149話 世界を救う英雄は

 
●UQホルダー
コミックス17巻の続きが、今日発売の別マガで読める。そんな告知は見かけなかったけども。
 
17巻は先月の148話まで入っていてオススメなんだが、今月の話はなぁ(苦笑) 悪い訳じゃないんだけど、どうも刀太のことを思うと素直に見られないというか。片思いの相手がジジイに奪われる話じゃんよ。キリエを本命らしくしといてからってのがどうもね。この辺りのバランス感覚が赤松先生の悪辣さの証明だろうと思ってしまう(うんうん)
 
ベルセリアで出てきた概念でいうと、公器ってことだわな。英雄は王侯貴族的な階級制度や社会システムとの親和性が高い。この辺りは物語三昧のペトロニウスさんがいろいろ書いているからそちらをご覧くださいなんだけど、まぁ、影響が見られるよね。
 
 
ちょっち別枠で個人的なネタバレ(バラシ)をするんだけど、大塚英志が「キャラクター小説」という枠組みを作ったと思うんだが、「ストーリー小説」と「キャラクター小説」というものがあると考えると、それと対応関係にあるのが、「貴族文化」「大衆文化」だと個人的に考えていてね。
英雄だのは貴族文化的なもので、ストーリー小説に向いている。神話分析の千の顔を持つ英雄(ラカンアーティファクトじゃなくて、元ネタの方ね)なんかの方向性で、王殺し=父殺し=力の継承=神殺し、みたいな文脈とか葛藤とかね。ストーリー小説では、役割だの物語の展開だのは大枠で決まっている。物語能力の高い人ほど、無意識に神話分析通りの物語を描くことができる。売れる作品は神話分析通りの展開になるのも分かっている。正解は決まっていて、それを表面的なアレンジをしつつ「なぞる」能力が、物語能力の高さでもあるからだ。より悲劇的に、よりドラマティックにするためには、普通の人ではダメで、英雄とか勇者とかなんでもいいんだけど、王子とか姫とかの方が圧倒的に向いている。選ばれた人々の物語なのだ。それを責任のない大衆が眺めて楽しむものなわけだ。
 
キャラクター小説の方は、大塚英志の方法論はともかく、けいおんだのの、ひらがな4文字タイトルでメインキャラ4人ものとか、学園ものとか、山とかオチとかが足りない系統のものと親和性が高い。山とかオチとか葛藤とか作りたくても、王子だの姫だののキャラ設定が強くないありふれた一般人、大衆の話だからね。これはキャラクター同士の会話・やり取りをメインのウリにしていく影響から、キャラクター性が大切になってくる。これをまとめてぐるぐるっとして考えると、最近ちょこちょこ書いている「類人猿分類」の話に繋がっていくわけだ。個人的に類人猿分類はキャラクター小説の書き方だろうと思って見ている部分がある。なんで類人猿分類の話をするのかっていうと、現実の人間の性格傾向はそんなにパターンがないだろって思っているからだ。血液型占いだのはそりゃバーナム効果だろうけど、逆にいうと、個々のパターン・ペルソナはバーナム効果で十分だと思うのだ。見たことの無い、奇想天外な性格していても、それに他人は対処できないからだ。対話が成立するところ・自動的な対処に結局は落ち着く。変人なら変人扱いということだ。この話の難しい部分はもっと別のところにあるんだけど、ともかく、売れている作品のやりとりの面白さと、キャラクター傾向を分類すると、大してパターン数があると思えないというか。そういう自由度の低さは、神話系の物語傾向と似ていると思う。
 
もうちょっとまとめてから書きたかったんだけど、たぶん面倒くさくてやらないだろうから、出しちゃえって感じでやりました(笑) べつに特別なことは書いてないけどね。
そんでもって、これらの思考の上に立脚して今回の話を眺めてみると、ネギの英雄っぷりを表現するのに、無私の人格を付与している。公器だね。それを利用して、完全に計算の上で、女を落とす方法論として描いている。悪辣。余りにも悪辣。さすが赤松健(敬称略)、やることが汚い。しかも最悪のやり方ですわ。40年も真面目に我慢を続け、そのまま死にに行こうとしている。だったら私がお前のご褒美になってやろう!でエッチとか。黒歴史級のメロドラマ展開。さすがにこれは個人的なドラマ嫌いが発動してドン引きですわー。しかもアリカとダブらせるところなんか、あまりにも汚巧い。きったなうまいわー。エグいわー。卑怯だわー。
 
展開的に小休止だし、エヴァを中心に葛藤を回しているからだろうけど、父親が生きてることにすんのかなー? その辺はちょっと読めないなぁ。どうせ負けるって決まっているんだけども。
 
うーん。怨霊体か、怨霊体ねぇ。