雑記(「経済」vs「道徳」)

 
●「経済」vs「道徳」の葛藤
http://labaq.com/archives/51437809.html
 
ママレードサンド氏の魔王と勇者の物語が今後どの程度に影響を持つのかは分からない。局地的なものかもしれないし、大きな影響になる可能性も考えておいた方がいいだろう。
 
対立を調停する方法として、経済的な利益(及び損失)を持ち込むことがなされた。これは以降の物語において、種類の違う「利益」の代表として今までの区分けとは「別のそれ」に変わり易いと思われる。つまり経済的な利益と宗教的な利益での「価値観の違い」を使って衝突する戦場が予想される。利益という言語が通じない相手として宗教を設定して敵にしてしまい易いって話だ。
 
実際問題、経済学は道徳律を持たないと言われる。利益になるのであれば、弱者を駆逐して省みることもないだろう。裁定取引(アービトラージ)のような「落差を利用して利益を得る手法」ならば、経済は市場の非効率性を正すだろう。(ママレードサンド氏の作品は未来の情報を使う優位性を利用している。アービトラージ。)
 
しかし、経済の非道徳性はアメリカの二大政党的な問題をも持ち込む。非効率が正されたとしても、それは全体的なバランスを配慮したものではないため、もしかすると偏った結論に至る可能性もあるからだ。
市場に任せておけば自動的にバランス(神の御心?)が作動するから大丈夫って意見(共和党的なリベラル)と、政治が介入しないとダメだろ、っていう共和党無神論的で平等なソーシャルリベラリズム
(物語で宗教団体を描くのであれば、神の名において介入するだろうけど)
 
日本でも経済と道徳の問題はいろいろと論じられているところでもある。
渋沢栄一は「論語と算盤とは一致しなければならない。わずかも道徳と経済と相離るべからざるもの」と言ったそうだ。
実際、経済性のない道徳律は狂気を孕んで感じるものだが、道徳律の無い経済学に対しては「早い者勝ちだから」などと言い仕方が無いといふ顔をしているものかもしれず。
 
端的にいえば、キリスト教的な宗教団体を敵にする物語が増えるのかもしれない。日本では15年前の某新興宗教団体による某サ○ン事件によって宗教に対する偏見を深めて来た。敵視するにはちょうどいい相手でもあるだろう。しかし、それの意味するところといえば、宗教とも仲良くする、という理想から逃げることになり易い。
 
まぁ、「神」よりも「金」の方を信仰する国・国民性なのかもしれない。(経済をハッキリと「宗教」と言う人もいる) 経済と道徳(倫理観)が対立する場合に、道徳(→神)を捨てて利益(→金)を追求することに対して一抹の危機感を感じないでもない。 本当は神ってものに対する定義を吟味しなければならないのだが、現状では論じる段階には無い。この拒絶反応が収まるまで、あとどのくらいの時間が必要なのだろうね?
 
神なんていらねーよ、だなんて甘いことをいつまで言っていられるのだろう。