに、覚せい剤でブースト掛けられるんなら悪くない賭けだべ。逮捕されるリスクがあっても、年俸で何億か差が付くならやらない手はないってことに成りかねない。この問題を放置するのは、あまりにも無責任だ。
 
 
覚せい剤もそうだし、ドーピングのこともある。自分の血液を事前に保管しておいて、本番前に再注入する血液ドーピングなんかもある。何でダメなの?というと、フェアじゃないってことか、健康を損なうからっていう曖昧なものに留まる。
これの弱い意味で同じ方向性にあるのが、たばことかね。タバコ吸ってても強い選手はやっぱり強い。タバコによる害が、敗北の決定的要因になるレベルの差とはならないからね。そんなレベルまで鍛え込めないっていう(苦笑)
 
ルールのある競技はともかくとして、ノールールの世界では使えるものは使えばいい、としかならない。目的をどう設定するか?という問題でもあるけど、生死に関わるならまた問題が深くなるからね。その場で勝つためにドーピングするけど、長期的にみたら身体を壊してしまうという条件でも、その場で死ぬよりはマシということになりそうなもんだ。警察の御世話になる、犯罪者になるリスクという意味で考えても、「勝つこと」と「正しく生きること」のどちらを目的として上に置くか?という話はそんな簡単には決められない。経済的な成功←→貧困とが関わってくるなら、負けて貧困より、犯罪者かもだけど勝って裕福を選ぶことはそんなに不思議な感覚だろうか。もちろん否定はしたいんだけど、否定する根拠は正直にいって薄い。薬やって成功して金儲けて、女とウハウハ。クスリを我慢するべき理由はこれと釣り合いますか?ってことだよね。それは個々人の倫理だのの価値感に依存しすぎてると思う。
 俺がここで清原の記録を抹消すべきだと言いたいのはこれも理由にあるわけ。なんで犯罪者の記録を残してやる理由があるの?ってことだよ。まだ結審してないから対応するには速いにしてもだ。犯罪者に優しい世界ってのは、薬をやった方が有利な世の中ってことだからね。トップのスーパースターにしか価値がないのなら、クスリやれって押し付けているのは誰だってことだ。
 
人間の身体には、クスリで擬似的に再現しているものが、本来的に備わっているはずだ。クスリに頼らなくても突き詰める方法があると思う。そうして未知を信じることが正しい道かはわからないけど、少なくともクスリに頼るのは負けた人間の思考だ。その先にあるはずの、クスリでは到達できない領域を捨てて、表面的な勝ちを求めた結果だからだ。
 
評価する人間の責任は重いんだよ。無様な人間に価値を与えてはならない。クスリに頼って良い成績を出しました、良い作品を創りました、そんなのに価値を与えてはならない。……そんなのに区別なんて付けられないんだけどね(苦笑)