ライトユーザー誤謬


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今までちょっとボヤかしてたのに、なぜだか2007年8月4日の日記ではアンケートなどの関係を明らかにしています。同年5月24日の日記の書き方を見ると「例えば〜」といった前置きがちゃんとされていたのです。こういったニュアンスは結構大事な部分なんですが、この変化をどうみるべきでしょう。
悩んでいるのか、吹っ切ったのか?ということもあるんですが、ここでは問題にするのを避けたいと思います。雑誌の編集さんに別にアンケのこと書いちゃっても問題ないっスよ?とか一言もらったらそれで済む話ですしね。


さて、マーケティングとかって結構複雑そうな話なのですが、よく似た話はゲームなんかのライトユーザーって考え方にも現れています。ライトユーザー=一般層と考えて間違いないでしょう。
こう考えてみると、コアユーザー=マニア層の総数なんてたかが知れているわけです。
FFなんかだと200万本ぐらい売れてたはずです。 それ以外の売れない作品なんかは5万本を目標にしてて10万本売れれば御の字、とかって話ですよね。


だから答えは簡単で、作品を作る場合、FFやDQを作ればいいってことになります。
この場合のより重要な問題は、自分が何を作ろうとしているのか、であり、何が作れるのか?ってことになります。少しコントロールできる部分を越えてしまうわけです。
ドラクエもどきはドラクエじゃありません。ドラクエが欲しい人でも、ドラクエもどきは要らないでしょう。




話を変えますが、アニメに見るライトユーザーの代表は京アニ信者とかですよね。
普段はアニメなんてよく見てなかった癖に、ハルヒだのらきすただの見ていっちょ前のアニオタのフリをしてやがる…………とか?(嫌京アニ厨的意見)
でもでも、アニメみない人から見たら、アニメを見ている時点でオタなんですよ。かがみんはオタクか?みたいな議論もあるわけで。かがみん可愛いよかがみん。じゃなくって、お客様は神様ならぬオタ様なのです。



さて話を元にもどしますが、ライトユーザーってなんでしょうね?
え?一般層じゃないの?って声が聞こえてきそうですが、それは言い換えただけです。
ゲームで考えてみましょう。FFを200万本買った人がいる。これはコアユーザーもライトユーザーも条件は同じです。つまり、ユーザーしかいないんですよね。作品に対してアクションを起こした人がたくさんいるだけ。普段からゲームしていて色んな作品に手を出しててFFも買う人。そしてFFやDQのような大作だけ狙っててFFを買う人*1
FFを作れる人にとっては差なんかないと思います。むしろ、FFを作れない人にこそコアユーザーという概念が必要になっているわけです。
でも、コアユーザー向けの作品って考え方はおかしくないですか?普段からゲームを趣味にしている人にとっては面白いゲームであるかどうかが問題で、コアユーザー的なゲームがどう、とかってあまり関係ないのでは?
クソゲーや隠れ名作とかって話はよくしても、「コアゲーない?」とかって私は人に聞きませんねぇ。
統計取ればなんとなくコアユーザーとやらがつかめるのかもしれませんが、年間何本買うとコアユーザー化するのでしょう?
10年間で50本買った人がいて、年間平均5本だけど、実際には最初の2年で40本、だったりしてね。


ネギま!などの作品の場合、関連グッズや出演声優によるコンサートとかってオプションがいっぱいあって、コアユーザー層を間接的に形成しているわけですが、声優オタクの人がネギまというよりは声優目当てでコンサートに来ているときに、その人はコアユーザーでしょうか?コミックスからスタートした人だけがネギまオタクで、声優から入った人はネギまオタクではないのだとすると、コアユーザーの特定はすごく難しそうだなぁと思います。
もう面倒だからお金を使う人はみんなまとめてコアユーザーとか? でも声優目当てなら原作の展開にごちゃごちゃ文句言うのでしょうか?声優の出演したアニメの展開は原作と関係ないかもしれないわけで。


それから京アニ信者で考えてみましょう。似非コアユーザーなわけですから、つまりライトユーザーみたいなもんです。彼らはハルヒのキャラソンとか購入してるわけですよね?ライトユーザーがグッズ購入するのっておかしくないですか?グッズを購入するのはコアユーザーなんじゃ?


マーケティングのプロとかががんばって分析していると思うので、彼方此方調べれば教えてくれるかもしれませんが、誰がコアユーザーか?誰がライトユーザーか?って話は身近な例で考えても案外難しいような気がします。



私の意見では、
ライト層とは「面白いか面白くないか」で判断する人、
コア層とは「色々と理由をこねくり回した末にどれくらい面白いか(orどれくらい面白くないか)」で判断する人だと思います。
 ライトな人でもお金使ってグッズ買ったりすると思うんですよね。私の友人にこのタイプがいます。批評に関してはバッサリですよ〜。面白いか面白くないかだけで判断しますからね。どこが面白かったとか関係ないんです。せいぜい「燃える!」ぐらい。彼らの前では私のようにゴチャゴチャと考えるのがバカらしくなります。実際その通りで、くだらんのですよ。シンプルイズベストってわかってるのに実践してねーじゃん、とかって話ですから。


 一方でコア層はぐちゃぐちゃ考えるけど、グッズとかはあんまり買わないケースもあります。(私がそうです)ぽっかぽか添い寝シーツなんて恥ずかしくて注文できませ〜ん(><)。フィギュアとかも持ってません。せいぜい本棚にむかーし買ったガンプラがあるぐらいです。
普段からぐちゃぐちゃ考えてるのだから、お金の無駄だと思うものとかの区別が付いているわけでしょ。
それにお金の無い時だってある。未成年でお小遣いがない、とかってケースも多いのでは?


でもこの考え方はマーケティングに使えるアイデアではありませんよね。マーケティングで考えるべきコアユーザーとは、いっぱいお金を使う人でしょうし。つまり結論が先にあって、そこに当てはまる人を探そうとしてるわけですよね。



さて、ここで赤松先生の日記の話に戻りましょう。


>183話目みたいなクラスメート短編集は、チビ楓とか出てきて
>コアな読者層は大喜びしてくれるのですが、あんまり本筋と関係無いせいか
>アンケート結果(一般層)はそれほど良くありません。


>特にネギまは、ネットでの評判と一般層から得られる数字が
>逆になっていることが多くて、ネタの配分に気を使わざるを得ない作品です。
>「実際の客はどっちだ?」と問われると困りますが(^^;)


>(中略)しかし、最近は「単行本の部数」と「アンケート結果」との関連性が非常に
>薄くなっていて(ぶっちゃけもう全然関係ない)、雑誌本体と単行本の購買
>層が全然違っちゃっていることが伺えます。



アンケート結果も単行本の部数も高いのがベストなんでしょうけどね。
マーケティングでいえば、いっぱいお金を使う人向きの商品が重要でしょう(ネオパク商法とか?)
しかし、FFやDQのことを考えれば、一般向け作品として間口を広げてやる必要があるのがわかります。
結論としてはごく当たり前に「単に物語が面白ければいい」だけのことです。
「どのように?」とか「誰に対して?」とかじゃなくって、
つかさにも、かがみんにも楽しめて、こなたもニヤリとさせればいい。
それが大衆娯楽であり、名作ってものです。*2



ここで言いたかったライトユーザー誤謬とは、
一般層といった曖昧な決め付けで対象を間違う可能性への言及です。
私のような消費者には殆ど関係のない話ですけどね。

*1:もっと言うと、買わなかった人こそが真の一般層です

*2:この展開でこの結論はないと思いますが、自重しました(笑)論理的にこうだってのは想像におまかせします