雑記(泥のよーに!)

 
●泥のように働きたい!
働いたら負けかな?っていう時代だからねぇ(笑)つまり、労働というものが「マイナスの価値」しか持たない時代になっちゃったんだよね。働けば働くほど、肩が凝り、腰が痛くなって、目がショボショボし、病気になって、うつになったり、過労死するようなモノになってしまった。つまり、身体が硬くなってしまうわけだ。運良く定年を迎えたとしても、頑張れば頑張るほどボロボロの残りカスにしかならない。成果主義とか口では偉そうな事を言っても、定年退職したらカスなわけだよ。重役などと価値のある状態で居られるのは会社の中だけ。其処から一歩追い出されたらカスしか残らない。自殺するかどうか?というのは「リアルな選択肢」なわけでしょ。
 
何故か?
 
名人・達人への道が断絶しているからさ。一生を掛けて追求すべき「深さ」が無いからだよ。だから「生涯勉強」とか言うわけ。教えられるような何事かを持っていないから、勝手に勉強しろ、とこうですよ。まぁ自助努力で生涯勉強とかいうなら分かるけど、所詮は「記憶力の問題ですか?」ってレベルだし。やることがある内は人間は文句言わないように出来てるからって……。
↑このへんはちょっと嘘混じってるけど(笑)大枠ではキツイね。
 
泥のように働けたら最高だよなぁ〜と思う。泥って「きめ細かい」「ぐにゃぐにゃ」だからこそ使われる言葉で、肌理細やかであれば、深くなるという概念に繋がっていく。ぐにゃぐにゃで細かいのがどうして「深く」なっていくのか?という部分にポイントがあるんだけど、その辺の論理は飛躍させちゃってOKでしょう。深く浸透するには細かくないといけないとかなんとかその辺りの連想でいいと思う。浸透なんて概念が昔にあったかどうか知らないけど(笑)
 
今の時代だと泥の様に働けなんて言われたら、泥だらけ=汚れまくって働けぐらいの意味しかない。要するに、泥に対しても言葉に対してもマトモな感性・親和性が無くて、テキトーに言葉を並べたぐらいの意味しかないからだ。
馬車馬のように、って言ったら奴隷みたいに何も考えずに働けって意味だけど、身を粉にしてというと、泥のように働けに近くなってくる。
 
一生懸命に働く、ということは、現代であれば身体が硬くなっていくという意味しかないけど、身を粉にして働くということは、(言葉の由来はともかく)細かく→柔らかくなるということを意味する。ましてや泥なんて最高でしょ。働けば働くほど柔らかくなっていくのであれば、それは名人や達人への道にいるって分かるからだ。
 
 
泥のように働いて、泥のようにぐっすり眠る。この2つだけでも「良い一日の条件」の大半を満たすことができるだろうさ。特に泥のように眠りたい人がどれだけいることやら。
 
 
というわけで、労働=くだらないものという前提を変換してお送りしました。