雑記

 
フラクタルを見るときの留意点について
今のところ、この話は「洗脳」がキーワードになっているので「全ては洗脳されているせい」だと思っておくと良い。で、洗脳しているのは僧院ってこった。終わり方は世界の洗脳を解くが第一候補。
 
で、物語の重要なポイント全部が洗脳だと思っておくと、なんか分かった気になれる仕組みなんだ。例えば、主人公の少年はネッサを起動させたことで洗脳が解けてる。半日でアナーキズムしていた理由は洗脳が解けていたから。このために疑問を持つことができるようになってしまっているわけだ。つまり、2話のあの稚拙なまでの展開の早さみたいなのは、洗脳が解けているせいだってこと。
 
今回のフリュネの苦悩っぽいものも洗脳のせい。主人公の少年が感じている生きている喜びみたいなものは、洗脳が解けたことで得ている。しつこいぐらいに演出しているからワザとだってわかるはずだ。自由だとか、それが嬉しいとかは僧院が世界中の人達を洗脳していることが原因。そのことに対する罪悪感をフリュネは感じているのだ。
 
洗脳からの脱出だなんて、東氏の考えそうなテーマだなぁとか思う。しかし、薄っぺらいのは否めない。ヤマカンの敗因は、成功を確保してて失敗しても平気な人間と組んでいることにあると思うのだが、これ以上は言っても仕方なかろう。
 
マトリックスとかも洗脳からの脱出なので、近年のテーマの一つだとは思うが、目指す方向として答えが用意されていなくて、王道回帰とダブらせた身体性の回復みたいなものをあてがっているのは、私が個人的につまらなく感じる大きな理由だと思う。中身が無いのが分かってしまう。いまからすれば、ターンAがつまらなく感じるのも同様の理由だろうなぁ。単純に老いぼれた感性でやる身体性の回復だなんてものじゃまるっきり足りないんだよ。便利ってので現代を批判して、スローライフとかって、あざといどころか、頭足りなさ過ぎるんだもの。戦争で崩壊してやり直すべき!みたいな意見じゃダメでしょ。今からそっちに戻れるとは思えないよ。サクラ大戦とかの大正浪漫展開のがずっといいね。
 
洗濯物でコケて、笑い合うシーンをみてて、衰えたな、と。
いや、実はそんなに上手でもなかったんじゃねーかな、と思ってんだけどね。衰えたことにしておくべきかな、と。お約束シーンは丁寧にやらないとダメよん。見飽きてんだからさ。
 
さて、船での仕事シーンは、そのまんまラピュタで働くシーンと相似。この後はラピュタの嵐に飛び込む展開にはならないだろうから、ナディア型の敵に追いかけられる方に派生だろうね。
 
 
洗脳が悪いことだ!とか言ってる時点で、大したレベルじゃないよ。
洗脳を受け入れて生きているのが現代人だ。東氏にしては意外なのは、現実を選べ!という圧力を強めている点が……
 
と、なるほど、最後にフリュネ(3次元)とネッサ(2次元)のどっちかを選ばせるのか。で、ネッサを選ぶ展開か(詐術)。やっぱSF的にはそこそこ良く出来てるかもなぁ。