悪が輝くとき

 
ううう(苦悩)
 
発端は、「神のみぞ知るセカイ」の分析を挫折したことでした。
主役の桂馬って千雨と似てるところがあるんですよね。私も普通にデスノートのキラ=ライトの方と比較してたんで、気が付いたときにびっくりして、どう影響するかに気が付いた途端に投げたわけです。
 
「お前は千雨と似てるから面白いとか言ってるだけなんじゃねーの?」という反論が耳元で聞こるわけですよ。そうなると、神のみを語ったり考えたりする前に、千雨のことを語らなければならなくなります。その手間と労力の大きさときたらない。それに千雨を客観視するぐらいだったら神のみの分析なんざどーだっていいんだよぅ!と世を拗ねたりしていたわけで(笑)
 
で、今回のオスティア祭で千雨がいる可能性のあるところを遂に見つけたんです。どういう事情で、どうしてそうなったとかは一切不明なんですが(笑)、ともかくいました。最後の最後で隠し玉(アレです)による一撃を決めてました。反撃で片腕を亡くしつつ、楓に抱えられて離脱していく、というイメージ。楓の本心からの賞賛にちょっと照れて、気絶。なんて妄想だ
結局、現実を敵とする相手の前に立つんですね。だから、フェイトが現実に対して憎しみを強く抱いていればフェイトの前に立つし、違うならあっちの前に立つんですね。あっちって、あっちかよ……orz
 
ギアスだと、ルルーシュとスザクが協力すると出来ないことは無かったりしたわけです。
基本形態はこれと同じで、「敵キャラとの共闘」が千雨や桂馬たちに共通する本質だと思われます。いわゆる「敵」と「味方」が共闘することによって、世界の前から敵がいなくなるわけです。残るのは「粗末な障害」というわけですね。だから勝てるという仕組み。
神のみの場合、味方に相当する存在は「読者の視点」のようなものでしょうね。いわゆる、「恐ろしい敵も、味方になるとこれほど頼もしいものはない」……ってことですかねぇ。
 
 
悪と悪の対決だったのかぁ。
テメーの悪は気にいらねぇ!っていいつつ、世界を選択することでヒーローを出現させていたわけだ。そりゃ強いわけだよ。アスナの代理なんかじゃねぇんだもん。まさかエヴァ様の代理だったなんて。
 
メタにもう一段階ぐらい上の話が転がってそうだなぁ。というわけで今日はこのぐらいで。