ローマ人の物語・ポンペイウス死す

 
人々はカエサルの中にスッラを見た。カエサルカエサルであり続けた。
「虎の威を借る狐」ならぬ、スッラの威を借るカエサルだ。狐どころか獅子か何かだったろう。

ローマをがら空きにして堂々とスペインに攻め入るのには参った。ポンペイウスギリシアから動かない。なるほどなぁ〜と不明を恥じた(嘘)
戦わずに勝とうとする気持ちは分かるが、問題はストライキだ。ガリアで略奪の味をしめていたから、スペインでの略奪禁止がストライキに繋がった様に思えてならない。(そんな記述はない)
暴力で他者を従えるべくガリアで田畑を荒らし、女を陵辱して回ったのだ。損得勘定もロクに出来ない猿を従えるにはそうせざるを得ず、そしてカエサルの軍隊にもそれが必要だったわけだ。そうやって部下に美味しい思いをさせるのが名将と呼ばれる人間だろう。
 
いや、現代とて人間性に差など無いだろう。キリストの昔から何ら変わることなく人は獣であり続けた。スーツを着てネクタイをしめて、机に座ってキーボードを叩き、飛行機乗って海外旅行に行ったぐらいで高潔になれるわけがない。一たび暴力で相手を捩じ伏せたのならば、自由にする権利があると思い込む。唯一無二の「高貴なる自分の命」を戦闘によって危険にさらしたという一事が他者の尊厳など無視してよいという正当な理由になるのだろう。
 
塩野七生は正しく書くべきだったと思う。
カエサルはローマ人以外を人間と認めなかった」もしくは、「ガリア人を踏みにじるのに躊躇は無かったが、ローマ人を相手には躊躇した」
 
ガリア戦記によって民衆を味方につけたカエサルは、内乱記でも同じ効果を得ようとする。ローマ人を気軽にブッ殺してしまわないことで、やっても「仕方なく」という形にすることで高い効果を得るのだろう。その上、兵士の損害も少なくて済んでいる。
果たして何処までが計算だったのだろうか。計算したことと人間性の一致が彼の強みのように思う。それは単なる「良い人」よりも何倍も凄まじいことではないだろうか。
 
 
そしてギリシアへの上陸から包囲戦〜会戦。
少数で勝ち残る術にかけてはまごうことなく一級。失敗もあったが短期決戦も長期戦も得意なのは流石だ。
それにしても、よく分散する気になれると思う。少数になることをあまり恐れていない。会戦での大敗は包囲殲滅によって自陣のスペースを潰されることに主な原因があるのだから、あまり多くても仕方のない部分はある。カエサルは軍団として成立する最低限の見極めが出来ていたのかもしれない。
 
しかもまだ終っていない。仕事量に関しては超一流だ。