雑記

 
1500万の借金返済に追われています。エクシリア2でだけど。
 
・エルビーのヘンなジュースを時々飲むんだけども、スイカオレが意外と美味しかった。
イカって、食べたくない時はまったく食指が動かない。今年食べたのがけっこう甘かったのもあるのかも。パッケージによると、台湾だとスイカオレ飲んでるらしい。エルビーだとハズレてもご愛嬌だけど、うん、もう一度ぐらいなら飲んでもいい。
 
・マツコの冬のアイス世界で、アイスの実スペシャル版を紹介してて、コーヒー味を寒い中でひーひー言いながら食べたのだけど、アイスの実の普通のを食べたことがなくて。たまたまブドウ味のアイスの実をたべたら、ドハマリしてもうて。だって果汁っ!な感じやん。
キウイは舌が痛くなるからアレだけど(俺だけ?)梨のもおいしい。バナナはちょっと「これ、違う」って感じ。ちょい溶けかけのブドウ味が最高に美味いなぁ、と。食わず嫌いとかアカンね(苦笑)
 
 
●PS Vitaに流れが来ている感じ(?)
全体的な流れとしてはPS4に向かっていて、今度4のバージョンアップ版のNEOの発表も控えている。さらにはPS VRをプッシュする展開で、Vitaのポジションはかなり微妙。というか完全にイラン子してるんだけども、どうもこのイラン子になったタイミングで隙間というか、ニッチ空間というか、イノヴェーティブな場が形成されているっぽい。たぶん、日本産の面白いゲームはVitaから生まれるんだと思う。既にルフランとカリギュラが現れてて、評判良い。
 
個人的にエクシリアやってるのは、PS4の移行を考える時期に来てて、PS3の名作ゲーを少し荒らそうと思ってのことな訳ですよ。でも、Vita買ってないのよね(苦笑) ゲーム好きなら今の流れだと絶対にVitaをやるべきなんだって分かってるんだけど、考察脳でいうと、全体の流れは完璧なまでにPS4に向かっているんだよ。いまさらVita買うの?みたいな(笑) だって、Vitaのボーナスステージがいつまで続くか分からないんだよ!……よ!
 
ずっと続いたりして、な orz
 
ブームとかじゃなくて、定期的にゲームを買って遊ぶ、ゲームがメインの趣味の人がVitaを買い支えているのだと思う。買う人がいれば、作る人がいる。そうして市場が形成され続ければ、しばらく続くかもしれないんだよね。スマホゲーより本格的に遊びたいなら、Vitaってことでしょ。
あー、イースやりたい。
 
 
・エクシリア2、けっきょくやり始めてもうた。まさかのガイアス参戦で、アルヴィンとか使わなくなったという(笑) もうファランクスばっかス連射してる。キャラ的に情けないアルヴィン見てるの好きなんだけどなー。それとローエンね。ジジイ熱過ぎでしょ。「後悔している時間がないから必死です!」なんていわれたら、ローエンから目が離せないじゃないさ!(でも戦闘では使わない。特にボス戦ね。すぐ死ぬんだもん)
 
 
●スマップの解散報道
今回の件で決定的に中居が嫌いになったとか書こうとしたら、香取が原因?みたいな話もあるらしくてやっぱりよく分からなくなってもうた。
そもそも、年齢的にもう第一線が張れる歳でもないんだろうし、嵐にシフトしていくのは分かる。そうしてみると、目的の設定とかが問題だったのかな?とかに思考が流れていくんだよね。流石に「芸能界で生き残る」とかを目的になんてしていないだろうし。じゃあ、ここ20年近くトップとして走り続けた彼らの目的とか目標はなんだったんだろう?と考えることになる。それ、もしかしなくても惰性だったのではなかろうか。本来なら、目的意識なしに人間の集団が結束することは難しい。けれど、トップの重圧やらが、システム的に彼らを纏めさせた可能性があるんじゃなかろうか。解散したアーティストが再結成するのは、金が無くなったから「もう一花」みたいなのだろうと想像が付く。でもトップを走ってたスマップとでは条件が違い過ぎる。
そうなると、トップチームだったことが年齢や嵐の台頭によって崩れたのが本質的な原因かもしれない。……みたいに想像することもできる訳だ。周囲のスタッフの態度も全然違ってくるだろうしね。スマップという役割が終わったから、彼らをチームとして纏める周囲からの圧力が弱まったのかもしれない。
とはいえ、正直なところ、25年に及ぶ超長期のチームビルドという風に考えれば、極大の大成功という見方そこが正しいはずだ。日本人でスマップが分からないなんてのは、よほどテレビを見てない人ぐらいのものだろうしね。あれだけの成功を収め、それを長く持続させた。偉そうに何か分かった風なことがいえるわけがない。という風に言い訳を置いとく必要もあるわけだ。大人の配慮的な?
その上でだけど、なんぞ下から崩れてる感じがある。上とか下とかの言い方も変だけど。木村・中居というリーダー格の確執というよりも、チームメンバーの「もう無理」だったからの解散なんじゃないかな。
グリムガルで例えると、ランタが問題を起こしても、ユメとかシホルが我慢できる内は大丈夫というか(苦笑) グリムガルは帰る為、生きる為にはパーティー組んで戦う必要がある訳で。
 
個々人の性格の問題とかのせいにしたがるのは良くないのかも。仲良くやろうとする内部的・性格的な問題の他に、チームをまとめるためには外部的・システム的な圧力が必要なのかも。熱意とか情熱とかでスタートを切るのは分かるけど、熱意でなんとかなる!とか思うのはどうなのかな。
書きながら、そんなことを考えたのでした。
 
 
●国家はなぜ衰退するのか
まだぜんぜん読み終わっていない。エクシリアで忙しくて(笑)
ただ、今の段階の自分の知識と照らして考えていたこととは違ってきている。これも説明するのがけっこう手間なんだけども。
私がグローバリズムに反対する理由が文脈的に成立しないのは分かってきた。グローバリズムでは勝ち組が勝ち続ける仕組みが働く。だから、韓国がやってるみたいに、国の規模で人材から何から集約的な企業を作って勝ちに行く方が王道的な戦いになる。
グローバリズムの問題点は、自由貿易そのものにあって、外国の企業の侵略的な攻撃から、国が守ることが出来ない点にある。対抗する企業を支援することはできても、直接的・防御的・排除的な守り方ができない。関税が掛けられなかったり、規制をすることが出来ない。国防でいえば軍隊がいなかったり、弱かったりしたら、一方的に殺されるしかない、という意味だ。とある国の総人数が少ないだけで随分と不利になるしかない。発展途上国ではとある産業を発展させる余地そのものが奪われる。侵略的な勝ち組企業はたくみに依存心を高め、相手が力を持とうとするその芽を潰してしまうからだ。
 
でもこれは、国の政治がまともな場合に限られる。大抵の国家は収奪的な政治制度を持っている。グローバリズムのデメリットは、メリットでもあるからだ。国の政治制度を飛び越えるメタルール、それがグローバリズムだ。グローバリズムが走り始めたら、特に収奪的な国家・制度を飛び越えて、経済というゲームに矯正参加させることができる。それは、主に収奪的な政治制度に苦しめられてきた世界の大半の国家にとって福音足り得る可能性だったりするのだろう。
理想的なインターナショナリズムは、グローバリズムの欠点を克服できる。しかし、収奪的政治制度下にある国家とその大衆にとって、インターナショナリズムは収奪の継続しか意味しない。
 
しかし、この本の醍醐味はまた別にあるような気がする。日常で感じるようなちょっとした違和感とか問題が、そのまま政治制度や国家規模の問題と直結する感覚というか。インセンティブとか頑張る意味ってヤツだね。インセンティブって知ったか言語過ぎて嫌いだったけど、ちょっとイメージ変わったなー。まぁ、まだ読み終わってない感想だから、また変わるかもだけど。
 
 
ポカリ飲まなきゃ!、のかわりに、アニメ見なきゃ!なので、今日はここまで。