雑記

 
haruwosumiのインタビュース
http://theinterviews.jp/haruwosumi/654336

アニメに出てくる架空の街で感心したのは「魔女の宅急便」の街並みでしょうか。
 
古い、恐らくローマ時代にその起源を持つ海辺の城塞都市。しかしその街並みはすでにその城壁よりも外へ外へと広がっています。主要産業は観光と漁なのでしょうか。とても美しい街です。けれどモータリゼーションの進化が進む中で、美しい石畳の古い町並みはどこか窮屈にも見えるし、実際の街もすでに時代に合わなくなりつつあるような感触もあります。街の脇には綺麗に整備された郊外道路が走り、そこではそ知らぬ顔をして人々が外の町へと行き来しています。
 
面白いことにそこには、交通網や都市整備が時代に合わなくなっているからこそ、その身のみで空を飛ぶことを許された魔女が宅急便を商う隙間があります。折り重なる古い層が残る街並みは高低差が激しく、平坦な道を必要とする自動車たちはその隅々に行きかうことは出来ません。そこでまるでその街の形を現すように、効率化される世界の中で隙間に生きる人たちを、魔女がつなぐ役目を担っていくこととなります。

 
 
引用したのは「魔女の宅急便」についてなんですが、
ジブリ作品の難しさみたいなものがあって、理解するのに必要な両輪の内、ストーリーだとかをそれなりに分かるようになって来たとしても、こっち側の理解が無いとまるで足りなかったりするという。両輪ではなくて、安易ではない意味での作画厨みたいな軸もあるかもしれないのだけれど、取り敢えずは背景と呼んで分かった気になってしまうのには濃密すぎる「街の気配」というべきか。
 
なーんて、カッコつけ言葉遣いで書いてみたくなったり。彼とではその辺で格が違ってしまうので引っ張られて無理が出てしまう。
 
作品の多様性ってヤツは、「個による理解」を拒絶するクラスにまで到達するのではないかと思ってしまうのですよね。なんか、頭がよければどんな作品でも分かるようになるに違いない!みたいな想像は嘘かもねって思ってしまいます。
 
そりゃ、凄まじい知識量を持てば「その範囲」を押し広げることは可能になるかもしれませんが、それが頭の良さかと言われると、単に受け身な人生の究極形なだけかもしれないわけですよね。他者の理解に特化して、だから何?みたいな。
あーいえば、こういう、が可能な程度にはこの世界は自由で、奥はそんなに深くなくても、宇宙は広いのですね。