雑記(評価言語)

 
ちょっとしょうもない話をば。
 
書きかけのアゲイン!!4話の感想があまりにもダークネス過ぎて書き直す気力が失せてます。
 
まどマギ賛美から離れたくてついネットからも逃げつつ、著名な人とかが名作扱いしたところで所詮は使い捨ての佳作クラスじゃんとしか思えないのは老害メタ死直前なのか否かって感じですが。まぁ、私を巻き込まんでくれというのが先に来てしまうのですよねぇ。
 
 
一応、総体回帰に近い現象をやっている部分ではそれなりに評価しております。マンガ作品だと藤崎竜の「封神演義」みたいなジャンプ作品のイメージですね。アレはインパクト強かったです。最近のアニメだと、キョン君の中の人も大好きらしいガンダムOOティエリア・アーデがネットワークの住人になってしまったりでしょうか。映画版がどうなったかは知りませんけども。
 
 
でも個人的には、神のみアニメ2期の、あのボケたテンポはどうにか成らんの?みたいな方が重要だったりします。作品的にもアプリボワゼの方が重要だと思ってたりしますね。
 
えっと、重要度や影響を計る尺度みたいな問題を考えるとして、まどマギの興奮みたいなものを冷静に評価しようとする場合、どう考えたらいいのか?みたいなものは複数の層で考えられるものなわけですよ。単純に視聴率だとかもそういう尺度ですし、DVDやらブルーレイを買う人間の数みたいなものを考えれば、キャラグッズまで含めた「金」の問題に落とし込むこともできるわけです。
 
だと言ったって、所詮は深夜アニメでしかないし、ましてや1クール作品です。エヴァはみんな知っててもハルヒは知らなかったりするワケで、ネット民が気取って「名作だ!」とか騒いだところで、「自分が視たものには価値があったことにしたい」人の思い込み以上のものではありませんのことよ。
それでも盛り上がった方が制作者サイドは有り難いってものでしょうから、その辺りにケチを付けてはいけないものだとは思うのですが、個人的にそれは批評じゃねーだろ、としか思えなかったり。
 
 
あ、イカン。そういえば、太鼓持ちするんだった。提灯記事書かなきゃ!やっべ(忘れてた)
 
 
震災があって思考負荷を経験した人達が、一連の出来事・インパクトから何を学んだのか?みたいなものが重要です。今こそ思考の地力みたいなものが試されているのです。
 
エンタメ作品にも少なからず影響が現れるものだと思うのですよね。災害モノを見る我々の視点も決定的に変わってしまうでしょう。描く側にも何らかの影響があったかと思います。それは残念ながら「私」の視点では判別しずらいものだと思います。何せ関東とはいっても渦中にいるわけですから。むしろ海外のマンガフリークの連中だのの方が「何か」を感じ取り易いのかも分かりませんね。
 
 
●評価方法論の問題
えっと、何時だったか、コナンの実写ドラマをやっていたんですが、テレビつけっぱで見てなかったんですよ。すると、さっぱり内容が入ってこない。それって、音に対する設計みたいなものがまるで出来ていなかったのではないかと思うのですよ。
 
同様に、神のみ2期の4話だったかな?ハクアが逃がした駆け魂をエルシィと協力して捕まえる話なのですが、テンポが悪くてどうしようもなかったってこともありました。
 
これは、評価言語をどう設定しているのか?って話だと思われます。
音設計がなっていないのは何故か、1話の時間配分がおかしいのな何故なのか。
 
以前にちょっとだけ書いたフィギュアスケートの話なのですが、評価言語が減点法になってしまっていて、加点法の言葉を使っていないと書いたのですが、今回なんとなくテレビを流していたら(すみません、まともにテレビみてないのです)加点法っぽい言葉遣いが増えていた印象がありました。
 
いや、オトナアニメだのアニメ雑誌だのを読めば、そこらへんで評価言語を使って話をしているのかもしれませんが、最低限必要な評価言語は何なのか?みたいなものに対する意識が低すぎませんか? 私がしらないだけかもしれませんけど、私ですら知らないのだとすれば、一般視聴者がアニメ見る時だって、のんべんだらりとしか見ないですよ? 評価言語を用意するぐらいの努力をアニメ制作サイドでやって行かなくてどうするんでしょうか。
 
 
はっきり言って、まどマギから何かを学べるのは一部の天才とか物事を分かってる人だけです。評価言語を抽出しない限り、たいした影響も無いままでしょう。きゅうべぇのいやらしさだけの作品になってお終いですね。一時期、この手のインパクト詐欺の作品が増えていけばいい方です。
 
 
アニメーションみたいな総合芸術を総合的なものとするには、まさに各要素を高めて総合化していく必要があります。学びと、それを活かし、作品として発表して評価を受け、また学んでいく、といった循環無しには成立しません。その循環を活性化するには、どうするかってことです。
 
 
必要な要素を抽出して、評価対象として設定することです。
それを批評者だけにやらせようとするのは間違いではないのでしょうか。ろくに方向性もない曖昧で虚ろな視聴者みたいな大衆にそんな自律性を求めるのは酷ってものですよ。
 
 
だからね、本当に好きなら、がんばってよ。「好き」って、大変なんだよ。