雑記

 
●感想:物語三昧ラジオ(後半)
後半は結構充実していた印象。
正直に書いてしまうけど、神話とかの物語構造論からみたら射程に入る範囲内ではあるんで焼き直しでしかない部分もあるんだと思う。それでも現代風アレンジとして十分に通用するひとつ別の体系になりそうな印象を受けた。
 
聞いている限りではエネルギー(ポテンシャル)が中心概念だけど、そういう構成にはなっていないね。他の概念を結びつけるものとして中心に持っていけばよさそうなんだけどね。クリティカル・パスだし。
 
 
true tears(アニメ)」よりも、電影少女をイメージしちゃうんだよなぁ。今から見ると構造的にはどうってことない作品に見えるかもしれないけど、かなり影響力があったと思ってる。いちご100%のあのエンドが許されたのって電影少女があったからじゃないのかな?(わからんけど)ヨータをもえみちゃんとくっつけて、あいちゃんが消える切ないエンドにするのが「本当の流れ」だよね。言ってみればその展開をしたのが true tears(アニメ)なわけだ。それをワザワザあいちゃんを人間にしてまでくっ付けちゃってるというか。
 
そっか、いったん役割論でみればいいのかな。プロップだったかの役割分類でみたら、ヒロインはもえみちゃんで、お姫様役だよね。あいちゃんはサポーターとか「旅の仲間」に分類されるはずだもの。月光条例でもエンゲキブなんかは最初からサポーターの位置だけど、彼女がメインヒロインだって見分けが付くのは、ポテンシャルのせいなのかなぁ。ポジションは「旅の仲間」だから違うはずだけど、呑舟がサポーターとしてのメインを張っているから役割からおん出されている形になるのかな? それとも主人公が王子様じゃ「ない」せいなのかなぁ。トショイインは明らかに姫役なんだけど、序列2位以下に狙って落としているよね(苦笑)
月光条例神のみの場合はエルシィがサポーターだけど、ちょっとマスコット・キャラに近い位置付けに振ってるところがあって、ヒロインキャラとして天理を出して来てる。(ハクアは難しいけど、なんだろう。)若木民喜先生はキャラ・ポテンシャルという用語を使っているんで力関係を力学的に把握している可能性もある。
 
役割論で読む方法論は取り入れた方が面白そうだ。(感想関係なくなっちゃったけどw)
ということは、姫役とサポーターみたいなポジションを入れ替えられるような3角関係とかが作れるかどうかなんて話が出てきそうだなぁ。むずっ(笑)