雑記

 
ランドリオール再読完了
ただ読んだだけ〜(笑) 完全に忘れてるところが多くて、楽しめた。
すっごく楽しんで読んだというのに、何か書こうとした途端に辛辣なことばが発動したりする不思議??? のーみその使っている部分とかが違うのかも。
 
だからあんまり考えていないのだけど、主人公とそのヒロインが六甲に甘えすぎだろ?とか思ったり。いや、読んでいる最中はそんなことまったく気にしてないのだけど、書こうとした途端に(笑)
 
忍者って設定にはなっているけど要するに奴隷なわけで、主人公達は六甲に対して「家族なんだからもっと自由に振舞っていいんだよ?」とかいうわけだ。その善意がいかにもミノムシ・レベルだったりする。自らを善意的な存在に仕立てるためにそういう風に発言しているだけで、身分の違いを本気でどうにかしようとしているわけでもない。
……となれば、身勝手な台詞を言うために六甲を愚鈍であるかのように「見做し」ているが、本当のところは甘ったれお坊ちゃん・お嬢ちゃんの甘い誘惑に耐えて一線を守らんとする六甲の「賢さ」によって、あのバカ兄妹は自らの「善的なアイデンティティ」を支えられているに過ぎない、とか言えちゃうわけさね。いざとなったら便利に使い倒す癖にさぁ。
 
ネギまだと刹那がこっち系統のキャラなんだけど、現代日本で階級は見かけの上では存在しないことになっているから刹那自身による一種の「卑屈さ」によって自らを律して見えるようになっているのだけど、ランドリオールの場合は階級制度があるのだから、別種のものになる。
 
じゃあ、どうすりゃいいんだろう?ってのが問題だ。
家族とかいいつつ、実際にはニンジャとかいう奴隷的な位置付けに置いておきたい。でも傍にいるのに奴隷的な態度・振る舞いをとられるのは気分が悪い。同根の問題として王のような権力者にはなりたくはないし、権力を振りかざす態度は大嫌い。責任もないし、気楽でいたいだけ。他人のニンジャはニンジャであっても特に否定的な見解はもってもいない。…………五十四さんが小さいけど大きいから、じゃなくて、偉そうにしていることで上手に誤魔化しているだけだよなぁ。大きいは正義!だしなぁ。
 
で、嫌になったらクビとか言って奴隷を捨てれば済むって話なわけだ。まぁ一人でも生きていけるだろうけど、家族や故郷みたいなもの「全て」をちょっとした気まぐれでアッサリと捨てさせようとしてたりする。それってまんま権力者の態度じゃないのかよ?とか、 自分の気に入る態度じゃないとクビにするぞ!とか、自分で考えろ(でも殺すな)とか。なんというか、じっくり描いているのだと思いたい。
作者の戦略(想像でしかないけど、善人としての主人公を描こうとする作戦)と実際の描写(六甲という奴隷を通じて、権力や特権階級であることを実感しようとする態度)が炙り出されてしまうように思える。マルクス主義批評的にいう「下部構造」ってやつかなぁ。この辺はちゃんと整理したい部分だなぁ。
 
我々もそうだけど、結局のところ、何かの役割を演技していることを忘れてはいけないんだろう。本気でそれらの役割に没頭しつつ、それが演技であることを忘れない。ぐらいしか思いつかないなぁ。物語としては、この手の話の定型パターンであるところの、君主制→共和制(→民主制)への移行とかが描かれる可能性は残っているけれど、どーだろ?
 
貴族・平民といった対立構造を持ち出すとき、対立することによってそれぞれの枠組みを逆に固定してしまうという。そこで(デリダの)脱構築ってのを使うのがお約束っぽいのだけど、解説による他者の理解がバラバラでどうにも意味がつかめなかったり。…………そのうちどうにかしよう。
 
 
クラナドAS
重たくって中々見る気になれなくて。でも前期のオープニングで走っていく子のことが分かったし、今回のラストは面白い〆だった。
 
恋人の死を乗り越えるっていうのは正面からやるられると重いね。何気に5年経過しているし、渚そっくりの潮は母親を殺すこと(一体化だとか)が課題となるのだろうか。
 
ノースロップ・フライの神話批評によれば、あらゆる物語を4つ(喜劇・ロマンス・悲劇・アイロニー)に分類したとかいう話があって、豊穣の女神(もしくは「白い女神」)の「死と復活の物語」の循環っていうのがイメージされる。女神が復活し、結婚に至る春(喜劇)、生を謳歌する夏(ロマンス)、凋落し死に至る秋(悲劇)、不在の冬(アイロニー)。
 
秋の終わりに死んだ渚。その不在を表現する冬と5年という時間。
春原という喜劇に対して、秋夫が悲劇を象徴していると考えるのも面白いかもしれない。
 
 
ガンダムOO
フルメタガンダムが2期になってZガンダムになったわけだけど、ハマーン様の不在によってZZのラインはないのだろう。するとティターンズをぶっ潰して、ロンドベルになって首に鈴をつけられるってのがソレスタルビーイングの運命かな?という風に予想できるのだけど、それにしてはマリナ・イスマイールが政治の前線に戻ってこない。
 
ロボットの方もパワー主義みたいになっちゃったし、いろいろと使いこなせてないね。