雑記(ドルアーガの塔)

 
ドルアーガの塔10話
毎週楽しみにしている割に、平凡だなーと思っていたんだけど、10話でちょっと面白いことになってきた。なんでも願いの叶うというブルークリスタルロッドを目前に、それぞれの動機の話題になった来たからだ。
 
ハンタのグリードアイランドの場合も一坪の海岸線のところで似たような展開になっていた。ハンタの場合は、通常のゲームクリア報酬(グリードアイランドの場合はカード3枚)に対して、大富豪のバッテラが報酬を設定することで状況が複雑化していた。(外部設定というか、メタ報酬というか。)
 
もう一つはFateシリーズの聖杯戦争だろうか。こちらに関しては特に言うべきこともない。
 
変身ヒーロー願望(努力なしで強大な力を手に入れたい)と、願望達成装置というギミックは時代性なのか?と思ったりもするけど、現代に生きているとよく分からないね。なんかあるのかもしれない。 
 
で、この10話では主人公のジルの動機が問題とされている。
ジルは、ガンダムアムロと同じく、固執すべき動機を持っていない。決して無欲なわけではないが、ブルークリスタルロッドに叶えてもらいたいものがわからないのだ。しかも周囲がそれを咎めるような口を利く(笑)
 
強い動機や渇望は、人を動かす強い原動力になる。通常、人は欲を持たないと努力が出来ないと想像されている。守りたいものが無ければ戦えないという人間はとても多い。そこでは競争原理を使った「より大きな野望を抱くレース」をやりたがる人々が沢山いる。逆説的には、失敗したら負け犬。途中で死んだら価値なし、蹴落とされたら雑魚。そして、それを恐れて何もしないなんてクズ以下と決める価値感だ。強い動機に正比例して人は強くなる、というわけだ。そこではより大きな野望を持つ人間に価値があり、野望を持たない人間を蹴散らしても正当化されるという錯覚がある。そうするためには、全ての人間が野望をもって競争するという仕組みがなければならない。同じゲームをしていない人間を攻撃して良いわけがないからね。少なくとも、同じゲームをしているのなら、勝った方が強いということの同意は得られるかもしれない。つまり、無欲な人間というものは、ゲームの純粋性を汚す存在になってしまうわけだ。
 
そして、無欲に対する恐れというものがある。
その原因には、欲を持っている人間からは相手のことが理解できないという点。最終的・究極の一線でその心を「支えるもの」が無いのではないか?という不信などがあげられるだろう。
 
 ララァ「なぜあなたはこうも戦えるの?
      あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」
 アムロ「守るべきものがなくて戦ってはいけないのか?」
 
 
実際、アムロのように強い動機も無しにエースをやっていられるのなら、別段、動機なんざ必要ないだろう。(シャアはそのことに対しても反発しているとしても)ジルにしたって最上階までロクな動機もなしに登ってこられた。そのこと自体を評価できないのは弱さというべきものだろう。
 
動機は強い原動力とはなるが、同時に弱さをも内包してしまう。
簡単な例としては、ダイの大冒険のラストバトルの最中、大魔王バーンはダイの気力を根こそぎ削ぎ落とすことに成功している。世界を破壊するという罠の前に間に合わないと悟ったダイは、虚ろに涙を流すだけだった。
 強い動機を持つということは、それを破壊されると戦えなくなるという弱点でもある。コードギアスでいえば、ルルーシュにとってのナナリーとか。
 
ローマのポンペイウスなどは野望を成すことに成功したのだろう。世界征服終了後にも強い動機を維持するのは大変なのだろう。
 
ネギま!ラカンなどは明らかに動機に類するものを持っていないであろうキャラクターだ。たぶん、奴隷解放された時点で動機の類いを克服してしまっているのではないかと予想される。エヴァンジェリンにもないだろうから、ネギま!ではある程極めたキャラには強い動機が無さそうなんだけどね。(これは問題点かもしれない)
 
 
……で、賀東作品で考えると、フルメタの宗介にも動機らしきものは無かった。淡々と命令に従うことを良しとするキャラクターだったのが、ヒロインの千鳥かなめを愛するようになって強い動機を手に入れることになる。
 比較してドルアーガの塔において主人公ジルはヒロイン(カーヤ?)を愛することで動機を手に入れることになるのかどうか?といった初歩的な推測をすることが出来る(たぶん、違うと思うんだけど)予言された3度の裏切りとは?兄ニーバの大望とは? ……ということでちょっぴり後半に期待の持てそうなドルアーガの塔なのだった。