雑記(規制なのか、保護なのか)

 
 
エロ規制って、実は保護じゃね?
 
 
ジャンプやマガジン、サンデーでは、何故、セックスしまくりのエロ漫画が無いのだろう? もしも「表現の自由度を最大」にすることで「完成度が高くできる」のであれば、エロ漫画の方が圧倒的に「売れる」んじゃないの?
 
小説もそうだけど、少年漫画などの分野では、エロがなくても売ることが出来るわけでしょ。エロ無し!ってカテゴリーなのを理解した上で買っているわけだ。これって実は凄いことじゃない?
 
エデンの檻で台詞にちょっと赤裸々な部分があっただけで大騒ぎがあったけど、あんなのエロ漫画だのエッチなビデオに比べれば刺激だなんていえないようなレベルなわけじゃん。なんで大騒ぎすんのだろう?
ルールが守られることの価値を強く信じている人がいて、それが破られることに凄く興奮する人がいるからだよね。越境にインパクトがあるからだよ。
 
 
商業的な制約とは「売れる物を作れ!」ということが当たり前に強制されることにある。
これに対して同人紙的な作品とは、「売れる物を作らなくても良い」という意味での自由が強調されてしまう。売れなくても、ホラ、同人だし、みたいな。(だからこそ、作り手自身が売るれることを最大の目的・目標にしなければならないのだけど)
 
双方にメリットもデメリットもあるハズだけど、同人紙の方が完成度が高い作品を作れるか?というと、ほとんどの場合で「そんなの嘘」だろう。ページ数も適当、直接的に競合する相手も特に居らず、締め切りだって延ばそうと思えばいつまででも延ばせて、たとえ売れなくても自分の財布が痛いぐらい …… そんな状態で完成度を高めるのはとんでもなく難しいと思うんだよ。
(ある程度以上の完成度だと認知されれば、コミケで販売した時に「眼前で飛ぶように売れていく」という実感を得られるかもしれない。それは数字だけの商業紙よりもむしろモチベーションに繋がる可能性までは否定しないよ)
 
自分の表現したい展開にすると「人気が出ない」と言い、書きたいことを書けないという作家がたまにいるが、自分の書きたいことを書けば、すなわち完成度が高くなるのか?といえば、それも殆どの場合は嘘だろう。 作者の自己満足を満たすだけの「つまらないもの」にしかならない。
自己の制約を越えるには、他人をも自己と見做す認識に至らなければならない。自己を真に満たすということは、他者を満たすことである、といった嘘臭い理想論を堂々とやれる程度には突き抜けていなければならないからだ。それだったって「俺が満足してんだ、他人も満足にちげーねー」みたいな自己欺瞞の罠に陥り易い事まで分かった上で、丁寧に厳しく追求していかないと。
 
 
この時代の作り手としての才能は、エロゲなどのシナリオライターの中に存在するという意見がある。それが正しいかどうかは分からないが、間違ってはいないと思う。
 
なぜならば、保護されていない所で戦わなければならないからだ。どんなに自信があろうと、エロくなければ、手に取って貰うことすら出来ない場合がある。
 
 
エロく出来ないから完成度を高めざるを得ないマーケットと、エロくなければ手に取っても貰えないマーケット。
つまり、エロければ多少完成度が低くても許されるし、それで手に取ってもらうことが出来るってわけだ。一律にエロいものの完成度は低いって認識になってしまうのは偏見だとは思うが、傾向的には正しくなってしまうだろう。(それでも一極化の圧力は強いと思うけどね。勝ち組だけが勝つ時代なのだから)
 
このことと、非実在成年がどうのこうのって話は直接的な関係はないけどね。単純に、規制=酷いことって認識になってしまうのにはタンマをかけないといけない。本来、規制は保護の方向にあり、規制緩和は過保護を緩和することに意味があるからだ。
 
だとすれば、「過剰なエロ表現」こそが今まで「過保護にされていた」というのが感覚と一致する方向なのかもしれない。
んー、例えばロリ漫画がLOでしか読めなくなったとしたら、LOの独占状態となって逆にマーケット的には保護されるようになるわけでしょ。一律に禁止されようとしているから問題なわけで、業界団体が圧力を掛けるべき方向ってのを考えてみたらどう?みたいな話でもあったりする。
 
 
私の基本的な態度は「ネギま!が規制されて売れなくなるのは許せんッ」というものです。はい。