涼宮ハルヒの消失

 
見てまいりました。混みこみでした。
待たせてすまない、長門。そして朝比奈さん、遅れてスミマセン。
 
 
80点。ただし、レベル3。星なら青色か何かで4つ。
 
 
2つぐらい次元が違う感じ。かといって、280点だとか、8000点、10080点ってわけではないんだけどね(苦笑) 普通に見たら80点、良くても85点ぐらいだったと思う。自分でも意味ワカンネ(笑)
同じ80点でもレベル1と2と3だと価値が違う。久しぶりにこのレベル差を意識したなぁ。レベル2ぐらいの奥行きを持った作品はそれなりにあるけど、そういうのは点数も十分に高くなるので(笑) 大体、こういう評価方法を使ってたこと自体を完全に忘れてたよ。もともとこういう感覚になる作品自体が少ないからでもあるんだけど、前に感じたのはいつで、どの作品だったのやら。
 
 
●背景アニメとしての「消失」
この視点が無いとただ絵のキレイな作品になっちゃうかも。これでもかと詰め込まれた美麗背景の連打に、ただただ圧倒される。これって限界までやり尽くしたろ、と思いつつも、遣り残したことに身悶えしてそうな作品でもあって(苦笑)、現時点でけいおん!やらエンドレスエイトなどで確認できる類の背景を使った演出なんかは注ぎ込めるだけ注ぎ込んであるように思う。
 
クオリティが上がっているか?といえば、んー、無論、上がっている部分はあがってるんだけど、というかそうなった場合、今度は映画版のレベルが高いことでテレビ版とのクオリティに差が広がるってテレビ版がチープになってしまうはず。なんだけど、今回の消失をみるとむしろ3年(もう4年か?)前のテレビ版の方が映画水準のクオリティで毎週放送されていたのだろう、という風に位置付けが出来て嬉しかったなぁ。そういう意味では、あまり変わってないと言えるかもしれない。ハイクオリティかどうかってのをそもそもあまり意識しないっていうのかなぁ。なんか「当然、このぐらいの水準だよね?」っていうので同意が得られているっていうか(笑) ジブリだとまだ「うわっ、すげっ」とか思うこともあるんだけど。
 
例えば、SOS団の活動拠点たるあの部屋だったりも、もともとの状態と消失後の世界とで「違う」ことがハッキリと運用されている。元々の状態と、変化した後の状態の「違い」っていうのが、自分で思っているよりも細かに記憶されているんだってことが分かるわけだ。
 
セカイ系として
セカイ系ってやつは、政治や経済、大衆の動静といった大枠の物語、いわゆる「マクロの世界」を中抜きしてしまって、キャラクターの物語、つまりミクロの状況に応じて直接的に世界を救ったり破滅させたりするわけだ。ハルヒを救えばそのまま世界は救われるって意味では、涼宮ハルヒの世界観もセカイ系に分類されると思う。
だから、結局はマクロ部分の代用として背景(美術)の技術を利用しているんだよね。背景=世界となってしまい易いんだけど、キャラクター物としての物語をアニメ化する手法として考えて、背景を加えることで社会性をつぎたして料理していることになるのかな、と。
 
マクロの物語とミクロの物語はたぶん根本的な部分でルールが違う。王子だとか英雄みたいなキャラ設定を導入しなければミクロとマクロの物語を接続することは難しいようで、現代の物語ってのが感情移入の対象として一般人を主人公にしようとする傾向から考えると、大きな物語が失われてしまうのはある意味で必然だと思える。
まぁ、世界が社会に歩みよっているんだよ。世界だの社会だのの概念は実は目には見えないけど、背景として描写されているそれらによって見ている気分にはなれるからね。(電撃SSガールはハルヒ+政治・経済だね。2巻出てるけど読み途中。)
 
 
●葛藤の視覚化
エヴァ以降の世界ではメジャーになった精神内部の描写・視覚化の一部として葛藤を視覚化させている。
ウチでも「 なんとか 」vs「 なんとか 」みたいな形で何が葛藤なのか?をハッキリさせるようにしているのだけど、対立が明確になっていないとなんだか分かった気分だけで終わってしまい易いからだ。(これは「自分が」って意味合いがけっこう大きかったりする) 抽象表現としては、天秤で重いほうにどーん!みたいなのが良く使われるのでそんなに珍しいわけでもない。まぁそれは天秤がメインだったんだけど、天秤よりもここでは葛藤の内容自体が象徴として視覚化されていることがポイントかもしれんね。
 
入部届けと栞が対立項として表現されていて、普通の世界と特殊な世界の対比と言いたいけど、結局、長門を選ぶかハルヒを選ぶかだよね(苦笑)
残念ながら確実に元の世界に戻る選択しか有り得なくなっていて、構図的にはキョンにとって「消失長門」vs「元のSOS団」になっちゃっている。元のSOS団には当然、元の長門も含まれている*1
消失後の世界でSOS団メンバーを集めるのは結論的に言えば、そうならないと葛藤にすらならないからだろう。消失後SOS団を、しかしキョンは一蹴してしまう。ハルヒに対して「黙ってろ!」みたいに叫んでしまうのは、映画版の演出だけどそんなに違和感もなかったかな。
消失後の世界にも一点だけ確実に有利な点があって、それは朝比奈さんが未来に帰らないってことなんだけど、まぁ、本筋と関係ないですね(苦笑) イジワルを書くとSOS団は朝比奈さんが未来に帰る段には終わってしまう関係ってこった。そんなこと言っても小説の続きが出そうにないから一緒か。
 
 
●その他 
消失長門
消失長門はネット上では無敵のヒロインなので(笑)、そのことが分かっている人には意外に出番が短かったと思うのではなかろうか。でもそこまで分かってたら原作通りなわけで出番はこんなもんだと分かっているのかもしれないけど。
 
・高い場所から街を見下ろして、「何処にいるんだ、ハルヒ?」みたいなシーンも良かった。高所に立つということがメタ視を作ることもあるんだけど、街を見下ろしてポツリとつぶやく辺りの機微が良くって。まぁ、どうでもいいようなセリフではあるんだけどね。
 
・電車が後ろをゴウ!っ通り抜けたり、前に進むのを塞ぐのは電車の改札だったり。地方はともかく、少なくとも東京は電車の世界なのであって、車社会にしてしまうと結構アメリカ的になってしまうといった事情からも、イメージを投影させ易いのかな、とか。
 
・消失でもヘリを飛ばしてた(笑) 動く対象物を配置した背景(うごく背景)だね。
 
・朝比奈さん
大人版が綺麗でけっこう満足。中の人の演技が少女役よりも(以下略)
 
・シャミセンがキョンの下敷きになりそうでハラハラした。猫が体に乗っかって寝ると重くて辛いんだ。ホントにきついんだって。
 
ハルヒの魂に火が入る瞬間が欲しかったかな。いや、似たような演出はあったし、原作が活かされてはいたんだけど。インパクトの描写はちょっとした部分で決まってしまい易いので。
 
・魅力度って点では分散傾向だったね。あっちもこっちも良かったけれど、絞り込めていなかったような。
 
・ゆっくり歩いたり、扉を開いたりが丁寧に作られていて、日常が重ねているもの(記憶や時間など)を通じてこういう言葉は安易に使いたくないけど、実存に迫ろうとする意思が見られたと思う。
 
 
アニメ関係の背景周りにはたぶん化け物が何人かいるんだと思う。人生を使って背景美術に向き合ってるような奴らがたぶんいる。正直、現時点で理屈に出来るあたりの技術は全部使って来てるような気がしてる。京アニにとって限界まで出したんじゃないかと思うし、だからこそ「次」が見えつつあるような予感もある。だけどまだ次のレベルのものを表現できてない。そこが物足りないといえばそうなるかもしれないんだけど、質も量も圧倒的なので(笑)そういう映画だったかな。背景まわりだとかの普段使わない部分を使って作品を観たから、かなり疲れました(苦笑)

*1:だからこそラストで俺は暴れるぞ!みたいな話になるわけで。消失の長門を選ばない場合、本来ならば長門は消えるんだろうね