赤毛のアン(モンゴメリ) 名作!

 
評価 名作 (★2〜3半)
 
 
名作です。★で考える意味はあまりありません。現状、今これを読んでいる自分では★3が精一杯ですけど、★5級の物語であることは間違いありません。これは私自身のタイミングの問題が大きくて★3とか書いているだけです。
(読み終わってからしばらくほっといたんですが、やはり★3なんてことは無いです)
 
 
まず大体のシナリオはこんな感じ。

男の子を引き取ろうとしたら、女の子が来ていた!

凄まじく変な子!

失敗やらかしまくり!

段々と可愛くなってきたぞ?

神様、感謝いたします(ウチの子最高!)
 
 
●小さなエイリアン、アン
基本はエイリアン(もしくはバーバリアン(蛮族))であるアンとの対立と、その対立構造の解消です。大人たちの既存の価値観vsアンのもたらす新しい価値観の対決ですね。子供はエイリアンです。大事なことは、著者がアンを小さなエイリアンとして意識して描いている点でしょうね。変です。キモいです。
ちいさな子は見本としてのアンを、大人はマリラ(義母)から見た「アンを育てる苦労」を通してこの作品を眺めることになるかと思われます。人の営みということもあり、読むタイミングによってこの作品の価値は大きく異なるでしょう。
 
対立構造の部分は、フェミニズム批評的な作品に分類されそうです。
物語中の二項対立のような状況では「対立するA・Bどちらかの立場の勝利」、もしくは「第三の答えによる解決」、「折衷案による失敗」などがあるわけですが、アンの物語は「対立そのものが解消する」といったタイプになっています。対立は対立していることそのものによって対立する拠点の働きをしてしまいます。どちらかの勝利といった形ではなく、対立構造そのものが無くなってしまうという最高の解決の形(の一つ)になっています。
作品内では小さなエイリアンとしてのアンが成長していくことで周囲に馴染んだり、大人になる過程で落ち着きを得ることにより対立そのものが無くなっていく形をとっています。どちらかの陣営が勝つのではなく、自然と対立していた部分が消えてしまうわけですね。
 
もう一つ、未来の恋人ギルバートとの関係も同様に対立→対立の解消の形をとっています。しかも、作中でのギルパートとの関係はアンの一方的な無視を中心にしています(笑) それ以外は勉強でのライバル関係だけという。この理不尽さは男性の立場では許し難いものがあります。言ってしまえば、女の子としてのアンはギルバートに対してほぼ何も働きかけていません。女の子を口説くのは男の仕事と言わんばかりの仕打ちです。なんという理不尽な話でしょうか(笑)
一応、ギルバートとの和解はマリラのエピソードがきっかけ風に見えますが、マリラのエピソードは順番的に切っ掛けにすらなっておらず、タイミング的に追い風かもしれないという程度で完全にオマケだったりします。
 
 
●あいよぶ魂システム
アンは控えめに表現しても「ちょっと変わった」、正直に言えば「キモい」少女なので、周囲の人間から受け入れられるかどうか?という部分に見所が設定されており、途中からそれを「あいよぶ魂」かどうか?という風にシステム化しています。
前提としてまず孤児であり、マリラが引き取るかどうかによって運命が変わってしまうということがあります。マシューには勝利し、マリラにはやや負け、ではリンドおばさんは?……という風に「総当り戦」に似た構造を有しています。
結果、あいよぶ魂であれば出番が増え、あいよぶ魂で無ければフェードアウトするようになっています。
 
同様に、アンは自分が口の巧い人間だと思っている部分があり、周囲の大人と説得という名の勝負をしに行きます。スコアを確認すれば分かるようになっていますが、別に大きく勝ってはおらず、マリラ相手にはまったく通用していません。
しかし、ダイアナの金持ちな叔母さんに対する「偉大なる勝利」の印象が強く影響しており、アンが「勝ち組」らしくみえるようになっています。小手先感バリバリなのですが、一般読者なんかこのぐらいで軽く捻っておけば十分なのでしょう。
 
 
●その他
マシューのチヤホヤっぷりは極めてスイーツ(笑)なのですが、たしかに子供は自分を受け入れてくれる大人が1人か2人必要であり、エイリアンであることも大抵は本当でしょうから、そんなに変な話ではありません。 ………… マシューのように子供に対して我々はチヤホヤできるでしょうか? これはかなり大切なことになってくるでしょう。
それに怒って育てると、嘘つきになったりするらしいんで、難しいところではないかと。
 
それからダイアナとの愛はギルバートへの無視とセットになって、父親の親バカ向きですね。娘を持つ父親の、異性を遠ざけておきたい気持ちどんぴしゃ的な(笑) しかも今の時代では名作フィルターがあるのでアンを見本となるような少女だと勘違いして読むことになりそうです。確かに成長したアンはちょっぴり魅力的に描写されてはいますが、少女時代は勉強をよくするぐらいしか取り得はありません。その勉強だってギルバートへの対抗心ですしね。
 
ガラスの仮面」のマヤにもアンのような何かの途中で別のことをしてしまい、すっぽりと忘れ去ってしまう部分が設定されています。アンは妄想ですが、マヤは演じることに繋げることでキャラを強化しているように思います。どの程度が赤毛のアンからの影響かはわかりませんが、赤毛のアンの独特な位置付けは(読む必要はあまり無いと思いますが、)面白いですね。
 
「ゾクゾクするの!」とか書いてあると、こっちも気持ち悪くてウゾゾってなりました(苦笑)