雑記

 
東のエデン(最終回)
中途半端な所で終わっちまったよーん(涙) 1クール使ってオープニングだけじゃねーか!って感じだったねぇ。全部のセレソンが登場するわけでもないし、というか、このゲーム自体をもっと追求して欲しかった。映画のタイトルがキングオブエデンとかになっているからたぶん総集編にはならないと思うのだが。
 
滝沢はまたもや記憶を消去したのか、それとも記憶を取り戻したのか?……でも滝沢の100億円は使い切った可能性もあって、主人公が代わる可能性が高い。びっみょーう。
 
 
けいおん!
けいおん!の主題パートの最終回か。ま、軽音してない話で終わるわけにもいかないもんね(笑)
歌っている顔がどこぞのモンスター風味な感じで微妙だったけど(笑)、特に文句もない。もっといっぱいカッコイイ新曲を聴きたかった気もするが、ふわふわタイムを今度こそ唯が歌うので一択だったと分かる。要するにマクロスF的なペースで新曲が聞きたかったと思っているわけで、けいおん!にそれを求めるのはちと要求が過大だ(笑) やつらはそんなに勤勉ではないわけで(苦笑)。
 
らき☆すた」だとみwikiさんがハブられ状態だったけれど、ムギちゃんは中心付近に居座ったので一安心。構図的には律がいることでネギま!の人間関係にけっこー似てたと思う。中心は静的な澪や紬。特に今回なんかは澪の落ち着いた態度は部長っぽかった。前回で律を攻略済にしたからかな?(笑) 最後のアンコールをムギがひっぱって(もっと楽しもう?)ってやっていたのが強く印象に残った。控えめな人間の自己主張は、だからこそ空回りし易いものなのだけれど、ここでみんなが乗って行くことで絆の強さを意識させる演出になる。
静的なキャラを中心に配置しておかないと、みwikiさんみたいにハブられてしまうような気がしている。どうしても動的なキャラが話の中心だからね。ネギまだと木乃香とかノドカがこの「静的な中心」のキャラに相当する。
 
その周りを動的な律や唯が走り回ることで話を引っ張っていた。特に律はパルやゆーなのような騒がしいタイプ。まぁ騒がしいだけじゃなくてちゃんと人間関係に配慮も怠らない辺りで嫌味っぽさを取り除いているわけだけど、抜けている部分もあるのはご愛嬌。作中では唯とりっちゃん隊員の息のあった絡みが退屈しないようなものに仕上がっていて良かった。澪と律の関係からすると、唯との浮気(笑)は相性の良さに拠るものなんだけど、その辺りの距離感とかまで含めて総合的なバランスを演出しているから人気作足りえるのだと思う。
 
そして梓の登場によって、もっと音楽をマジメにやれよ!っていうマジメな部分を回収した。更に合宿を通じてあずにゃんが打ち解けていく姿と、梓の視点を通じて他のキャラ達が再発見されることで巧く回っていた。梓の思い入れが段々と高まって最終回の演出に繋がっていく。いい子なんだよなー。
 
全体の構成を考えてみると、らき☆すたの場合は新入生の加入でカオスになっていく気がしたし、それが魅力でもあるだろうけど(笑)、けいおん!の場合はあずにゃんの加入でストーリー的に引き締まったと思う。いやぁ、楽しい作品でした。まだ来週におまけが残っているけどね。
 
 
宮本武蔵双剣に馳せる夢(映画)
正直に言って微妙な出来だった。私のイメージの押井守監督そのままの映画ではあったのだけれど(苦笑)
物事の実相をあらわにするために敢えて別の角度・視点を示すことで全体像を把握させる手法があるのだけど、この手法に拘泥すると本質そのものを追及しなくなってしまう。偏った知識層にウケる作家さんの場合「評価される方向」に自分の能力を伸ばしていく性質があると思われ、本質を追求したつもりでナナメの視点でそれっぽいことを言うに留まってしまい易い。これは作家の責任であると同時に、支持者の責任でもある。実際に賛同・支持される方向に求められている己を高めていくことは間違った選択とはいえないのだが、けれども大きな視点からは作品の質を落とすことに繋がってしまう場合がある。
 
映画そのものの感想として「誰をターゲットにしてんだ?」という疑問がまずあって、初学者で押井節に程よく論破される信者向きな作品になっていた。実際に背景や議論に精通していなければ最大限には楽しめないし、精通していたら論破されなくなる……というような圧倒的なレンジの狭さに驚かざるを得ない。本人はかなり研究しているらしき要素が垣間見えるのだけれど、映画としての構成の中に収め切ることが出来なかったのがアリアリと伺える。これらのことから映画よりもテレビの情報バラエティーか何かに向いた構成だった気がした。
 
それと剣術の解説は完全に落第点。騎馬による馬上剣術に対する憧れをベースに解説していたけれど、それではまったく説明がつかない。通常の剣術が振り上げ・振り下ろしの2拍子なのに対し、武蔵の剣法は構えから切り上げの1拍子とか説明されていて…………もうアホかと。 ファミコン時代のゲーム「ファミスタ」でボタンをちょっとだけ押すとバットが途中まで動いて構えられるんだけど、それでホームランを打て!ってイメージを思い出したよ。
 武蔵は切り下ろしに対して手首を取れたと言うのだけど、別にそんなの突飛な発想でも何でもない。普通の剣士が手首を取れない最大の理由は、単に間に合わないからだ。先に当てたもん勝ちの剣術の世界で、殺気とともに高速で振り下ろされる剣が頭に向かってくる時に、下段からしかも片手で切り上げて手首を切断するってことがどれだけの恐怖・難易度なのかを全く理解できていない。手首を取りたければぺったりとくっ付くように間合いに入り込まないといけないし、そうやって入ってくるのに合わせて相手は剣を振り下ろすのに決まっているんだよ。だから、単純に出来ないの。もうちょい勉強しとくべきだったろうと思う。
 
良かった点は…………テアトル新宿のファンになったことかな。 東のエデンも見にこよう、と素直に思えた。(椅子は肘掛部分まで含めて狭いのだけど、心意気は良かった)
それから具体論はそこそこのレベル。具体論のことをあまり知らない私のような客には面白く見れる部分もなきにしもあらずだったね。武蔵の合理的精神が武士道を通じて精神論に摩り替わってしまったのは葉隠れの影響じゃないのかなー?とか良く分からなかったけど。
 
ラスト周辺は情報密度が低く、最後の1分ぐらいは自我が維持できなくて寝ちまった。歳かなぁ。スタッフロールで確認したいことがあったんだけど、起きたら明るかった(苦笑)
 
 
ふおんコネクト1巻
欲求不満対策で購入。2巻以降に期待……。
 
 
トランスフォーマー
テレビで。意外と面白かった。物凄い豪華な映画。内容なんてオマケです!偉い人にはソレがわからんのです!を地で行きやがるから怖い。引きのカメラが少し足りなくて分かり難いぐらいかな。主人公の家で家族に見付からないように覗きをやってたり、庭を破壊したりするところはセンス大爆発。感動した。
 
機械がヌルヌルと動く気持ち悪さはスピード感によって相殺されている。良作。
 
 
風雲児たちワイド版 二巻
人のつながりを中心に読むべき二巻。普通に読めば、そりゃあ二代将軍秀忠の覚醒が見所なんだけどね。だけど、偉いとそれだけで下の人間が無条件で付いて来るとでも思っていると、なんも読めていないことになる。
 
山内一豊のエピソードは特に難しい。そりゃ,小山評定は簡単だ。家康といえども、周りの大名が味方するとは限らない。人間関係をつなげたり、くっ付けたりする人間にはそれだけの価値があるということだ。でも土佐では長曾我部の元部下は気分的に主君を裏切りたくも無いだろうし、山内一豊にしても舐められて黙っているわけにもいかない。「悪は一時に」というルール(byローマ人の物語)を見事に守って、相撲(角力)大会でケリをつけてしまった。これも人のつながりが背後にあって「我こそ」はと思うような者が反乱のリーダー格だったりしたのだろう。また、断固とした態度を取るとハッキリ示したことも大きいと思われる。
 
 
ネギまneo
ちょっと驚きの展開。「おいおい藤真くん、ブレイクしたらネギまなんてどうでもよくなっちゃったの?」とチラッと思ったり。まぁ、ひと波乱やって元鞘とかの展開なんだろうけど、あんまり丁寧な展開ではないよねぇ。問題は明日菜がフェイトになびく心理が理解できない辺りに集約されているように思う。タカミチにフラれ、ネギにもそっぽ向かれてヤケクソ気味とかって話にしても、もう一歩踏み込んで結婚する理由には見えないから。例えば明日菜の天涯孤独っぷりを強調するなりの説得力が必要かもしれん。擁護しようにも、流石にこれは、ねぇ?(笑) オリジナル展開が面白くなるといいね。