雑記(SAO映画)

 
 
ソードアートオンライン オーディナルスケール(映画)
免許の更新に行くついでに映画に行ってきました。おっぱいが凄いっていうから敢えて見てきた訳ですが。
……騙された。 orz
 
あの描写でおっぱいって、どんなレベルで感情移入してるんやとか思いますが、そんなこと考えないでみましたよ。
 
なんていうか、やっぱ映画館はもう集客システムとしてもエンタメの装置としても一段階古いね。平日の人のいない時間帯なのに、近くの客はうるさいし。映画開始直前までどうなるか心配しちまったよ。始まってからは流石に日本人同士なので大丈夫だったけど。最近はそういうのすら信頼できないからなー。
どうして密集させてみせようとするのだろう。そりゃ決まってるか。真ん中付近の「一番いいポイント」が限定されてるからだよね。それと椅子に座って同じ姿勢でみるの厳しい。身体をずらしたり、動かしたりも最小限しかできないし。恋人がいるならともかく、1800円だかも払って他人と映画みるのしんどいんですけど。やっぱ、おうち最強だよな?(P5ネタ)
 
1800円+ストレスというコストまで使ってみるべき映画かというと、どうだったろう?(苦笑)
お祭り映画だし、話題の牽引とか何と戦ってるか分からない人も多いので否定まではしませんが。
えー、内容にも触れんと何で愚痴ってるかっていうと、支払ったコストまで含めて映画体験だから書いてるんですよ。新しくないと映画館で見てもらえないんですよねー?って。逆からいうと、自分が見た映画は素晴らしいと思い込みたいという心理的なバイアスを打ち消す作用を持たせるためでもあります。前のエントリーで仁王もクリア補正で評価アップしたと敢えて触れてるのと同じものです。★4と★4.5じゃまるで別モノでしょ?
 
 
……しまった! ネタバレどうしよう。そうだよ、ネタバレ避けるためのおっぱいだったのか。あー、不味いな。ここで終わりにすると映画システムの愚痴だけになってしまう(笑)
 
まぁ、いいか。ウチはネタバレ上等なので、時々は書いちゃうのです。閲覧数が少ないのが強みのひとつなので。
 
はい、ネタバレしまーす。↓↓↓ 
 
 
 
○最強キャラ故の苦悩……。作者の苦労がしのばれる良作。
大筋はキリトくんが俺TUEEE!ってしてハッピーエンドっていういつもの話なんですけど、そこに辿り着くまでに色々と納得のいく仕組みを構築する必要があるんですよね。だって俺つえー系は全部このパターンなんですから、そこを否定するのはナンセンスですよ。みんなそういう話を期待してんですから。じゃあ、出来の良さをどこに持ってくるのか?ってことになる。そうするとそこで色々と苦労とか工夫が必要じゃないですか。特に良く出来ていたのは、動機の構築でしょうね。戦う理由があるのか無いのか。某売れっ子編集のメソッドなんでしょうけど、さすがでした。売り物にするってのがどういうことなのか分かってる感じがします。
 
敢えて引用しますけど、おっぱい言ってた物語三昧のペトロニウスさんが、構造が神話的だと言ってたんですけど、どこかがそうなのか?というと、1巻のデスゲームだった最初のソード・アート・オンラインの、浮遊城アインクラッドでの戦いが、半ば黄金時代、伝説として存在しているからだと思われます。SAOサバイバーなどの表現で、デスゲームが強調され、もう戻れない神話時代のように機能しているのでしょう。これはログ・ホライズンの「茶会」も同様の構造だと指摘できそうです。
 
悪側の動機が明確で、そこから出発した物語の結果に、主人公が巻き込まれていきます。←この部分が軽く受け流されてしまいそうな簡易な一文なんですけど、考察として一番重要な全部になります。大事なので強調しておきます。
そうして巻き込まれた主人公に「動機が生まれること」で物語が真に駆動していきます。どうやらこれが基本にして真髄、といったところではないかと。
 
悪側の動機は映画館でドウゾ。
単純に悪とは言い切れない願いでしたが、手段は明確に悪でした。 
 
○行動と動機のズレが物語を生み出す
ARマシン、オーディナル・スケールでのゲームに対して、アスナとキリトの行動がズレていくんですよね。あんまり乗り気じゃないキリトという図。この辺は作者が狙ってやらせてる行動なのです。
ひとつには、共倒れを避けるようにすることが目的にあります。アスナがゲームに参加する理由・動機もきちんと設定されていますが、しかしアスナ・キリトの最強キャラ2人が同じ行動を選択すると、初手で共倒れになる可能性があるので、キリトのイケズは実のところ最強を描く上で必須のものです。行動選択を別々にしておくことで、生存率を高めています。
今回の映画はアスナが犠牲になって、キリトが助ける形でしたが、ここだけを見てしまうと、毎回アスナが犠牲になるパターンなんでしょ?と単純に考えてしまいます。実際には、アリシゼーション編はキリトが犠牲者になっていて、アスナが助けに行く形になっている。ここは作者的には重要なので、絶対的に意識していた部分のハズですね。単純なマッチョイズムでは共倒れです。しかし、結構不安にさせる描写だったりするんですよね。一緒に居て楽しくなさそう、みたいな(笑)
それ以外にも、イヤイヤ言っておいて、乗り気になるのは定番パターンですね。こっちは様式美とかの話なので割愛します。
 
○必死すぎる「最強主人公」の図(笑)
今回の映画でよかった点のひとつがこれで、ゲームクリアしてアスナを助けるために、キリトが必死の形相で戦うシーンがあります。あれがね! 作者にお見事といいたい。あの必死さはお遊びのゲームをしているヤツには分からないという境界になっています。最強キリトは、必死すぎる存在ですよという客観的な認識を形成するシーンです。余裕ぶっこいたカッコイイヤツなんかじゃないっていう(苦笑) もっというと実際には最強であるかどうかすら怪しい訳です。お兄様こと司馬達也に比べたら、キリトが最強である根拠は薄弱です。だからああしたコミットメントの度合いの差を明示しているはずなんですね。そんな必要があったかどうかってのですけど、誰よりもコミットメントしているから、誰よりも「主人公」ではあるのです。一時的にカッコ悪くても、それが「必死になれるカッコ良さ」に転換されうるという。
リアリティの形成もあのシーンで随分と上がったでしょう。ダメージを食らって死ぬかどうか?というギリギリの描写とかにも意味が生まれていた。こうしたひとつひとつが丁寧に描写されている部分は素直に評価したいと思います。
 
 
●総評みたいなもの
おっぱいっていうから見に行ったのに(しつこい)
絶望的な状況で挑むラストバトルというか、レイドに対するコンプレックスがありそう。
それと、やっぱりオールクリアしてない影響で、アインクラッドの上層ボスとか使いたくなるんだろうね。
AR関係でツッコミどころはいくつもあると思うんだけど、逆にVRの簡易版だってことである程度は決着するかなって。モンスター相手はともかく、人間同士の戦闘で打ち合いとか防御とか無理っぽいのは良く分からない。
動機周りの作りが丁寧なこともあって、重厚感のある良作でファイナルアンサーだろうと思う。見事にSAOでした。
 
……点数? おっぱい指数はそんな高くなかったよ。政権交代とかしてないです(しつこい)