物語と「質量転化」

スロー・リーディング



●本の読み方 スロー・リーディングの実践
 著:平野啓一郎


本の読み方ですってププッ……という心の声が聞こえてきたけど、作家としての資質のある人の読み方というのは確かに面白い。
それに単純に本にお呼ばれしたら従っておくのが吉ってこともあったし。



内容としてはイマイチ(笑)だけど言いたいことには概ね賛成。
スロー・リーディング(ゆっくり読め!)を勧めている本だけど、速読モドキで読むべき新書本だし、まぁテキトーでいいでしょう。
速読に対して攻撃的、そして内容に混乱が見られる。
それと求めていた水準での実践の手法は出ていなかった。


例えば、
速読は「内容の読み方」を「唯一」のものであるという「前提」がある。……と書いている。

だからダメ、とくる。ビジネス文書もスロー・リーディングでジックリ読むべきだ。なぜなら、じっくり読まないと状況の把握ができない。よって迅速な判断が出来なくなってしまう。……と、こう来るわけですよ。


一見ね、いいこと書いてる気がするわけです。準備は(後片付けの次に)大事だからね。
でも「使い分ければいいんじゃん?」という考えがない。いささか速読しちゃダメって本になっている。
ビジネス文書は多様な解釈が出来たら困ることの方が多い。速読でも処理できる方が優れた文体となっても良さそうなものだ。相手がジックリ読むと分かっていたらジックリ時間かけて書かなきゃいけなくなってしまう。その上多様な解釈ができるように書くのは責任から逃げたいという気分に取ってしまう。


文書なんてミスがあって当たり前で、状況を把握したかったら担当と直接会わないとどうにもならんでしょう。ニュアンスを大事にしたいのなら特に文書の情報量なんてあてにならない。素人の書く文書なら尚のことだ。ビジネス文書は速読しちゃダメってのには同意できない。


確かに大事な文書もあるだろうし、文書だけの関係もあるだろうからスローに読むべき状況もある。間違ってるわけじゃないんだけどね。




更にもう一点。
「作者の言わんとするところを理解するのではなく、単に自分自身の心の中をそこ(作品・情報)に映し出して(読んで)いるに過ぎない。」(P42)


……と読み方が雑だと自分の読みたいものしか読まずに視野は広がらないと言っている。ここでも中々いいことを言ってる。速読の唯一的な読み方を前提としていたら、気付かぬうちにこの手の罠に落ちてしまうかもしれないよね。


しかしもう少し後のところでは「再読にこそ価値がある」として自分がその時置かれている状況や意識のあり方で本の面白さはまったく違ってくる。と書いていたりする。


どっちも正しそうな主張だけど「それって自分自身の心を投射して読んでいるってことじゃないの?(笑)」というツッコミが入るでしょう、常考
本の構成を考えてスロー・リーディングしてから出版すれば?と思わず言いたくなる。
 たぶん作者はそれぞれの箇所は違うことを言いたかったんだ!と主張するハズだけど、そもそも本を読んだ程度で「自己の認識の殻」を破ることが可能だろうか?それは自分の認識の枠内に埋もれていた事に気付いたに過ぎないのではないの?
もしくは、神が助言してくれたのかもしれないけどさ。



自己中な自分を投影した読み方
作者の意図した唯一的な読み方
創造的な誤読を含む多様な読み方


一応この3種類で論理を作ってるらしい。けれどもこの3つは同じことの別の言い方に過ぎない。自己中な読み方も、多様な読み方も同じことだし、作者の意図なんぞどうやったら分かるってんだ。そんな決め付けは自分の妄想だと思っておくのが当然だよ。


例えば、
私はネギまを毎週ゆっくり10回*1は繰り返し読んでいるから、作者の言わんとすることを正確に理解している…………笑われちゃうよ。恥ずかしくてそんなこと言えないっつーの。あちこちから馬鹿にしてんのか?って文句が来るよ。



 つーか、これ作者本人は分かってて誤魔化してるんじゃないの?金出して買ってんだぞ、もう少しまともな論理を組め。読み手をバカにするのもいいかげんにしろ。この程度は速読モドキでも分かるっつーの。




でも、大枠では賛成だったりする。



物語は多様性を持っている。
それは自分の読み方が多様なのか物語の方が多様な解釈を許す奥行きを持っているかは分からないが、どっちにしろ多様性はあると言えるだろう。
修羅の刻の解釈とか好きだし)



それと、ある一定以上の読み方というのはあるとも思っている。
それは質量転化という概念で説明できると思う。


そもそも量よりも質を尊ぶことはそう簡単な話ではない。
量質転化ならば、一定以上の量をこなすことで、とある段階から質的向上がもたらされるとする概念だ。「運動の世界」では幾らでも観察できることなのでそれなりの信憑性があるけれども、何にでも使える概念でもない。
質量転化を経験したことが無い人間が「量より質だ!」とかって言うこと事体にはあまり意味がない。先に量をこなした方がいい。
敢えて言うならば、身体・運動の感覚として質量転化を経験することをオススメしたい。こういうのは実感の世界だからだ。素振りとかパンチとか3万本ぐらいやってみりゃいいと思うんだよ。同じことを物語読んだり、アニメ見たり、勉強でやったりするのはシンドイよ。運動だったら1週間もあれば結果がでるし、筋肉痛だって2週間もすりゃ消えるのだから。
 もしくは、周囲に一定以上のレベル(質)の人間を配置するとかね。「当たり前」という環境・水準をコントロールすることでごく自然に最低水準を高めることができるようになる。医者の子は医者になり易い。カエルの子はオタマジャクシってね。
でもそれって恵まれてないと難しいことだからね。量をこなす方が早いわけで。



本書でもいくらか説明されているんだけど、質を高める読み方としては構造分析的な読み方も面白いよね。それが正しいことかどうかは分からないし、断定したくないと思っていたりするけど。
ある程度の年齢になると作品の内容を覚えていない・忘れっぱなしで思い出せないことに気が付くんだよね(笑)構造的な分析をした方が圧倒的に記憶し易いということに気が付く。


例えば恋愛モノなんかは、結局のところくっ付くか、くっ付いた後に別れるか、くっ付いて別れてくっ付くか?といった程度の分析でもいいと思う(笑)
この場合、構造を念頭に置いて作品を観賞するならば、それは細かな差に心を砕くことになる。恋愛モノなんて大枠ではその程度の話だし。でも、だからってツマラナイってことにはならないということが分かる。


今、ドラマで「ホタルノヒカリ」ってのをやっている。
構造でみると「君はペット」と殆ど一緒だったりする。どっちも少女漫画が原作だったと思う。私は原作漫画の方は知らない人である。


君はペットの方は、嵐の松潤がペットで、飼い主が小雪だ。
小雪田辺誠一と恋愛をしていて、結局は松潤とくっ付いた。
一方、ホタルノヒカリは、男女が逆になっていて、ペットならぬ干物女綾瀬はるかが演じていて、ちょうど飼い主みたいな男の役を藤木がやっているわけだ。こっちは綾瀬はるかが他の登場人物と恋愛をしている。
どっちも女性が恋愛をしているのは原作が少女漫画のため、女性が感情移入するからだろう。
最後にどうなるかはまだわからない。どっちでもいいけど、面白いところではある。


慣れてくれば文法だの作法だのも見えてくるだろうし……やっぱこれって量的な読み方だわ。



スローリーディングとリリーディング(再読)の重要さは再認識すべきものだと思えた。
そして速読も合わせて使い方・選択の問題として考えたときに情報に対してより有意義な接し方ができるように思う。
速読・再読・遅読を適切に使いこなせるように心掛けたいと思う。

*1:10回は最低ラインだよね。感想書くんでためつすがめつしながら飽きるまで15〜20回は読み返していると思う。ウハ〜とか言いながらね