雑記

 
セパレート携帯は面白いね。メール見ながら電話したり出来ないのは確かに不便だし。ジャックバウアーが喜びそうなアイテムだと思う。(もう最終シーズンって話だけど)
 
 
●物語三昧ラジヲ(前半)
感想が欲しいとか書いてあったのでなんとなく聴いてみた。
残念・納得モデルの話は、要するに「残念・納得の二元論」と表現すれば一発で理解できそうな話だったかな。正しいか間違っているか?での二元論的な判断基準に違和感を覚えるのは、まぁ理解できる話ではあるけれど。
面白いのはエネルギー保存部分かなぁ。前半最後の方は話を被せ合ってて聞えないし、まぁ仲が悪いならネトラジなんてやるなよ(苦笑)って気分だったけど、スカイプが原因だとか言ってたので納得したようなしてないようなw
 
物語の最後で「ギフトを手放す」か「俺は人間を止めるぞ!」のエンド形式分類は、要するに越境して終わるかどうか?で纏められそうな話だったかな。後半は、まだ聞いていない。
 
 
以下は、私の持論だけども、問題点として物語を介入だと考えているかどうか?ということがあるかな。物語ってのを相手に聞かせるだけの価値があるものだ!と作者が信じたい場合に「つまらない現実」に対して「介入」を発生させて、物語る価値を作ろうとしてしまうことが結構ある。勿論、逆でもいいんだけど、その場合は「本来あるべき世界はこうだったろう」に、「どうしてこうなった!」って形で悲劇とかになるわけだよね。つまりどちらも、世界や時間、人生、ルート、名前はなんでもいいけど、本来の流れ(運命)とは「違う現実が生まれ」ていて、そこが物語りを聴く価値になっている。故に介入、と。
 
更に今だと「本来の現実」の上に、「物語のある現実」が存在して、更に「物語のある現実を踏まえた上で介入していく物語」に移行していることなんかが観察されてて、「つまらない現実」と「古(臭)い物語」を上手に踏み台に出来てない(ドム的に)のが微妙に問題かな、とか。フラグ外しとか呼んでいる(LDさんだったかな?)現象もこれで説明した方がそのメタ性の起源として正確かな?と思ってたりする。
「ゲーム攻略的に振舞うキャラ」なんかが物語をメタ視する読者を感情移入させる装置として働いたりしているわけだけど、背景論的に、扱う文脈レイヤーが多重化しているというべきか。……動ポモ2の「ゲーム的リアリズムの誕生」がこれ系を扱ったネタかな?と思ったらちと違ったようで(笑) あちらは現実からメタ現実への移行という話みたいで、ゆえにループを題材として扱う必要があったわけだ。だけどとりあえずは「現実」→「現実+虚構(物語)」→「(現実+虚構)+メタ現実」的な段階を指摘しなければならないと思われ。……読み返して無いから突っ込み所満載かもしれないけど(笑)
 
 
そうそう、常識って言葉は私も大っ嫌いだった。
常識を疑えとか、思考停止するな!とかよく言うけど、常識の「使い方」が分かってくると安直な態度にすぎたな、と。「思い込み」は「信念」なんだよ。想像によって歪められた現実が、常識という殻をかぶっているんだ。常識とは何で、何で無いものなのか、だね。常識がただの知識ではなく、信念を内包していると分かってくると、実は味方として組み替えることが出来るようになっていくみたいだ。まぁ、そこから先は腕が問題になるんだけど(苦笑)