雑記(ゆる身体論)

 
天才の天才による天才の天才が、天・才!!
 
●完全版「本物の自分」に出会う ゆる身体論(高岡英夫、さくら舎)
あかん、これマジであかんヤツやと笑うしかない。
また2つぐらい次元かなにか突破してんなー。ガチで天元突破ですかい。先生ェ……。
 
星5段階評価で、総合星7ぐらいだったものが、星8にアップ。ますますご健勝かと思われ。
 
高岡英夫とか何者か。簡単にいえば大天才。日本とか世界では比較にならないので、歴史クラス。
日本の運動理論はダントツの世界最高峰で他国の追随を許さない水準にあるんだけど、それはこの人が1人で異次元の彼方まで突っ走っているからだ。先生がご存命の間はともかく、ご逝去された折には、世界比較で中の下程度までダウンするのは確定している。他国どころか、この国にも追従できる人がいないんだよなぁ(苦笑)
 
個人的に読書という意味では最優先なので、入手と同時にエマニュエル・トッドも放り投げて読み読みしてます。半分ぐらいまでだけど、これがあまりにも素晴らしくて。面白いとかの段階は超えて、感動・爽やか・美しいなどを使わないといけない。
ここ数年は読んでいるだけでゆるみ度が高まるレベルだったけれど、今回は久々の大著でもあり(装丁とかの話はしてない。あくまでも内容)なんとも「涼やかな風」がふいている。
もともと天稟・才気で並ぶもの無し。武術家としてのサガもあってか、過去の著作では鋭く切り伏せてしまうところがあった。だから、あの才気を求めて読む人は随分と丸くなったもんだという見方もあろうかと思う。しかし、破壊から癒しのクオリティに変化しただけで、衰えたのとはまるで違う話なのだ。
 
細胞から始まる理論展開は、大統一理論の趣きすら感じさせるではありませんか。
また、ゆるむ・たるむの所では、まるで言葉遊びのよう。言葉遊びというと悪いイメージかもしれないが、天上にして極上のたわむれだ。言語と認識の関係を見事に捉え切り、しかし変えようとする強引さではなく、日本語に寄り添いつつ、あるべき姿を浮かび上がらせている。素晴らしいし、凄まじい。「天才の言葉遊びで、踊れ 囚人!」とか思ってしまうね。(なぜカロリーヌ?)(おふざけは引用されるのを避ける目的もあるんですけど、なんとなく語呂が良かったからというか。気に入ってて)
 
この水準のものを正しく理解できる人がたくさんいるといいなぁ。私は当然、理解できる自信も自負もあるよ。20年も追いかけていれば隠れている文脈もだいたい分かるしね。もうアマチュアで高岡英夫研究やってるみたいなものだから(笑)
 
この、先生を誉めそやす甘美さと来たらないね。天上の理・天上の美を推し量ろうとすれば、宇天の外に出るしかないのかもしれない。モーツァルトの楽曲とも似た、無上の喜びを無意識に感じている可能性とかありそうな気がして来た。もう「誉めそやすだけのマシーン」(トミノ)になってしまいそうだ。ああ、もう、天才天才天才天才天才!(246)
 
しかしあれだね。韓国は大嫌いだけど、ひとつだけいいなぁと思う点があったよ。ヌルヌルヌプヌプ体操のことだ。名前からしてどこかいやらしいではないか(違う)
くっそー、俺も権力が欲しい。権力があったら、ラジオ体操とその既得権益をなぎ倒して、ゆる体操を国民体操として押し付けるのになぁ! 幼稚園から小・中・高校と、むりくりにでもゆる体操をやらせたい。夏休みはゆる体操でハンコを貰うように変えて、英才教育で真のゆるエリートを育成したいんだよ! テレビでも番組と番組の間の5分とかの時間にゆる体操の映像を朝・昼・晩と強制的に放送させて、日本国民をガチで洗脳したいんだ。別に洗脳したっていいじゃんか、多少の依存性はあっても、プラスに働くだけなんだから。だいたいいくら勉強させたって、身体性で限界が規定されてんだから意味ないんだもの。ゆるめる→勉強する→ゆるめる→のサイクルが必要なんだよ。
 
だって、あれと同じだよ? 子供の頃に動物性たんぱく質をちょっと多めに摂取すると、遺伝的限界まで身長が伸びるみたいな話(いつまで牛乳とかいってんだよなぁ?)それとまったく同じで、ゆるでちょっと人間の限界性能を引き出したいだけなんだよ(ちょっと限界性能w)愚民どもに叡智を授けてみたいだけなのだ、それがなぜ分からん!(CCA)
 
まぁ、こんなヤツに権力をゆだねてはいけないと自分でも思うけどな。やはり新興宗教の教祖か?(馬鹿)
 
もしかしてキャッチーな音楽に乗せて踊る「ゆる体操第一」とかが必要なのかもしれない。PPAP?