雑記

今回は、備忘録的なもの。考えてることのまとめとか。
 
 
〇総合呼吸法の連載が終了(秘伝)
「最初の方の伏線が回収されないで終わった」感が凄いあるんですけど。高密度呼吸法(造語)の話するんだと思ってましたよー。残念。軸周呼吸が目標ってなっていたので、方向性だけ示してエンドでしょうか。対談回でなんか触れてくれるのかなぁ。
 
所感ではあるんですけど、身体意識とかって、その意識があればその機能が発揮されちゃいますよってものなんですよね。手首に軸が出来れば、軸に従う綺麗な運動ができちゃうっていう。これが何を意味するかを理解していないと、半分かそれ以下までしか到達できないんですよね。本来、手首を正確に動作させるには、最低でも肩→肘→手首みたいに連結する関節のひとつひとつが正確に動いて、その結果として手首が正確に動くっていう順番が必要になる。でも、身体意識の装置っていうのは、手首に軸が出来れば、それだけで手首は正確に動くっていう代物です。
 
軸でいうと、下から順に積み上げるのが大事。でも、頭を固定して、吊り下げちゃえば、自然と垂れて、垂直に近づくわけです。そうして垂れたものと、積み上げるものとを近づけていくとかってやるといい。
 
呼吸法でいうと、もう完全に順番に努力していくタイプでしたね。ぶっちゃけるまでもなく、最初から軸周呼吸を意識すればよくて、意識がつくれちゃえば、それで軸周呼吸は巧くいきます。だって身体意識って「そういうもの」だから。でも徹底性とか、鍛錬性を高めていくには、出来ちゃった後でも、順番に積み上げていくのって大事なんですよね。
 
もっと酷い話をしてしまうと、人間の体が生み出せる意識量なんてたかが知れてて、いくら軸タンやったって、絶対に宇宙の端までなんて届かないんです。高岡先生は、だから地球の力を借りようって言ってて、地球の中心、地芯からパワーを得ようって話にしてるんですけど、正直、それでも厳しいのではないかと。だから、身体意識ってそういうものじゃないよねって話なんですけども。
 
答えからの逆算に辿り着かないといけない。学術的な側面に突っ込んでも袋小路なんですけど、人間の体が意識を生み出しているってのがもう怪しいというかね。証明できていない。そもそも意識が存在するかどうかは、互いに「あるよね」って同意するしかないものです。意識の上で走っている思考やらは、それぞれのものでしょうけど、たぶん意識っていう「何か」は、互いに同じような性質であると同意されるものでしょう。でも、「意識なるもの」がまったく同じなんてことがあり得るでしょうか? 犬や猫をみたって、「意識がある」ことは分かる。言語的思考はともかく、意識は感じられる。脳が生み出しているものだとしたら、大脳新皮質みたいな「人間の脳」で作られていないことは明らかでしょう。だって犬や猫にもあるんだから。その意識という性質は、たぶん同じだろうと推定されるわけです。繰り返しますが、言語的思考はともかくとしてね。
 
人間が人間であるのは、言語的思考のたまものかもしれませんが、意識ってのは命のレベルと関わってくる性質のものでしょう。生命の基本的構成要素です。人間を人間たらしめるの、人間の体かもわかりませんが、「私」を私たらしめるのは、果たして肉体でしょうか? SF的な議論をここでするつもりはありません。体が入れ替わっても、私は私です。それどころか記憶がなくても私が私だと認識したら、それが私でしょう。コピーされてる偽物だろうが、そこは変わりません。つまり、私とは意識のことです。器である肉体のことではない。
 
意識とは神そのもので、その意識を部分的に間借りしているのが、我々、人間ってものだと考えらます。これはわたしの結論ですけどね。
訓練「対象」から、「主体」へと変換できれば、「宇宙の果てにある意識」と「最初から接続していて離れることなどできない」という結論に至ります。モーツァルトにとっては、意識ではなく、音楽だったのではないかと。音楽というズレた認識でもって、宇宙と繋がっていたのではなかろうかと思うのです。「私は音楽である」的なね。
 
もっと酷い話をしましょうか。他者はね、私の中心軸のためにいるんですよ。
軸タンやってて、地球の中心とか言われても、わかんないよねって思うんです。でも宇宙には他にもたくさんの星があるでしょう? 星がいくつもあると、相対的な位置関係から、地球の中心がこのへんだってのがだいたい分かるんですよね。イメージでも大丈夫です。それはもう、減らすより、増やした方が分かるってものです。
この話の直接の続きなんですけども、電車にのってて、ロクに軸のないのが無駄にだらっと並んで立ってたりするじゃないですか。お前ら本当に人間かよ?みたいな。でも、星と同じなんですよね。いないより、居た方がいいって言い切れるんです。だって、中心軸の役に立つから。環境センター法の応用です。他者がいればいるほど、不思議と中心軸は立てやすい。個とか孤立に向かわないほうがいいです。「自分の中心軸のためになる」という、ほとんどどうでもいい一事だけでも、他者には価値がある。なんにも価値がない訳じゃない。それってすごいことです。ゼロは、基本的に永遠にゼロです。でも、ゼロじゃないってことですからね。
みんなか立ってるから、私たちも立っているんです。父親とか母親が立っていたからってだけじゃなくて、人間ってのか立っていたから、私も立っている。こういう当たり前のことがしみじみと感得できるようになります。
 
 
防衛白書
読みたいなって話です。毎年、読んでいなきゃ大して意味ないと思うんですけど、基礎勉強的な意味でね。まだ半沢直樹すら見てません。
 
 
プロテインの続き
ソイプロテインなんですけど、きな粉でよくね?となって、低脂肪乳ときな粉。それにリンゴジュースもしくは家にあったパルスイートで甘さをつけて飲んでます。きな粉はお安いので。
 
 
〇ブラック・ライヴズ・マター
パックンの記事をチラッと読んだんだけど、どうも白人警官が黒人を殺して楽しんでいるってことのようだ。それも何件も。でも、それって「差別」なのかな? 黒人なら殺しても「問題ない」ってだけとはちょっと思えなくて。まぁ、白人警官側の主張がないと先には進まないだろうけど。