雑記(劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン)

ネタバレを含みます。
 
ツイッター見たら宣伝が飛んでて、なんか偶然タイミング良く観ることかかないました。
 
 
■ 劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン
劇場版というか、本編の続きとかエンディングを含む最後のパートですね。京アニの放火事件があって、止まった時が動き出すような、そんな文脈をもつ作品でした。静寂にも意味があり、グッと引き込まれる作り。
 
親鳥たるギルベルト少佐は生きているのか?二人の物語の結末は……? というのが主題なので、生きてることが分かった時点でほとんど終わっていたわけですが。ここで泣くタイミングをひとつ逃しました。生きていたんなら、どうして戻ってこないのか? が主題として切り替わり、ギルベルト少佐の物語にナチュラルに変化。
 
結局、愛してるのひとことも出てこないヴァイオレットちゃん。そうした不器用なラストは、逆にその言葉の重みそのままな、美しいラストになりました。がんばれ!そこだ!いっけー!とか思って観てたので、泣くタイミングをここでも逃しました。
 
いやぁ、まんぞくまんぞく。…………となって、翌朝。
 
 
「あれ? これ、NTRじゃね?」ってなりもうした。だから考察記事書いてんだけどさー。マジかよー。
 
 
寝取られっていっても、ヴァイオレットちゃんが非処女!とかそういうエログロの話ではなくて、物語の構造が、ね。
 
奴隷っぽい境遇の女の子を自分好みに育てる光源氏計画したタイプの文脈でしょ。これに戦争成分が加わるにしても、どこか違和感が残る。なんとか島でも教師をやっていたのも違和感。
 
処女の子を自分の色に染めたけど、満足できなくて、寝取らせた構図とぴったりハマっちゃうんだよね。ヴァイオレットと距離を置くことで、他者から教育を施されて、ある種の人間性を取り戻した状態になって戻ってきた。自分で拒否った癖に、捨てられそうになって、やっぱり愛してる!ってヘタレ夫が愛を乞う姿は、まんまNTRものっていう……。感動する物語なのに、もしくは「だから」、なのか? 不思議。
 
ある種の作品、ヱヴァンゲリオンとかは分かりやすく、パクリとかオマージュの集積物になります。人間も同じく、他者影響の集積物なわけですよ。個性とかオリジナリティとかも元を正せば、誰かに影響を受けて、与えて、の積み重ねの果てにあるものでしかないわけで。教育を寝取りと考えたくはないんですけどね。ヴァイオレットちゃんの奴隷設定からの、ギルベルト少佐!っていう繰り返される親鳥への求愛みたいなのを受けて、こうした類推に至りました。だから、「良い」とか「悪い」とかは特にありません。
 
たいへんに美しい映像美だったことは間違いないですので。
 

雑記(東京五輪汚職事件)

先に書いておくんですけど、不真面目な考察記事です。何回か出そうか迷った関係で、今頃ですね。
 
  
東京五輪汚職事件をどう考えるべきか?
元々スポーツやってたこともあり、オリンピックほどではないにしても大会とかも出てたので、そういう視点です。
 
スポーツ大会で大事なことって大きく二つあって、「スポーツ大会を継続的に開催すること」と「クリーンルームを守ること」なんですね。前者は分かりやすいと思うんで、後者の話ですが、こっちも内容としては簡単で、八百長しない・させないことぐらいの意味です。だいたいこの辺が大会の目的になります。
 
スポーツマン・アスリートにとって大会ってとても大切で、大会がなきゃどうにもならないんですね。だから開催してもらうのがとても大切なわけです。それには当然にお金が掛かります。現実としてお金の話は避けられません。キレイもキタナイもなく、まずは金です。スポンサーってありがたい存在なわけですよ。だからこそ、スポンサー様にはできるだけ儲かって頂きたい。そして次回の大会もよろしくお願いします!と思っているわけだし、まともな脳みそやらインテルやらが入ってる選手であれば、スポンサーに対する感謝の気持ちがあるものなのです。
 
そうしたお金の話の一方、選手たちはクリーンルームに隔離されてなきゃならないわけです。スポンサーの意向だの威光だのに影響されることなく、フェアにプレイできる環境が整っていなければなりません。現実には金・金・金なのに、選手たちはクリーンルームの中でパフォーマンスを発揮する。それがスポーツ大会という構図・図式なわけです。
 
しっかりと守られている関係で、金の話を忘れちゃう選手もいるんでしょうけど、大会運営には、人を動かすには、当たり前に金がかかるんです。選手が自分たちで金を出して、自分たちで運営して、自分たちが出場して~とかやってられません。金です、金。東京五輪でもボランティアでなんとかしようみたいな話があって、本当にクズだなって思ってました。人を使ったら金を出せっつの。当たり前だろうがよ。
 
 
五輪汚職の話がなんかピンボケなのは、「目的に抵触していない」ということと内側と外側の「二重構造」になっていることが理由ですね。贈収賄しようが、クリーンルームを破壊していないので、大会運営の目的には抵触していない。だから、善だの悪だの言いにくいのです。内側にクリーンルームを抱え込む二重構造が原因です。贈収賄クリーンルームの「外側の事件」だからですね。
 
これが八百長を指示したりだと炎上確定ですね。正しいとか間違っているとかを人が感じるかどうかってのは、目的に対してどうか?みたいな部分が意外と影響しているからですね。クリームルームを作らなきゃならないのに、スポンサーが八百長を指示していた場合は絶対に許されません。市中引き回しの上、磔、獄門、さらし首、一族郎党皆殺しの刑が相応しい、となります。
 
なので、スポーツマン視点だと、クリーンルームに隔離して守ってもらってるのに、外の世界の出来事に文句を言うのは違うでしょ?ってなるんですね。なんならスポンサー様には上手に儲けていたたきたいのに、なんかやっちゃいましたかね?って。さすがにアナーキズムでもなければ、反社会勢力でもないので、ひらがなもしくはカタカナになるでしょ。「わるいことはいけないとおもいます」or「ワルイコトハイケナイトオモイマス」ってね。
 
 
東京五輪汚職事件の本質とは?
そんでもって本質の話もしておくんですけども、これは公安が動いていることから見ても明らかで、政治家の汚職、贈収賄が本質です。オリンピックもスポーツマンも関係ありません。イベントの中身とは関係なく、お金が動くデキゴトだからってだけですね。
なんらかの規制があって、権力者に賄賂を支払うと便宜を図ってもらえる場合がある。特別な待遇のおかげで儲かる。……これだと単に儲けたくて金を出したヤツが悪いってなりそうですけど、この関係を放置すると、権力者側が当然に「おい、金をもってこいよ?」と要求するようになります。だから潰さなきゃいけないわけです。
ここから先はより具体的な、組織委員会とかスポンサー選定の仕組みとかの細かい話になって行くので、そういうのは詳しい人でやってもろうて。
 
終わります。
 

夏の感想戦(つづき)

おわってまったー!

ダイの大冒険
たいへん素晴らしい物語でした。毎週の楽しみがなくなってしまうのが最大級のマイナスです。あざました。
敵が魅力的じゃないとこうはならんよなって。大魔王バーンの最終形態の動きが速すぎてヤバい映像に仕上がっていたのも良かったです。あとはマァムとレオナの活躍が限定的なのが原作時点からの問題点かなって。蘇生・回復系の魔法は、緊迫感を損なってしまうのもあってか、恋愛要員ぐらいの扱いになってしまう。アニメ化による問題ではないのでこのへんにしときますけども。
 
アニメでこのレベルの物語を映像作品として体験できることの,なんという贅沢さよ。素晴らしいとしかいいようがない。ありがとうございました。
 
〇シャインポスト
10月中旬までかかってようやくフィニッシュ。こちらも素晴らしく楽しめました。最終回の評価だけは辛口になって65点ぐらい。イメージ的には、最大公約数と最小公倍数のルートがあるとしたら、最小ルートだったなって。算数の話をすると意味がズレるんやが、そういうイメージというかね。必要な要素は漏れなく入ってて、赤点は絶対に回避できるんだけど、プラスアルファがない。中野サンプラザという最終局面で1曲で終わり。ボーっと突っ立ってるやん。新曲用意した時点でマンパワー打ち止めなのがあからさま。それでも作画は崩壊してなかったのは評価できるけどね。少なくとも伝説の良作のラストにふさわしくはなかったかなって。トウキョウ ワタシ コレクション好きなんよ。アニメだと逆に動かせ!って要請が強いからか、曲を流すことすらできないんだろうなー。
 
GYBの意味が分かった場合、そもそもハイレインの無念みたいなものを、簡単に捨てていいわけでもないはすでしょ。でも黒金蓮ってキャラの良いイメージを保つには、一定の理解を示す必要はあるんだろうなって。難しいのは分かってるけど、お行儀のいい子供のおままごとの話なんだとしたら、そこそこにしかならんよね。敵としての見事さを演じるでもなく、ただ道具立てとして、設定として対立してるポーズだけかどうか。たぶんシャインポストを目指すライバルとかの形に昇華させるとは思うんだけど、プロセスが問題よね。
 
あと、関係ないんだけど、芹澤優はアリなんじゃねーかと思い始めた。ギトギトの自己顕示欲つよつよ女子とか苦手というより嫌いなんだけども、そこそこ満たされて、そこそこすり減って、今、丁度いい感じに仕上がってない?とか思ってしまう。私かわいいでしょ?もやり続けるとサービスなんよなぁ。声優としては判別つけるの無理だろってレベルで個性を感じないからアレだが。久保田未夢は路線変更しつつあるのか、どうなるのかね。
 
〇オバロ
善し悪しを付けづらい。王国をあっさりと滅ぼした。対話不能性=モンスター化なので、これでガチの人外になってしまった。題名そのままにオーバーロードになっていく路線なのかな? 人間の国を滅ぼしておいて、それを内政の天才とかいう姫のせいにしたのは小物臭がしてすかん。一応、前段でドワーフの王国を襲ってた亜人とドラゴンを滅ぼしてはいる。亜人やドラゴンは良くて、人間はダメなのはなぜ?という形で2段構え?みたいな構造にはなってそう。何をやってくるかわからん悪の魅力ってのはあるけどね。攻撃性はすなわち魅力だ。テンプレ勇者は、リアクション型のスーパーイエスマンで、自発的な行動は避ける傾向にあるから、逆の位置にある。
 
全体の構図として捉え返すと、テンプレ勇者はリアクション型、戦記物の主人公はアクション型になりやすい。テンプレ勇者は悪(排他性)を排他する存在。悪に対する悪だ。他者を排除するかどうかって点で本質的差異は小さい。
そうした排他的存在は、より戦略的な戦記物にシフトすると主人公になれる可能性が出てくる。いま思えば、橙乃ままれの「まおゆう」は戦闘・戦術レベルの勇者、戦略レベルの魔王でズレてて、だから協力し合えた形にも見える。オバロのアインズも戦記物の展開にシフトして、「行動する悪」の立ち位置に立ったことになるね。滅ぼせるから滅ぼしたってのも、戦記物ならアリかもなぁ。でもピカレスク寄りだし、滅ぼされて終わるんだろうけど。滅びが救いとなるかどうか。
 
 
■棒読み演技のリアリティ問題→それ本当は商業的価値の問題です
チェンソーマンの棒読み演技がまとめサイトで話題に。何回でも言うんだけど、「スパナチュの吹き替えは忘れない」
もともとは、富野御大とか宮崎駿が、声優の演技がクサいとか言ったのが直近の原因だとは思う。実写に比べた時の、アニメを一段低く見られてた時代のジジイどものコンプレックスの発露だからどうでもいい発言ではある。実際、日本の実写になんて大して価値もないし。
 
一応、直近じゃない方の原因を考えると、ミュージカルとかその元になったオペラ、さらにはインド映画みたいなのを想像してもらって、それを「もうちょっと普通に演じたものでいいんじゃないの?」って要請があったわけでしょ。ある種、過剰な表現に対して、リアリティに価値が生まれた成功体験があったんだと思う。でも結局、芝居は芝居で、箱によって演じ方が違うわけじゃないさ。特化していくとテレビと舞台とでは演じ方を変える必要が出てくる。で、あれば、当然にアニメに適した演じ方ってのが必要になったんだよ。その表現方法がインド映画のごとく過剰だ!っていうんなら、新たな表現方法が生まれる可能性はあるよ。そこに適切な商業的価値が付与できるならね。棒読みで商業的価値もへったくれもないと思うけども。
 
日本人が東京を舞台にした作品を撮影しても、どこかのっぺりとした日常になってしまって、事件性とかが感じられないんだ。でも海外のクリエイターがTOKYOを撮影したのを見ると、オリエンタルな怪しい深みが出てくる。何の差? 商業的価値の差だよ。幻想を重ねてみるかどうかだよね。ユーチューバーでまるで再生数も登録者も稼げない配信者と、なぜかどんどん人が増えていく配信者の差はなに?って考えると、運もあるんだろうけど、どこかに幻想とか商業的価値があるかどうかの差だよね。アホは自分の商業的価値の無さに喘いで苦しめばいいと思うね。
 
つまり逆にいえば、オペラとかインド映画ってのは、商業的価値をしこたま上乗せしたらああなったってことでしょ。のっぺりとした東京でありもしない銃撃戦をみせられるよりかは、インド映画の方が面白いだろうけどねー。ま、価値観の違いってことで。
 

感想戦と秋の新アニメ何を見る?

書きかけなんだけど、もう新アニメ始まってしまうので放流。

リコリス・リコイル
神アニメって言われてたので、GYAO!で12話まで一気見して、ニコニコで最新話見ました。神アニメといって良いんじゃないでしょうか。面白かったでーす。
組み合わせ的にはバディものなので、超優秀なクッソ真面目キャラが、破天荒な荒くれとペアを組んで~みたいな、よくあるベースを踏襲してそうなんですけど、その辺は微妙に本題と関係なかったりして、ユリユリしぃかったり、BL要素入ってたり、狂った宗教だったり、間違いまくったボーイミーツガールだったりと盛りだくさん。
 
主役、錦木千束を安済知佳安済知佳って、ユーフォニアム高坂麗奈、グリムガルのメリイの印象で、クールビューティーのイメージだった。YouTubeで演じてるキャラを聞いてきたら、千束側のキャラの方が多いかもだったけど。ふーんって感じ。
バディのたきなって、指示待ち、命令待ちできなくなっていってるんだよね。有能ゆえに自我が生まれるっていうパターンを辿っている。だとして、千束の性格は最初から「ああ」だったのか?とかって思ってしまう。
 
物凄い勝手なことを書くけど、千束が千束になる切っ掛けはなんだったのかを妄想すると、イイ性格しているキャラ(CV黒川ともよ)が任務で死んじゃって、性格を引き継いでああなった~とかどうかな、みたいなのとかね。本当にそんな展開になったら謝罪しますけども。
 
人体は究極的には生物機械だから、無心に入ることで精密動作が可能になっていく部分はある。でもそれって身勝手の極意の不完全バージョンと同じで、リアクション限定なんよ。自分から行動したり、攻撃したりする完全版身勝手の極意と同じ状態は、人の意思を介在させ、体現しなきゃならない。戦闘機械が単に自我を得ただけだと、機械としての性能を失って終わりっていう。スプリガンの主人公とかね。本当に、身勝手の極意はこの辺の問題をカバーしてくれる「発明」でたいへんにお便利。

通常、戦闘・戦術・戦略のようなスケールを移動させて考えることで、盤面が詰まらないように行動していく能力・権利を獲得するものになる。これが自我の使い方だわな。不完全版身勝手の極意は、瞬間的な対応力しかないから、2手3手先まで考えて行動できるような能力として描写されうるわけだ。たきなのやっていることがこれだ。真島のやっていることもこっち側で、戦術として盤面を詰めて、千束を追い込んでいる。身勝手の極意が使える超天才と戦う話だからね。おもろかったです。


〇シャインポスト
久保田未夢目当てで見てたんだけど、本人ぜんぜん出てこなくて、でも思ってたのより遥かに良いアニメだったっていう。休みがちな上、最終話10月の中頃まで放送するらしいので、新アニメと時間帯が被らないか確認が必要っていう。関東だと日本テレビで火曜深夜25:29~
 
面白いんだけど、さっぱり人気がないらしくて心配。まぁ、俺も久保田枠「だから」見てただけなのでしゃーなしと思ってはいる。金銭的・労力的な意味でかなり頑張ってるから大丈夫そうかも~? だけどコナミって損切が早いイメージだからやっぱダメなんじゃねーか?と思ってしまう。リコリコが強すぎる。シャインポストは途切れ途切れだしなぁ。コロナの影響が吉と出るか、凶と出るか。
 
物語として展開してのネタバレが重要だし、ここが面白い部分なので、超オススメしたいんだけど書いちゃったら魅力が半減するタイプなんだよなぁ。対抗グループハイレインのGYBとか、放送前に聞いた時はふーんとしか思わなかったけど、意味が分かってからだとヤバいんよなぁ。

中川梨花っていうめっちゃ可愛い子ばっか露出してて、なんなんだろう?って思ったら、女優さんでした。名前的にオヤシロサマなの?ぐらいにしか思ってませんでした。にぱー。
 
原作の駱駝は「俺を好きなのはお前だけかよ」の作者で、三つ編みメガネキャラが好きなのかよ!?って思ったさ。ギャグのバランスがきつくて合わなくて切ったけどさ。恋愛モノのギャグ要素ってバランスが大事というか。はいはい、どうせ主人公のことが好きになるんでしょ?と思ってても見る作品は見るからねぇ。ふざけちゃダメなところでふざけちゃってたから合わないと思ったんだよなぁ。珍しく買って読み始めたぐらいには面白いと思ったんだけど。

うーん、めっちゃ言いたいこともあるんだけどなぁ。オススメすんのムズいわ。理王様の歌声とかいいんよね。トウキョウワタシコレクションとか、ビーユアライトとか。「オーバー・ザ・トップ!」の「トップ」を聞きたくなる。公式が配信してる曲をリピートしてる。いいんよなぁ。これにハイレインの物語が加わってくれば~っていう。人気さえ出てくれれば完璧なんだけど。それはどれもそうなんやろうけど。いわゆるインフルエンサーに届くかどうか。
 


あれ?今回、MXが少ない? どうなってんだろ? 金の流れが変わった? なんだろう? 詳しい人探すべきかも。
2期とかが多いのであんまりワクワク感はない。

SPY×FAMILY(第2期) テレビ東京 10月1日(土)23:00~

機動戦士ガンダム 水星の魔女 TBS 10月2日(日)17:00~

宇崎ちゃんは遊びたい!ω MX 10月2日(日)24:00~

マブラヴ オルタ 第2期 フジテレビ 10月5日(水)24:55~

ジョジョ ストーンオーシャン MX 10月7日(金)24:30~

異世界おじさん MX 10月7日(金)25:35~

チェンソーマンテレビ東京10月11日(火)24:00~

うる星やつら フジテレビ 10月13日(木)24:55~

アークナイツ テレビ東京 10月28日(金)25:23~

雑記(サステナビリティと合成の誤謬)

国葬うんぬんの話の続き、というよりは、批判の構造に対する見解、みたいな感じになると思う。
 
 
■雑魚化する正義
仮に、全方位に対して正しいことを言おうと思ったら、身動きが取れなくなるよなー。過去の発言まで遡って、正しい行動を取ったかどうか?なんて考えていたら、余計にそうなる。そもそも未来が自動的に押し寄せてくる状況な訳で、適宜、それらに合わせて正しさを構築し続ける必要があるわけだろ? 1歩動くのもやっとになりそうなもんだ。そんなのただの雑魚じゃんね。ある程度、行動していくとなれば、泥をかぶる覚悟は必要になってくるよなー。それらを悪と論じたり断じたりはお得意なんだろうけども。
 
■中身のないサステナビリティ
SDGsエスディージーズ)って何?ってずっと思ってたんだけど、2015年に国連で採択された「持続可能な開発のための17の国際目標」のことみたいね。サステナビリティは最初のSってことか。そもそも出生率が2.0なかったら、持続不能じゃんね。バカくさ。
 
上述の、全方位正論タイプになったとしたら、それは持続可能社会に寄与するだろうか。たとえば社会の全員がそのタイプになったら?まず破綻するだろう。まぁ、それも不確定だけど。
合成の誤謬という概念があって、ミクロ(微視的)な正しさは、マクロ(巨視的)な正しさにならないことが多いとされる。これがどういう現象なのか詳しいことは知らんのだけど、たぶん、全体最適になっておらず、単に部分最適だからじゃないかと思われる。だから、全方位に正論いったところで、合成の誤謬にひっかかるわけだ。マクロ的な正しさ、たとえば持続可能社会に貢献・寄与しない正しさになってしまう。雑魚な上に、正しくもないっていう。
 
ボトルネックの理論に関しては専門書にあたってもらいたいのだけど、渋滞理論っぽく話をしてみると、3車線道路が1車線になったら、そこで渋滞が発生するわな。そうした渋滞のメカニズムとか全体の流れをガン無視して、「10車線道路を作れば、社会インフラに貢献できますよ!」とか言っても、逆効果だし、無駄でしかないわけだ。ちなみにトヨタ方式は全部3車線にしよう!ってやつだな。トラブルが発生する場所で渋滞が発生するから、全部の地点が正常に機能してないと意味がない=全部の地点がリスクになってくる。あえて渋滞地点を固定し、その他の部分に余剰戦力を確保しておくことで、多少のトラブルがあっても吸収する機構を作っておくのが、ボトルネックの理論。ボトルネックを潰しても、別の場所に移動するんだよ。地球全体でどこにボトルネックがあって、どこに移動してしまうのか?みたいな話はダイナミックではあるけど、賢くはないやねぇ。てか、ただのバカだわな。
 
■野党化するコメンテーター
堀潤のモニフラで、Z世代をコメンテーターに~とか頑張ってやってるけど、結局はゴブリン化してしまっている。国葬の費用対効果を示せとか言ってるけど、連中の教育費こそ、費用対効果ゼロとかマイナスだろ。人のやることにケチつけて、イチャモン言って、なんの役にも立たないどころか、邪魔をする方向になってる。プチ野党化だよね。与党が行動して、野党はケチつけるだけで仕事したフリして終了って構図まんまだ。小賢しい知識を身に着けて、やることは他人の邪魔っていうね。生きてる価値ある?
 
でもこれ、モニフラだけの現象じゃないんだよなー。本当によくある構図だ。逆にいえば、良くある構図にのまれる程度の無能なんだけど。
ニュースの出来事に対してコメントを要求される。短時間で話をまとめなきゃいけない。意味や価値のあるコメントを言おうと思うと、批判的になって、野党化するんだろうな。コメントが上手くなるほど野党化しやすくなる。んで、バカが出来上がる、と。
Z世代とかいって若者の意見を~だなんて理想を掲げててても、何十年も報道番組でやってきたことと同じルートを辿っているだけ。焼き直しでしかない。MCの堀潤が与党サイドの発言をして、コメンテーターが野党の立ち位置とかってね。あるあるだわ。意見をキャッチボールしようとしたら、この手の構図に巻き込まれるとかなんだろうけど。野党になってどうすんだよ。自分たちが与党だったらどう行動するか?ってのを語らなきゃ、取り上げる価値がないんだっつぅの。
 
国葬の理論的正しさなんてそもそもが必要ない
そもそも理屈で正しいからやるべきなのではなく、感情的に正しいからやるべきなんだよ。国葬をやる意義ってなんですか?とかの質問って、「人を殺してはいけないのは何故ですか?」と大してかわらんやろ。国葬じゃなくて、内閣葬ならいいとか言ってるバカもいるけど、表面の名前だけ変えたら誤魔化されてくれるとか、バカですと言ってるようなもんだろう。中身なさすぎって告白してるも同然だろう。そこまでバカばっかりなんだったら、内閣葬でもいいじゃん。中身は国葬でしょ。
犯罪者山上のせいでいいじゃん。理不尽なテロよる死に、カウンターバランスで国葬は悪くない選択だと思ったけどな。責任転嫁に忙しいマスメディア、言論の質が大幅に低下してとどまるところをしらない大衆。大いに恥をさらしてくれたよね。フラットな社会って、雑魚とか無能にも配慮しなきゃならないって意味だろうけど、あまりにも酷い。あんまりにも酷い。
 

雑記(国葬うんぬんかんぬん)

国葬ひとつまともに出来ないとか、本当にバカばっかりだよなぁ。
 
まず、お悔みを申し上げるとかの「悼む気持ち」を表現することが大切なのに、どうして小賢しい「正しさの話」にしようとしちゃうのかなぁ。自分がバカだって気が付いてないんだろうなぁ。
 
責任逃れするみたいに、統一教会を攻撃して矛先を逸らそうとするマスメディアもアホだったけど、重箱の隅をつつきたがる雑魚の正論なんか適当に踏み散らして、さっさと国葬やりゃよかったのに。
 
 
死者を悼むこともできなくなった国、ニッポン!
 
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タヒねよ、バカ共が。恥ずかしいったらありゃしない。
 

雑記(ネットワーキング・コンバットプルーフ)

・今期のアニメ楽しい。期待してなかったシャインポストも、Pならぬ専属Mが居てくれることで視点が定まってる。孔明ポジともいう。奴隷ハーレムも展開早くて続きが楽しみ。異世界おじさんは元々おもしろいんだけど、ツンデレエロフの声がもろにアスナってて、罪深い喜びを禁じ得ない。
 
・数日前にアマゾンをチェックしたはずなのに、高岡先生の新刊を見逃した。もうどうすりゃいいのかわからない。運動研のサイトは当然のように更新してないし。
「スポーツ・ルースニング入門」はベースボールマガジン社で発売中。注文した。「内転筋軸トレーニングで、スポーツのパフォーマンスが上がる!」はカンゼン社で、9月19日発売。9月24日は着せ恋の10巻も出る。
 
 
■なぜネット上で活動していたのか、その答え。
ネット上の住所のような感覚があってこのブログを残してきていたんだけど、正直、無くてもよかった。これに関してだいたい答えが出たかな?という感じ。巧い概念化は出来てはいないんだけど、自己ブランド化みたいなイメージだった。でも、お金を稼がない活動になんの意味があるんだろう?ってずっと思っていた。結論として、コンバットプルーフみたいなものが必要だと感じていたようだ。ネット上で市民権を得るための活動だったということが分かった。
 
YouTubeでアモングアスなんかを見ているんだけども、先端恐怖症っていうユーチューバーがメンバーを集めるツイートで「配信者」であることを条件にしていた。これがどういう意味かって話なんだわ。
 
・まったく別の話なんだが、バロラントってゲームで、女性プレイヤーを差別用語で罵るシーンなんかがネットニュースで取り上げられていた。なんでそんなことが発生するのか?っていえば、匿名性が原因にあるよね。「どこの誰かわからない」から「何をやっても責任を取らずに済む」って考え方だ。仮想空間上としてのゲームでは、出来ることは何をやってもいいだろうっていう。古くから続くMMORPGのPKとかPKKなんかの問題も根を同じくする話になっている。
 
このふたつを繋げて考えれば、「配信者」であることは「存在の継続性」を意味していて、匿名性による破壊行為は行わないだろうと見做していることになる。これがネット上の市民権ってものだろう。持続的に存在し続けることの証明というか。だからコンバットプルーフみたいなものって話をしている。
 
SNS、特にFacebookなんかは、(ネットではないという意味での)現実のリアルと接続させることで、市民権を与えようとする試みではあるんだろう。けれど、これが厳密にネット上の市民権かと言われると、ちょっと違う気もしてしまう。ネット・リテラシーとかの概念もあったけど、正直、マナーの域を出ていなかった。市民権足りえないんだよね。ここでは敢えて市民権とかって表現を使っているんだけども、ネット上では私も含めて、大半の人間が「その他大勢」でしかないってことだ。インターネット上では、「戦闘証明済み」を得ることでしか、「個」は成り立たない。そういう意味だとツイッターのフォロワー数なんかも、認知度という意味では近いんだろう。有名であれば、ネット上の市民権も得やすいのかもしれないけど、別にネット上でやらんでもよくね?ってなりそうなもんだ。この辺り、完全な形にはならんなー。まだまだだね。

しかし配信者になることがネット上の市民権に繋がるとは思わなかった。今からユーチューバーになりまーすとかは流石にないけども。ない、よな? たぶんそんな面倒なことはしないだろうなって思ってるけど。
セカンドライフのことをメタバースだっけ?なんか新しい呼び名で再チャレンジしてるっぽいけど、コンバットプルーフによる市民権がなきゃ、荒らされるだけだろう。
まぁ、匿名性の維持は大事かもしれないけどね。しかし、荒らし行為(犯罪)する権利を守るために匿名性があるわけではない。
 
 
■双極
立てるようになった。
双極を理解した。
めちゃくちゃ疲れるようになった。←イマココ
 
力加減?ペース配分? メリハリ?とか考えると、双極ではダメっぽいぞ!?となった。脱重垂&緩重垂とほぼ同じ論理だからなぁ。双極じゃなきゃなんなの?三極?みたいな。えっとですね、鼎談をケンダンって呼んでました。ていだんらしいですね。すぐ忘れてしまう。鼎立(ていりつ)から考えて、鼎極(ていきょく)とでもすればいいのかなぁ。とはいえ、ここで細かいこと書いてもコンバットプルーフは得られないわけで。今年はほんと、当たり年かってぐらい、いろいろ捗るなぁ。歩道2期始まるらしいのも嬉しいし、新刊も楽しみ。