呼吸五輪書(と雑記)

どの程度の忖度をするか、それが問題だ。
 
 
〇呼吸五輪書(高岡英夫著・BABジャパン)
えっとですねー、否定的なことを書くとメッチャ疲れるんですよね。ほぼ自己否定に近いのが原因かなって。それなんて信者?とか思わないでもないんですけど。
 
んで、なんの因果か、不完全だと指摘する役割が回ってきてしまっているという。いやぁ、書きたくねぇー。もう何日も前からこの状態が続いてて、もういい加減めんどうなので書いてしまおうかって感じでした。
 
で、呼吸五輪書なんですが、ヤバイんですよね。端的にいって「世界一の本」という。規模、スケール、密度、その他で圧倒的。ページ当たりの情報量でこれに勝てるのは、辞書ぐらいじゃないかなって。辞書だと情報そのものの質は下がっちゃうので、もうどうにもならない。呼吸法の本としてとかじゃなくて、ジャンルを超えて最高峰です。世界一です。
 
 
そもそもの話として、世界一の本を読んだことありますか? ってことなんです。
 
 
大天才が緻密に練り上げた呼吸法の集大成。凄まじいの一言に尽きます。
 
まぁ、不完全なんですけどね。いや、不完全なのはそういう風に構成されてるんで当然なんですけど。5章「空の巻」が配置されて、未完の構成なので、未完で当然というか。まぁ、ぶっちゃけ、そういう話ではなくって。
 
どの立場から語るべきか?ってのも問題なんですよねぇ。私にとっては、ほぼ完全な本です。ほぼとか言ってるのは、答え合わせをしてないからです。
 
なので、世界一の本が不完全な状態で放置されてるからもんにょりってことではあるんですよね。現状の私の状態になってはじめて、未完の美だと思うからです。だけど、逆シャアなんですよねぇ。「今すぐ愚民どもに叡智を授けてみせろ!」って。自分にできないことを人にやらせようとしているだけなんですよね。
 
呼吸法には希望がないんです。呼吸五輪書には夢はたくさんつまってるんですけど、希望だけ無いっていう。そもそも呼吸法の本じゃないですし。呼吸運動の本って言われたら正しいけど、呼吸の本筋の答えは書いていないでしょ。コレを無柱中心軸論的とかいって言えば、見栄えはよさそうだけど、「いや、中心軸がありませんよ」って話です。
 
現状のパラダイムポストモダンだと、中心には何もないことが分かって、周辺へと向かうわけです。物語でいえば、記憶喪失ものばっかしっていう。自己っていうのは、他者との接合点で形作られるものなわけです。インターフェースの時代です。この次の段階と予想されるのが、仮想の中心とか、無柱中心軸論になっていて、周辺の接合点を繋ぐと、何も無かったはすの中心には、目には見えない中心が存在するって分かるという。周辺があるから、中心が存在する。でもその中心は仮想的な、概念的なものなわけですね。
 
という前提の元に考えていくと、仮想の中心にはなっていないよねってなるわけです。
 
呼吸法関連の本で、これを超える理論は1000年どころか、1万年経っても出てこないかもしれなくて。高岡先生が改訂版とか出せば別ですけど。現在が73~74歳。現役であと10年ぐらい活動するとしたら、もう一回、しれっと書いてくれるかもしれないですしね。
 
 
「高度な成功は、失敗の近くにある」……私の言葉です。
 
呼吸は生命活動の根幹にかかわるものなので、失敗という現象があんまり無いんですよね。例外は過呼吸ぐらいのものです。
 
パニック障害の人らは、過呼吸で苦しんでいると思うので、あんまり強くは言えないんですけども、「過呼吸は祝福」です。失敗の近くには高度な成功がありえるからです。失敗が存在しなければ、高度な成功もないのだから。過呼吸と向き合わないといけない。ゴミみたいなみみっちぃ認識力しかない足手まといの連中が何をいおうが、人間にとって過呼吸という現象は、祝福です。福音です。
 
疑似的な過呼吸状態を作り出して、運用する。呼吸の達人が運用したらどうなるのか。答えをお待ちしております。
 
 
 
●以下は雑談風に
フットボールネーションの16巻をちょい前に買ったんです。最後のページのセリフで、「ああ、次は股関節本の内容か」と思ったんですけど、「股関節がハマってる」って、俺のことやんけ!と今日になって気が付きました。筆者か編集者か知りませんが「貴様、見ているな?」とかって。応援してまーす。来年の秋だっけ? 17巻が遠いぜ。
 
呼吸五輪書にちょっと戻るんですけども。空の巻だけ先に読んで、銀河細胞呼吸法とかほとんど同じことやってたーとか思って、ああ、危ない危ないとか思いました。
 
ぶっちゃけ、マスターしてからとか言われても、マスターできるわけもなく。何年前だかに辿り着いた四肢同調性だって今も絶賛練習中っすよ。呼吸法なんかなにひとつマスターできないんだろうなって思ってます。やっぱねー、呼吸法に対する特別な才能がないと無理じゃないかなって(涙)
 
座談会に登場した人達に、練度だと遠く及ばないだろうなって思ってますよ。さすがに理解度では圧倒的な大差を付けてると自負してますけども。まぁ、ニュータイプなんでね。覚者よかニュータイプの方が嬉しいっていう。正道を行く人たちには、えっと、頑張れはマズいので、健闘をお祈りしておりますとだけ。私は外道の人なので。先生のそばにはいけないので。
 
相当に昔に書いたんでもう一度軽く触れておくのですが、高岡先生に質問した時に、ちょっと良い質問をしたんです。そうしたら、本腰が入ったんですよね。しめしめ、と。そうしたら、パニックに似たような状態になっちゃったってことがあったんです。フィルターがかかったみたいになって、声が小さくしか聞こえず、日本語の意味が取れない。脳の中に閉じ込められたみたいなイメージですかね。音と意味が分断されてたので、脳梁に作用していたと思うんですけども。滅多にない面白い経験ではありました。部分的に黒歴史でもあるんですけど。
 
圧倒的な意識量というか、質なのか量なのかわかませんが、普通の人間ではない。これは本物だ!って思い知ったんですよね。
同時に、戦闘には不向きな構造だ!ってなりました。威圧されたら頭がボーンってなっちゃうかもしれないわけですよ。高岡先生の意識では耐えられなかったわけですしね。比較して武蔵なんかのリバースは、背中の外をぐるっと回って、下丹田と足の方に入っていくわけですよ。上丹田にリバースで意識を取り込む構造で理解力を高めてて、ニュータイプっぽいのに、戦闘向きじゃなかった。もっというと、中学校の全校集会とかで前に立たされるのが苦手だったのも理由が判明したわけです。緊張うんぬん以前に、たくさんの意識を取り込んだら破綻するんでしょうね。最低でもオンオフぐらいはできるようにしなきゃダメなんでしょうね。
 
なんでこの話を入れたかっていうと、呼吸五輪書の最初の方、21ページで、能力が10倍になったとか書いてあって、さすがにそれはサバを読みすぎでしょ?とか思ってたですよね。元の記号嫌いの高岡少年の能力がそれなりに低くて10倍になって現在の状態になったとか?みたいな。10倍はいくらなんでもーって。
 
いや、でも、俺が経験したパニックのヤツって、その10倍なのでは?って。通常の人間ではありえないような意識質量があるわけで、それをダイレクトに経験してたって気が付いたわけです。自分の経験と、本に書いてあるエピソードをリンクさせると、信ぴょう性がでてきてしまった。だとすると、私も多少は認識力が拡大しているんで、今の10倍はさすがに厳しいにしても、5倍ぐらい能力がアップする可能性はあるかもしれんぞ、と。
 
  
まぁ、全部をマスターするのは無理なんで、つまみ食いしていくぐらいかなって。やはり憧れるのは、気配察知でしょうね。亜呼吸空間ね。ニュータイプ的な察知能力はツボなのでね。だいたい、気配を察知できなきゃ、気配を消す必要が出てこないですからね。競争とか戦闘があってはじめて、対抗手段とかの段階に進むわけでね。
 
しかしまぁ、高岡先生のメソッドからはずらした方がいいのかもなって思うようになりましたけどね。漫画とかアニメ的な、現実ではありえない要素をとりこむスタイルというか。そういうのが向いてそうだなーって。とりあえず、スターシルバー呼吸をがんばります。
 
で、SS呼吸をやってたら、発見がありまして。
熱は出なかったんですけど、鼻水が出て、鼻づまりになったんですよ。グジュグジュになった。SS呼吸だと息が通るんですよねー。逆からいうと、鼻をすすり上げるような呼吸をすると、鼻汁で鼻がつまるようになっている。つまり、マイナス効果の鼻汁呼吸だったわけです。これで、寝てる間に花粉症でも鼻が詰まらない理由が判明しました。3軸に近い部位で呼吸してたからなんですね。
 
副交感神経優位のリラックス状態だと、鼻の粘膜が膨張?とかして鼻づまりになりやすいとか聞いたんですけど、3軸とかSS呼吸をすればよかったわけです。鼻汁も、口に入らずに喉の奥をそのまま通過してしまうので、鼻先に残った鼻水をかるく切ってやれば済むっていう。こんな感じですね。
 
 
呼吸五輪書にまた戻るんですけど、用途とか使途不明本だよなーって思っていて。どう使えばいいのかわかりにくいよなって。モーションで人間関係を改善するってだけで、「すべて解決できる」は過大広告やろって思ってました。なんだろう。セミナーにくる連中から応用というか、使い道を収集するべきでは?とか思ってたんですよね。
 
そんな時に、ひとつ良いのを見つけちゃったのでご報告まで。
情報吸引呼吸です。仕事中に座ってパソコン触ってる時に、吸引呼吸をしたら、画面から飛び込んでくる情報量が増えたんですよね。分かりにくい例えを出すと、アモアスでアドミンを見る能力とかって、訓練よりも才能だと思うんですよね。じゃなきゃ、格ゲーとかFPSで瞬間的に判断する能力とかでもいいです。視覚から取り込む情報量とかって、短期記憶もあるし、若さだとか、素養・素質なんかの「動かせないもの」だと思ってたんですけど、変えられるっぽいです。
 
書類見る時に、数字が並んでると「うわっ」とか嫌だなって思ったりする。そういう時にも使えるっぽいんですよね、吸引呼吸。しこりとか意識のくすみ、煮こごりみたいな感じで「こごり」って呼びたいんですけど、自分の周囲にこごりを発生させちゃってるんです。情報を吸引してやると、こごりがなくなって、するっと入ってくる。新しいものを学ぶうっとうしさとかの原因をみた思いです。能力10倍との関連もあるでしょうし、これはいよいよ、面白くなってきたぞ、と。
 
この使い方だけで、1冊分の2200円ペイするどころか、人によっはて200万とか2000万とかの価値があるでしょう。
 
 
スリープの呼吸法も素晴らしいですよね。秘伝連載時は、太陽との関係を改善する方向に特化しちゃったんですけど、今回の本から3丹田をメインでやってます。絶対的に、寝具よか眠り方ですねー。ぜんぜん違う。そろそろ寝ようか~ってなったら丹田を入れていって、上中下丹田にそれぞれ、天、太陽、大地を接続して寝るっていう。短時間で回復して起きちゃったりして、なかなかアレですけども。
 
MJなら丹田ぐらい揃ってたろうに、なんで睡眠薬なんか使ってたんですかねぇ。10代のころはマイケルジャクソンなんて何とも思ってなかったのに。歌も踊りも別に「まぁ、そのぐらいならできるでしょ?」って思ってました。でも、こっちが30過ぎちゃうと、うわっ、凄えってなりましたね。相対的に凄くなっちゃったんでしょうねぇ。50歳のキレじゃなかったし。ちゃんと寝なきゃなーって思います。
 
 
呼吸法は関係ないんですけど、つい先日、ベストラインが使えるようになりました。キーボードのテンキーを入力するときに、ベストを利かせられるようになったんです。たまたまなんですけどね。指の感覚じゃないと入力できなかったんで、かなり嬉しかったです。
 
呼吸法とか苦手だよなーって思ってまして。実体の精密操作なんかとてもじゃないけど無理!って。意識操作じゃダメなのかな?とか思ってまして。これでも普通よりは運動神経は良い方だと思うんですけど、器用さが足りなくて。器用さは運動制御で補えばいいやってタイプなんです。意識制御に全振りなんで、細かい実体制御は苦手でして。
 
ドライブ軸のときも、実体制御のウンチ歩きがひたすら苦痛で。ここのブログでも悪感情を振りまいたぐらいです。私は悪くありませんよ、指示を出した先生の責任です。途中であきらめて、3軸格定(意識操作)に切り替えたんですけどね。でもこれ、実は最初から全部意識制御できるものは意識制御ではいいのでは?とかって思うようになったんですよね。上達=意識制御みたいな。意識で制御できない状態から、意識で制御できるようにするためのメソッドかも?って。
 
先生はどうしているんでしょうね。実体の精密制御やってそー。でも極意の人だし、身体意識で制御していると思いたい。
 
この問題もまた微妙で、意識制御しただけじゃダメなパターンがあるというか。無意識段階からの成長が必要なことがままありそうなんですよねぇ。たとえばライド状態。ディレクターに身を委ねる感覚とかは、自然とそうなるのを待つべきというか。
 
私の場合は、肩回りだと前後ずらしのパルトが超得意で、ベストとローターはあんまりなんです。ベストって使えないと使う場面が限られてしまっていて、私の場合は肩を回すぐらいしか使う部分がなかったのです。
一時期、秘伝の連載でもやってた肩回しなんですけど、ベストを使うのがコツです。肩まわしは、実は胸のベストラインで回すのがコツなのです。これが分かってからは、肩を胸で回してました。
 
今回もそんな風に、意識制御の代表格として肩を胸のベストラインで回してたんです。そのあとでキーボードにさわったら、いつの間にかベストラインに接続されていました。無意識的な成長なので、大切にしたくて、最優先にしてます。吸引呼吸も偶然だったので、なんか成長期が来てますね。
 
今朝は、なんかベースって大事だなーとか思ったし、下丹田への刺激が深く入っていったし。いろいろと分かってきちゃってます。
 
 
重垂吸引落の話も面白過ぎる。超高速移動運動の体験ってやつかなって。高岡先生の本の中で、一番のトンデモは「ヒトは地上最速の動物だった」だと思っていたけど、実体験からくる何かである可能性がでてきたかなって。超高い回復力や持続力で長時間走ってた方が説得力がありそうとばっかり。今月の秘伝誌も合わせて考えるとさらに面白い。トレ―ニングジャーナルに書いてた縮地の方法論がすこし見えてきた。縮歩の先に、本当の縮地があったのかも?
  
 
もうてっぺんなんで、ダレて来たし、今日はこのへんで。