ネギの選択とカエサルの視点

 
一応、気が付いてるって書いておいた方がいいのかなぁ〜?ということで。
塩野七生 著「ローマ人の物語」からすると、ネギは一応の方向性としてカエサルを目指すように思える。196時間目のナギを名乗ることによる一石三鳥作戦なんかは特に意識してるように思えてくるのだ。
カエサルは「何にせよひとつのことを一つの目的ではやらなかった」という。目的を箇条書きにする辺りも影響があったかもしれない。
 
それ以外にも、
ルビコン川を越える時にカエサルは苦悩する。(うじうじ君)
・女性にモテまくった。しかも誰とも別れなかった(悪魔のシステム)
……と、この辺りもネギと共通性がある。カエサルは民衆派のリーダーという点でも(実情はどうあれ)なんとなく正義の英雄っぽい。ネギの成長の方向として叩き台にすることは十分に考えられる。
 
 
カエサルは『内乱記』の中で「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」と書いた。それは、ただの事実に過ぎない。これの解釈を多くの場合「人間は自分にとって都合の良い証拠を信じる」といったものに捉えがちだ。しかしそれだけでは全く足りない。カエサルこそが、「自分が見たいと思う現実を見た」人なのだ。もっと具体的には現実の中に「一石二鳥」を見ようとしていたわけだ。
 
失敗を発見しようと努めれば、より失敗を発見することになる。
成功を発見しようと努めれば、より成功を発見することになる。
ピンチの中にチャンスを見るように努めたり、いつも一石二鳥・三鳥を見るように努めることが望ましいのは言うまでも無いことだと思う。
 
ネギは、カエサルであるかのように世界を見ることが出来るだろうか? 今後の展開に期待する。