雑記(相撲関連)

 
 
八百長問題
今更ですけど書いておきます。
 
「日本人が横綱じゃないのは何で?」
これだけで大半の話はどうでもいいハズです。お金で勝ち星を買えるのであれば、日本人が横綱になっているはずだし、外国人の台頭はそもそもありえません。勝ちを譲って得られるお金よりも、横綱になる方が儲かるでしょう。横綱になってお金を払って勝ち星を稼いだ方がゲーム的に正しいじゃないですか。
 
たたし、これは八百長をやっている・いないの話とは関係がありません。
 
じゃあ、八百長はどう扱うべきでしょうか。まず良いのか悪いのか?の問題としては、可能であるなら人間はやりますよ。それが事実ですよね。その上で、7勝7敗の相手との取り組みになった時に、トドメを刺す役のをやるのを嫌がるのはそんなにおかしな話ではないでしょう。誰だって相手の相撲人生の息の根を止めて恨まれたりしたくないじゃないですか。武士の情け的なことを言うのは、これは仕方がない部分があります。
 
というのも、構造的に八百長をやるような仕組みになっていること自体が原因でしょう。引退に追い込む仕組みで真剣勝負させているわけですが、その仕組みがあるから無気力相撲をして勝ちを譲ってしまうものでしょう。 八百長もその流れにあるものでしょうね。
 
こういう構造論的な問題を無視して、「八百長はいけないこと」みたいな倫理観の問題に摩り替えるのはナンセンスです。自分が応援している力士が引退を免れたら嬉しいだろうし、その力士が自分の家族だったらホッとするでしょう。その力士が自分の恩人だったらホンの少しだけ力を抜いて負けてあげたくもなるでしょうね。
 
いや、八百長が正しいと思っているわけでも、手を抜いて戦えばいいじゃんとも思ってはいません。構造的な問題を抜きに考えるのはいかがなものか?というだけです。