雑記(日本辺境論)

 
●日本辺境論(内田樹 著)
辺境=田舎モンって本なんだけど、この本の位置付けってどうなんだろうなぁ。流行ものっぽいし「知ってた方が良い」に分類されるもの、かな。スケールが大きいというよりは射程が長いという感じ。
本屋をウロウロしてて、内田 樹の名前が目に入るようになって来てたので、そろそろ一冊〜とか思ってたのでコレを手にとってみた。ネットでオススメされてても、結局、目に入らないものなんか買っても仕方が無いのでありんす。
 
中華思想華夷思想)というコスモロジー(宇宙観)に従って辺境としての精神を持つ国、日本!って内容。ハァ?中国なんざモンゴルにイジメられてた癖に!とかちょっと思ったりもする(←バランスをとるための発言ね)この辺りはローマ帝国の周辺=最前線の考え方とはチト違うのかもしれない。光が届くかどうか?みたいな観念的な話でしかなく、実際の統治から考えた方法論ではなさそうなので。
 
結局はマイノリティとしての心性を持っていて、変化の仕方が変化しないんだってさ。優れたモノは外部にあって、自分はまだ知らない、みたいな。日本語に関係する章が最後に設けられているんだけど、其処はブログをやっている身として唸ってしまった。知っていることばかりだったけれど、パズルのピースが組みあがると全体図が出てくるイメージ。
 
外来語→真名(男性語)、土着語→仮名(女性語)だとか。例えば、「分かり易く書くこと」というのは女性化に相当するようだ。専門用語バリバリでシッチャカメッチャカな学術分野ってあるけどそういうものは男性語の領域になるのだな。そもそも「理解」ってのの定義が「他人に上手に説明できること」にどこかで変化するんだと思う。一番身近な他人は自分だって意見もあるんだけど、個人的な経験では専門性の高い男性語の領域を弄ってても「自分だけが分かる状態」で、他人には言葉で説明できなかったんだよね。まぁ、右脳云々っぽいイメージで処理できちゃうから言語に翻訳することがそもそも出来なかった、というか。(今も苦手だけどなw) 
 
ここから想像が飛躍してって、例えば、現代のライトユーザー、もしくはライトオタクってのは、この文脈だと女性化ってことになりそうだ。オタク第一世代は(一見)無駄に思えることに対する無闇な情熱の高さ・深さが男性的というのかな。
それから新しい情報を外側から仕入れ(狩り)てくることで自分の中華性をアピールすることが「男らしさ」ってことになったりだとか。
 
 
他にも面白いと思う部分が幾つもあったり。機の思想の項だと、論理の連続性が遅さに繋がる認識になってる。ウチの表現だとAはBだからCで記述する論理の形式のことに相当してて、んで決戦存在に見られる論理・選択の同時性(世界「を選ぶ/に選ばれる」が同時)みたいな共時性部分も出てくる。
この後で更に先験性にまで発展していくんだけど、ちょっち説得力が無かったかな、とか。個人的に惜しいと思う部分もチラホラ。時間に対する理解がないと分かりにくいんだよね。メタ視すると全ての時間は同時に存在しているわけで、つまり過去側に対しては「思い出すこと」になり、未来側に対しては「先験的に知っていること」に当てはまるような意識の動きがありうるんだよね。つまり未来を思い出すってことが可能かもしれないわけだ。更に突飛なことを言うと、過去を脳内にデータの形で本当に保存しているのか?って話とかね。過去の時間にもうちょっと直接的に接触しているかもしれない。
 
でもアプリオリとかはどうなの?って部分はどうしてもあって、アフォーダンスのような外部に知識が一部なりとも付与されているようなモノも想定されていることだとか、論理的には後から意味付けすることで先験性に似たものを確保してしまえることなんかを考慮しないといけない。後付け設定ってお便利よね?って。
ヘーゲルハイデガーに喧嘩を売っている部分なんかに関しては、私はヘーゲルハイデガー寄り。下絵っていう内田の導入したガジェットによって台無しになってしまっている部分がどうしてもあるんだわ。
「その人が何かを分かる」ということと、「その人が何かを分からない」ということがあって、「分かる/分からない」の区切りが何処にあるのか? そして「理解できた」ということは「理解することが可能性だった」ということを意味するわけだ。そこでどうしても理解できないものがあれば、それはその人の内に理解するための何かが決定的に無かったのだ、といえる。
内田の言い分であれば「いまだ持たぬもの」なんだけど、これは「いずれ持つもの」とセットになっていなければならない。そもそも内田の欲する学びで言う「知らない(つもりでいる)こと」というのは、「露見性」をコントロールするためにあって、人生ドラマを最大化させるために必要とされるロジックでしかない。エウレカ!ってびっくりすると深く刻まれるんでしょ。この刻んだり焼きついたりを欲する人によくある成功パターンの一つであって、その知らないつもりでいるから「いずれ持つもの」を都合よく無視して平気なんだと思う。その都合の良い態度も含めて辺境的といえなくもない。
 
この自分の内側に在るものが顕在化するということの面白さは、実は自分に含まれるものの巨大さにこそある。キリスト教的には理解できないものがあれば神を保護するシステムに組み込まれるんだと思うけど(笑)、人間が結果的にどうしようもなく、仕方なく理解できてしまう何かってのは正気を疑いたくなるものかも。
 
 
それから語るに落ちてんナーとか思う部分があって、内田樹はソフトだったけど、結果的に麻生さんをバカにする発言ってのは、逆説的に麻生さんを「知の基準」として高く評価していることを意味しているのだって気が付かせてくれたね。麻生をバカに出来る俺ってカッコイイ!みたいなポジショニング。まぁ、常套手段なのか単に愚鈍なのか悩むところだけど。
 
 
うーん、まとまりゃせんな。もともと要点をまとめる気なんかサラサラないけど(笑)
 
 
●今週のバキ
なんか、やっちゃってるね。ママンから●億のお小遣いもらってるボンボンにたかだか30億ぐらいで圧倒できるって描写とか。それから自家中毒って言葉を思い出す展開だとか……。