雑記(ネットワーキング・コンバットプルーフ)

・今期のアニメ楽しい。期待してなかったシャインポストも、Pならぬ専属Mが居てくれることで視点が定まってる。孔明ポジともいう。奴隷ハーレムも展開早くて続きが楽しみ。異世界おじさんは元々おもしろいんだけど、ツンデレエロフの声がもろにアスナってて、罪深い喜びを禁じ得ない。
 
・数日前にアマゾンをチェックしたはずなのに、高岡先生の新刊を見逃した。もうどうすりゃいいのかわからない。運動研のサイトは当然のように更新してないし。
「スポーツ・ルースニング入門」はベースボールマガジン社で発売中。注文した。「内転筋軸トレーニングで、スポーツのパフォーマンスが上がる!」はカンゼン社で、9月19日発売。9月24日は着せ恋の10巻も出る。
 
 
■なぜネット上で活動していたのか、その答え。
ネット上の住所のような感覚があってこのブログを残してきていたんだけど、正直、無くてもよかった。これに関してだいたい答えが出たかな?という感じ。巧い概念化は出来てはいないんだけど、自己ブランド化みたいなイメージだった。でも、お金を稼がない活動になんの意味があるんだろう?ってずっと思っていた。結論として、コンバットプルーフみたいなものが必要だと感じていたようだ。ネット上で市民権を得るための活動だったということが分かった。
 
YouTubeでアモングアスなんかを見ているんだけども、先端恐怖症っていうユーチューバーがメンバーを集めるツイートで「配信者」であることを条件にしていた。これがどういう意味かって話なんだわ。
 
・まったく別の話なんだが、バロラントってゲームで、女性プレイヤーを差別用語で罵るシーンなんかがネットニュースで取り上げられていた。なんでそんなことが発生するのか?っていえば、匿名性が原因にあるよね。「どこの誰かわからない」から「何をやっても責任を取らずに済む」って考え方だ。仮想空間上としてのゲームでは、出来ることは何をやってもいいだろうっていう。古くから続くMMORPGのPKとかPKKなんかの問題も根を同じくする話になっている。
 
このふたつを繋げて考えれば、「配信者」であることは「存在の継続性」を意味していて、匿名性による破壊行為は行わないだろうと見做していることになる。これがネット上の市民権ってものだろう。持続的に存在し続けることの証明というか。だからコンバットプルーフみたいなものって話をしている。
 
SNS、特にFacebookなんかは、(ネットではないという意味での)現実のリアルと接続させることで、市民権を与えようとする試みではあるんだろう。けれど、これが厳密にネット上の市民権かと言われると、ちょっと違う気もしてしまう。ネット・リテラシーとかの概念もあったけど、正直、マナーの域を出ていなかった。市民権足りえないんだよね。ここでは敢えて市民権とかって表現を使っているんだけども、ネット上では私も含めて、大半の人間が「その他大勢」でしかないってことだ。インターネット上では、「戦闘証明済み」を得ることでしか、「個」は成り立たない。そういう意味だとツイッターのフォロワー数なんかも、認知度という意味では近いんだろう。有名であれば、ネット上の市民権も得やすいのかもしれないけど、別にネット上でやらんでもよくね?ってなりそうなもんだ。この辺り、完全な形にはならんなー。まだまだだね。

しかし配信者になることがネット上の市民権に繋がるとは思わなかった。今からユーチューバーになりまーすとかは流石にないけども。ない、よな? たぶんそんな面倒なことはしないだろうなって思ってるけど。
セカンドライフのことをメタバースだっけ?なんか新しい呼び名で再チャレンジしてるっぽいけど、コンバットプルーフによる市民権がなきゃ、荒らされるだけだろう。
まぁ、匿名性の維持は大事かもしれないけどね。しかし、荒らし行為(犯罪)する権利を守るために匿名性があるわけではない。
 
 
■双極
立てるようになった。
双極を理解した。
めちゃくちゃ疲れるようになった。←イマココ
 
力加減?ペース配分? メリハリ?とか考えると、双極ではダメっぽいぞ!?となった。脱重垂&緩重垂とほぼ同じ論理だからなぁ。双極じゃなきゃなんなの?三極?みたいな。えっとですね、鼎談をケンダンって呼んでました。ていだんらしいですね。すぐ忘れてしまう。鼎立(ていりつ)から考えて、鼎極(ていきょく)とでもすればいいのかなぁ。とはいえ、ここで細かいこと書いてもコンバットプルーフは得られないわけで。今年はほんと、当たり年かってぐらい、いろいろ捗るなぁ。歩道2期始まるらしいのも嬉しいし、新刊も楽しみ。