雑記

 
●統一的な「背景論」
……っていうがその内どっかから出てくるんじゃないか、もしくは既にあるんだけど、私が知らないだけでは?とか思っているんだけど、なるべくなら「自分では」考えたくないんだよね。是非とも、誰かが書いたヤツを読むだけにしたい。とりあえず枠組みだけでも示しときたいのだけどねぇ。
 
こういうのって定義問題から始まるんだよね。例えばネギま!では「空間を埋めるために」「双子を描いたりすることがある」みたいなことを言ってたりしてて、キャラクターも背景的に扱われているわけだ。これでもうキャラクターだから背景ではないとは分類できなくなる。メインキャラがエキストラをする場合だってあるだろうしね。よって背景というものが「単なる舞台装置だろ?」といった認識はごく初歩的なものだといわなければならないわけだ。
 
世界観には当然に歴史があるわけだろうし、登場人物に個別の過去というものがあったとして、世界観での歴史と、個別の過去がバラバラで関連性が無いなんてことは(よほどの理由でもなければ、)単なる設定ミスにしかならないわけで、そうなるとキャラクターの過去も世界設定の過去と関係があるのだから背景論で扱うべき範囲ということが言えるようになってくる。すると現在と過去をどこで分けるのか?という話が始まって、そのキャラクターの人格を形成する過去の記憶が、背景論から分離して個別に存在できるのか?という話に当然なるわけだよね(笑)
だから、ほぼ問題になるのは、背景論というものが単に寄せ集めただけになるのか、もしくはより統一的なものにできるのか?といった部分にあるように思える。
 
思考法の位置付けとしても、ちゃんと考える場合には「全体−部分」「部分−部分」といった「関係」に対して考察を加えたいものだね。じゃないと要素の羅列以上のものにはならない。でもそうなるとほとんど作品論の一種といった様相を呈するような気もする。
 
読者にとっての背景論と、作者にとっての背景論というものも考えられるね。特に読者にとっての背景論は、「読み」の向上という批評理論的な観点から重要な要素と成り得るのかどうか?とかね。何せ消費者側の評価方法論がダメだと作者側の認識に影響が行かないと思うわけで。
 
 
つーか、背景になんざ興味ねーんだよぉぉぉぉおおおお!!!!!
 
だから、目指すは
「背景になんぞ興味の無い人のための、背景論」(笑)
 
 
やっぱり読むだけにしてぇ。